【白鵬は】大相撲記録スレッド 20枚目【またまた仮病】
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【白鵬は】大相撲記録スレッド 19枚目【また仮病】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/sumou/1550834846/ 少なくともこれ以前には前相撲中相撲を得て出世するという形になっていた 1758年10月、1758年3月、10月、1759年3月、1760年10月
場所は番付が発見されているが星取表が不明
1768年11月場所は番付は未発見で星取表は残っている
相撲レファレンスなどの記録サイトで空欄になってる所に番付、星取表どちらも不明の場所があると思う 世界的に見て、250年前の対戦記録が残っているスポーツって他にある? 通説ではそれ以前は板番附を掲げていただけだったが、
そのころから木版刷りを始めたそうだね
(江戸の話、京阪ではもう少しさかのぼり享保のころから)
板番附は古いものを削って、新しい番附を上書きするので
古いものは現存していないそうだが、
成瀬川は時の話題となったので
当時の随筆類に番附の一部が転記されているとのこと >>95
そう言われれば叩き上げばかりですね
栃赤城は高卒(中退だったかな?)ですが柔道からですし
そして彼は何といってもケガに泣かされました
あの取り口ではやむを得なかったかもしれませんが 朝乃山の昇進はこのスレ的にはどんな見解だ?
嘉風あたりは結構な勢いで反対してたけど どうせ上がるからきちんとした結果出させてから上げよう
ってのが嘉風の意見と思った
確かに横綱に土つけてないのは気になるけど現状両横綱の次の三番手であることは文句なさそうな雰囲気はある
佐藤は化けの皮剥がれたのか体調悪いだけなのかよくわからん 昭和以降で昇進前三場所に限れば横綱戦全敗で大関に昇進した力士はいない(ただし0勝0敗はいる)
でも朝乃山は昇進した
記録から言えば異例中の異例では 俺は朝乃山みたいなのはさっさとあげて、地位のプレッシャーを受けさせて
「仕方ねえな、もうのんびり出来る地位ではないんだな」とケツを叩くので正解だと思う。
学生上がりは試験で苦労するほど、合格した後すぐ燃え尽き症候群になってそこから
上を目指さなくなる。要するに緊張感のある状態が嫌なのだ。自身で性根を入れ替えるしかない。
逆に貴景勝みたいなクソストイックで相撲に不安材料のある力士は、あれ1場所みたので
正解だと思う。あのまま上がってたら貴景勝は勝ち方が分からなくて苦労しただろう。
これは緊張感のある状態こそが必要な力士。だからそういう状況でなるべく相撲を取らせる。
別に嘉風の意見がおかしいわけではなくて至極真っ当な意見だとは思う。 朝乃山は上位がスカスカなのに3場所32勝しかできずに星が足りない挙句に審判部の昇進反対多数の意見を天の声でひっくり返した依怙贔屓昇進だろ
今後はアサルールで三役で3場所連続二桁すれば安定と称して大関決定かよw >>112
むしろ朝乃山が過去の一人大関の際の、北の富士や増位山の前例に倣った昇進をした。
だから名付けたいならカツアキルールと呼ぶのが正しい。 昭和の前例なんて無いも同じ
現場を無視して執行部が圧力かけて大関決定させたとか貴景勝と違いすぎてありえんわ
朝ルールこそ未来へ語り継がれるえこひいきw 休場ばかりの横綱や怪我人大関しかいないのに32勝しかできない朝乃山は御嶽海より運がよかっただけ
朝ルール反対 >>114
昭和が古い過去に思えるぐらいの若い子? ここは記録スレだから、朝乃山の昇進の是非に対して一個人の感想を述べる場所じゃない。
今回の昇進が過去と照らし合わせて稀有かそうでないかを客観的に語らなくては。 >>117
だったら爺さんの中では今の横綱昇進基準はなんと呼ぶんだよ 朝ルール昇進が40年以上遡らないと正当化できない無理やり昇進だって言いたいんだね>>113は >>118
イチャモン野郎にそういう理屈言っても聞かないよ
イチャモン言いたいだけなんだもん
はいはい、そうだね、よかったね でいい >>120
