八百長と片八百長と人情相撲は私は分けて考えたいなと。
貴源治が金を払って、あるいは頼んで負けてもらったわけではなく、相手が情けをかけてくれたか、空気を読んだか、恩を売って今度自分がピンチの時は分かってるよね?ってのもあるでしょう。八百長グループに引き込む接待というわけです。

白鵬もそういうところがありました。頼んでもないのに勝手に手を抜いて相手の昇進や優勝、あるいは勝ち越しや二桁のアシストをすることが度々ありました。対戦相手は分かります。あれ、横綱本気じゃなかったなと、負けてくれたんだと察するんです。するとやはりバツが悪いんで、次に白鵬が優勝争いの最中、自分がもう早々と脱落して、かつ勝ち越してる場合などは当然無理に白鵬に抵抗することなく負けることなります。はい、これでお返しですよ、と。まぁガチでやったところで勝てる確率も低いですし、渾身の相撲をとったところで今場所は優勝の目はないわけですから。白鵬攻略の作戦があってもこの何でもない場所にで使っちゃうのは勿体ないですからね。

ともかく、こういうのも含めてすべて八百長と定義するならば、これ証拠を抑えて暴くなんてのはほぼ不可能じゃないですかね。何せ本人同士も事前に打ち合わせをしたわけでもなく、金のやりとりもなく、全て阿吽の呼吸でやっているから。もはや伝統芸能の域ですよ。

私が思うに、現代の相撲は金銭のやりとりによって星を売り買いしたり、当人またはその側近同士によって事前に勝敗が決まる打ち合わせを行った八百長ってのは、もうほとんどないと見てます。