【嵐を呼ぶ行司】萌える行司スレッド64【38代木村庄之助】
チヨスが足が出たと挙手アピールしてるのに、スルーして負けた方に軍配挙げる鬼一郎も地味にヤバい。 審判部としては大の里と琴櫻を同星で並ばせたまま行きたいし、差し違えになれば、なんだあの行司はと抗議は来るし
まあ、実際、若元春の肘が先についていたのでホッとしたことだろう 1980年代半ばに、吉本新喜劇にいた今岡まき子ってかわいいね >>512
今日も実質差し違えだし3回目
昔のように降格制度設けるべきでは?
にしても最近の行司は弛んどるな
秋治郎と風之助以外に見るべき行司がいない 鬼一郎や隆男のような下手くそが
相撲協会とグルになって重宝される
そりゃ玉治郎も嫌気がさして辞めるわな! 朝之助も隆男も動きノロい。幕内では吹っ飛ばされる
鬼一郎もまた調子悪いのか? 鬼一郎の勝ち名乗り
だいあまみ〜ぃ⤵︎ と語尾が下がって消え入る感じが空襲警報のサイレンの止まり方のようで不吉 辞めた玉治郎なんて色々批判されてたけど、声は基本よく通ってたし動きも悪くなかった。少なくとも今岡や容堂、鬼、隆男よりはずっと戦力になってたわ。 >>521
晃、隆男、秀朗?も呼び上げ酷いよ
何だあのやる気のなさは 昔19代ヒゲの伊之助が「●●に勝ったる○○〜」なんて勝ち名乗りあげたことがあったそうだが
負けた力士を呼び上げてしまうところを急場をしのいだ勝ち名乗り
この場合は「琴ノ若であった琴櫻〜」?
昭和60年頃に金城を栃光(改名する前の四股名)と勝ち名乗りをあげた行司の例もあったが
これは29代池田伊之助(当時善之輔)か30代竹田伊之助(当時勘太夫)の幕内格時代だったか >>526 訂正
これは前の與之吉時代だった
昭和60年7月場所7日目に十両の金城を栃光と呼び上げてしまった 俺はいつも言ってる様に今岡庄之助のファンだし、病気になる前は少なくとも今よりは全然動きも良かったし、何よりも呼吸を合わせるのが上手いから評判してる。それ以上に心配なのは木村隆男なんだが………あの人って まだ若いし、今岡庄之助とか上田玉光・池田伊之助みたいに病気になった訳でもないし、超絶メタボってるって訳でもないのに、なんであんな動きなん? >>523
晃之助はあれくらいで良い。じゃないとまたうるさくなる。 声量あるとかっていうレベルじゃなくて、あれは逆に力士が合わせにくいし、手をついて!でラジオの実況が聞こえなくなるとか異常だから。 私も現庄之助の評価ポイントは立ち合いに過剰干渉せず合わせるところだと思う。
晃之助は言うに及ばず容堂もそうだが、制限時間いっぱいの立ち合い前に大声で怒鳴ったりするタイプは良くない。
時間いっぱいは力士が一番集中する瞬間だから、静かに合わせた方が待ったも少なくなる。
逆に厳しく色々言うと呼吸が乱れて結果として待ったにつながる。
内田庄之助も静かに合わせるのが上手かった印象が強い。 確かに待ったしてもマダマダいうこと少なかった。力士がそのまま続行しようとする時ぐらい
声を出すにしても山崎庄之助の時間です、手を降ろしてえぐらいがちょうどいい
立ち合い合わせるのが上手いと言われた棚田伊之助も待ったなシーだけ あと、賛否両論あると思うが、意外と正直さんは合わせてたと思う。
うるさいタイプで、ダミ声で待ったなしと手をついてがあるが、なぜか両力士が手を突こうとする瞬間からは首を左右に振るだけで黙って合わせてた。
軍配を高々とあげる派手さがあったから晃之助みたいに催促してもおかしくないが、呼吸を乱すようなことはしない良識があった。 木村玉之助は?