過去に例のある特筆する価値のない平凡な事例だと言いたいのだよ。 何年もキセルールガーってほざいてるバカはアサルールの依怙贔屓昇進には沈黙するキチガイ朝豚信者の引きこもり自慢クズ! 以上
俺様にとって昇進は適当だとか不当だとかいう幼稚な話は
記録と関係ないので終了 朝乃山が叩かれると話題そらし要因が出てくるのは白豚信者と一緒じゃねーか! >>110
下に強く上には弱い印象があった琴風あたりでも昇進場所(初優勝)には二代若乃花を破っていますね
しかし該当者が一人もいないのは意外でした 無観客でファンの歓声も拍手もないムード値最悪過剰な筋肉な中で、淡々と結果を残し、それで合格もらえたんだから立派だと思うよ
キセルールってのは本来、条件未満なのに昇進することではなく、「条件未満なのに“ムード”が高まったから」って、ムード値の上昇に反比例してハードルが下げられることをいう
だから今回の朝乃山は当てはまらないと思う ムードもなく審判部でも反対多数だったのに執行部の天の声で無理やり昇進した朝乃山はより悪質だと言うことだね。 だからイチャモン野郎に理屈は通じないってーの
無視しろ >>136
相撲レファレンスでざっと調べてみたが、昭和40(1965)年名古屋場所では?
昭和40年6月27日〜昭和40年7月11日にやってる。名古屋場所は6月下旬から7月上旬にやることが多かったみたい。 同じ32勝でも上位休場ばかりでスカスカなのに11勝しかできない朝は歴代最低だろ>>132が正しい 昇進の是非の話はほかのスレでやれって言ってんだろ
ここで言っても何も変わんねえんだよクズ
人混みで主張してコロナでももらってこい 朝乃山が批判された時だけ>>139のようなイチャモン野郎が出てくるな。
このスレだけじゃないけど >>141
自分の関係ある事象や関係のある事のみ批判し、そうでない事には関わらないのはごく同然の事だよ。
関係ない事にまで筋を通すとか言ってしゃしゃり出るのは学生かプロ市民ぐらいのもの。 あれ?イチャモンって他にあるの?
他のスレじゃなくてこのスレで
他のスレでやれって言われてんだから他のスレでやればいいんじゃねーの? >>137
昭和39年7月場所は、
6月が10日間で、7月が5日間なのに、
どうして昭和39年6月場所じゃないの? >>147
確かに…そもそもなんで二つの月にまたがって開催する必要があったんだろう >>149
スマン誤爆した。
夏巡業の期間をたっぷりとるためではなかろうか >>101尚古堂の番附帖に宝暦丑(宝暦七年)の春までは上方と同じ横二枚とあるらしい 長身力士として記憶に残る琴若が昨日誕生日だったことを見つけ思い出したんですが、新入幕時の雑誌の展望号で同時入幕の尾形(天ノ山)と表紙を飾っていました
最高位平幕に終わった二人の力士が相撲雑誌の表紙を飾ったのは後にも先にもこれきりだったと思います(一人なら何例かあったはず)
記録というより珍しい事象と言うべきかもしれませんが >>153-154
私の拙い記憶では無かったように思います
もし間違えていたらご容赦くださいm(_ _)m 5月中止、7月開催となったら、
9月初日は史上初の「優勝額3枚表彰」になるわけだな。 昭和7年1月場所新十両は西9枚目鳴海潟、西11枚目上宮山
この場所は番付発表後春秋園事件で中止となり
二人は新興力士団に加わり相撲協会には復帰しなかった
この後4場所行われた 佐渡ケ嶽部屋は琴勝峰、琴恵光、琴勇輝が幕内に昇進しましたが、一つの部屋から三関取以上が一度に幕内に昇進したのは いつ以来ですか? 1981年名古屋場所の隆三杉、飛騨ノ花、若獅子以来であろう >>160
ありがとうございます。
若乃花、隆の里、大寿山、若嶋津、飛騨ノ花、隆三杉、若獅子、大旺 二子山部屋黄金時代やね。 >>160
ありがとうございます。
若乃花、隆の里、大寿山、若島津、飛騨ノ花、隆三杉、若獅子、大旺 二子山部屋黄金時代やね。 夏場所が中止になる中、
あと2週間で華吹の満50歳の誕生日
立浪部屋のチャンコ長として、
気の抜けない毎日だろうね…
50歳代の現役力士は、誰以来?
鬼ヶ谷? 大関が三場所連続皆勤しながら大関戦0
横綱大関はノーカン よう気付いたなー
初場所は豪栄道いたけど大関同士は外されちゃったんだよなー 高田川部屋の三段目の勝武士さん、新型コロナにより急逝。
現役力士の逝去は2008年12月の元幕下力士以来、ほぼ11年半ぶり。もちろん令和では初。
テレビの福祉大相撲で見たばかり。まさかこんなことになるとは……ご冥福をお祈りします。 50代の現役力士は鬼ケ谷以来。100年ぶりくらいか?
因みに今でこそありふれてる40代現役力士は
明治以降、一ノ矢が道筋を作る前は希少で、
昭和から平成中期にかけては能代潟、牧本、大潮など数えるほどだった。 1971年5月14日、前日に小結貴ノ花に敗れた横綱大鵬は
その日の福の花戦を最後に引退するつもりでいたが協会から
却下され引退した。
1991年5月14日、小結貴闘力に敗れた横綱千代の富士は師匠に
翌日引退会見を行うと報告し、自宅に帰って子供たちと一緒に
サザエさんを見ていたら「千代の富士引退」のニュース速報が出て
慌てて九重部屋に戻り、あの「体力の限界」の記者会見を行った。 雷童は剣晃の付け人をしたことがあるか?勝武士は雷童の付け人をしたことがあるか?誰かわかる人いますか?両方成立すれば現存死亡した力士2人に付け人として関わったという珍記録 鶴嶺山が亡くなったけど、この人は怪我がなければ弟二人と肩を並べたかはともかく幕内定着は充分可能だったろうから、いくつも兄弟関連の記録を作れたと目される。
三兄弟同時幕内在位はもちろん、思い出でも三役になれば三兄弟で三役経験など。
惜しい怪我だった。
つつしんで御冥福をお祈りします。 >>175
兄弟で同時に関取となり会見していたのが昨日のことのように思い出されます
鶴嶺山が親父さんの取的時代の四股名だと知った時はやっぱり長男なんだなと思いましたね 去年まで書いてたいつもの感じで、夏場所中止の所感とか
あと決まり手のまとめとか、需要ある?