「諸共時間じゃ!見合わし合って合わせよ!まだまだまだまだ!時間じゃ構えて構えて構えて構えて!(見合って見合って!とも)」Wikipediaから >>533
素直に玉を伊之助に上げとけばよかったのに
大乃国みたいにポチに楯突いたから冷遇されたのか? 誠道という力士がいることに驚いた
悟志が名乗るのかと思ってた 行司の動きって何パターンかに系統分け出来ると思うんすよね。
近くで見たい派 離れて見たい派。
俵の中派 俵の外派。
更にそこから枝分かれして、 力士が来たら俊敏に逃げる 逃げ足俊敏系 ・力士の動きに反応して、来る前に動く 反応俊敏系・力士とほぼ同時に動いて磁石の様に常に真横に居る 磁石系・力士の動きを予測して 力士が動く前に移動する 逆算移動系・それらを臨機応変にミックスしたミックス系などなど……… その中でも今岡庄之助さんは恐らく 近くで見たい派 俵の中派 逃げ足俊敏系だと思います。
ところが病気を患った事で一時は麻痺で歩行も困難だったらしく、それで逃げ足が衰えてしまい、元のズッコケドジっ子的な部分もあって接触や転落が増えたんだと思いますね。
また 力士との接触を気にするあまり 両者と距離を取って見たりもする時もあるけど、当人は離れて見るより近くで見たい派だと思うので、恐らくは離れて見るのはベストポジションでは無いんだと思います。 そう言った理由で見落としたり差し違えも増えたんじゃないかなぁと思います。
でも最近は以前よりは接触や転落も減ってきて捌きも安定してきてるので定年まで頑張ってほしいですね。 当時の映像を見ると昭和40年代から50年代にかけて、立ち合いに手を付くことがなく、中腰の姿勢から立つ力士も多かったようだ
行司も、腰を下ろして、手を付いてと声を掛けることもあまりなかったのだろうか? みんなボロクソに言ってる今岡庄之助だけど、俺はあの人が9月で定年なんて寂しい。どうせ行司なんてお飾りなんだから、面白い人の方がいい。 >>535
内田こそ威張り行司の代表格じゃん。「手をついてぇ〜」って言い方、結構嫌味だったの忘れたか?あと水入り対処の不味さや、十両格時代には花道奥で当時の裸足行司を叱りつけていたのがテレビ中継でバッチリ放送されていた(その前の三浦勘太夫もまずい行司だったが、水入りの対処「だけ」は見事なもんだった)。 >>546
見合うて とか 合わせて が多かったと思う。 三浦勘太夫こそ余計なこと言わない、しない印象
ったなし!、手をついてぐらい
所作はカニ歩きだがあまり動き回らない >>546
夏みかんは何もいってない
浅井庄、尾崎伊之助は待ったなしぐらいか
時間いっぱいでパッと飛び付きのような相撲が多い >>552
40年代は
浅井 はいてっ!
尾崎 んなっ!
の記憶あり どこの世界も、上手い奴や器用な奴は嫉妬されるからな。不器用で下手な奴の方が、逆に愛されてすんなり出世できたりするもんよ。風之助は若くて立派な行司なだけに、特に気をつけてほしいが…。 >>546
手つきが厳しくなったのは昭和60年ぐらいからか
北の湖や隆の里が手をついてたイメージはないな
小錦が手をつかなかった時に、福井伊之助から指さされて「手をついて!」って注意されてたのはよく覚えてる 協会のアーカイブ場所の昭和45年3月場所初日で、16分35秒あたり、幕内前半戦最後の錦洋ー二子岳戦の結果を「ただいまの決まり手は押し出し、押し出して錦洋の勝ち」とアナウンスしている行司は誰なのでしょうか?
50年代前半頃にかけてよく聞いた声なのですが
また、続いて「ここで審判の交代であります」と言っていますね
現在では「ここで勝負審判の交代であります」ですが 今岡庄之助、65歳の誕生日が秋場所千秋楽なんだけど、土俵に上がれるのはこの日まで?前日まで? >>560
場所中に誕生日を迎える場合は千秋楽までの特例がある >>559
土俵上の声は知ってるけど普通に話す声は知らないので、全然見当つかないね 阿部の普段声は昔トリビアで「なんで切腹しないんですか?」みたいに問い詰められてたのがあるw 内田は土俵の声と地声がかなり違う。場内放送はかなりガラガラ声
東方横綱千代の富士〜が定番のはず 場内放送ってなぜいまだに軍隊調の「であります」なのか?
「です」か「でございます」でいいじゃないか
機会があれば訊いてみたいものだ 今岡庄之助は歴代の庄之助の中ではもっともクセが強い 秋場所前に容堂を伊之助にできないかな
庄之助と伊之助が揃ってるところみたい 九州場所は立行司なしかな?
容堂が毎日結びの一番を裁くんだろうな もうぶっちゃけた話、ヨードーは庄之助にするにはブサイクなのよ
なんたって、行司の王様。 >>570
そもそも両立行司がチビデブハゲフルコンボってどーなのよw
オマケにズッコケとおブスw
緑川山田wコンビは背が高くて威厳がありました
どっちかがしっかりしてればなんとかなったりはする
伊之助 11代、12代、16代、29代
庄之助 18代、21代
これらは相方はしっかりしていた。共倒れってのはなかなかない
そういえば前の男色伊之助も酷かったけどw >>558
あれはたぶん後藤庄之助
39春初日も天津風の勝ちと音声が入ってるがこれは誰なのか分からない >>524 >>525
一瞬誰かわからなかったけど
ノコスポッターさんですね 自分が思う裁き下手、もしくはポンコツなイメージが強い現役行司といえば庄之助(殿堂入りw)、晃之助、銀治郎、鬼一郎、隆男、慎之助、秀朗辺りかな。あとは及第点といったところか。 >>572
それでも差し違え少ないのは救いだよ。微妙な一番でも見事に見極めていて、軍配通りになる事も多い。逆に微妙な一番で最近差し違え多いのは、鬼一郎。