別に大した文ではないけど、少しでも気晴らしになりそうならと思って 荒らし以外なら何でもいいです
定型文の垂れ流し見るよりよっぽどマシです 外国出身=●、和製=○として、幕内優勝者を表す。=は中止。
◆◆初春夏名秋九 ◆◆初春夏名秋九 ◆◆初春夏名秋九
1996○○○○○● 2006○●●●●● 2016○●●●○●
1997○○●○○○ 2007●●●●●● 2017〇○●●●●
1998●○○○○○ 2008●●●●●● 2018●●●○●○
1999○●●○●● 2009●●●●●● 2019●●○●○●
2000○○○●●● 2010●●●●●● 2020○●=
2001○○○○○● 2011●=●●●●
2002○●●○●● 2012●●●●●●
2003●○●○●○ 2013●●●●●●
2004●●●●○● 2014●●●●●●
2005●●●●●● 2015●●●●●●
朝乃山やまさかの徳勝龍など、和製力士の優勝も増えてきたところだが、
周知の通り、今場所は先の大震災の春以来、今世紀二度目の下駄履き。
七月場所は東京で無観客で開催される予定だが、今後とも予断を許さない。
稽古さえままならない日々。力士もファンも、今はじっと耐えるしかない。
もしも我々の知らないもう一つの世界が同時進行で存在するならば、
そこでは今頃、千秋楽を無事に終えた安堵感が角界を包んでいるはずである。
力士たちは連日よく健闘し、ファンの期待に応えてくれたものと思う。
熟してなお健在の白鵬・鶴竜の両横綱、新たな期待を背負う新大関朝乃山、
それを追う若手や中堅の関取たち、気鋭の若武者・新入幕の琴勝峰。
そしてまだ薄暗い三段目の土俵では、勝武士さんがいつも通り元気に闘う姿を
熱心な好角家たちに見せていたに違いない……。
力士は土俵で耀く。ファンの熱い視線や歓声、惜しみない拍手を浴びて。
それは本当に幸せなことだ。そして多くの幸せがそうであるように、
普段は全く気付かないけれど、それは決して当たり前のことではないのである。
我々の知る世界に、幸せの十五日間が一刻も早く戻ることを切に祈念している。 2001(H13)年1月に82手+5勝負結果が制定されて以降、幕内の土俵で記録されていない決まり手
(2020(R2)年3月場所終了時点。左が勝ち)
外たすき反り なし なし S19. 1 大 塚 - 不 明
掛け反り なし なし H13.3 保志桜 - 山 根
撞木反り S4.9 常陸嶋-東 関 不明 不明
たすき反り S26.5 栃 錦-不動岩(*1) H29.1 宇 良-天 風(*2) H31.3 海 舟 - 隆 貴
つかみ投げ S32.11 時津山- 荒 岩 S25.9 櫻 國- 信夫山 H30.9 富士の輝 - 若松永
大股 S33.7 福乃里- 松 錦 S34.1 隠岐ノ嶋-明歩谷 H28.9 武の湖 - 照 道
居反り S39.5 岩 風-若天龍 H5.1 智ノ 花 - 花ノ 国 R2. 3 澤 田 - 北勝里
合掌捻り S40.11 大 心-前田川(*3) S62.9 琴富士- 南海龍(*3) H30.5 漣 - 登 竜
ずぶねり H10.3 旭 豊-寺 尾 H8.1 旭鷲山-琴 嵐 R2.1 聡ノ富士 - 朝 東
外無双 H10.11 旭鷲山-朝乃若 H8.3 旭鷲山-大 喜 H14.1 大恩児 - 大平山
褄取り H12.3 曙 -土佐ノ海(*4) S42.9 扇 山-大竜川 H19.3 猛虎浪 - 武雄山
*1 協会広報によるとS27.1に前頭6常ノ山が関脇大内山に決めたとの報道有り
(但し典拠不明、また資料によれば当座発表の決まり手は伝え反りだった模様)
*2 襷の形は完成しておらず、伝え反りにも近い変則的な反り技
*3 現行の決まり手なら徳利投げ
*4 現行の決まり手なら小褄取り 昨年九州場所中日に、幕内石浦が同錦木に三所攻めを決めた。
元小結舞の海以来、平成以降二人目(三例目)。中継や報道でも随分話題になった。
十枚目以上では他に新たな更新は無い。表以外の珍技なども比較的少ない印象。
幕下以下では居反りと頭捻りを更新。また表以外でも伝え反り、河津掛け、大逆手、
二枚蹴り、首捻り、後ろもたれなど、最近数場所でも実に多彩な技が記録されている。
初場所の勝武士さんの決まり手に逆取ったりがあったことも、記念に特筆しておきたい。
本場所が開催されず、また大相撲自体に注目する余裕もなかなかないご時世だが、
テレビや新聞(電子版)などでは時折、過去の名技や珍技を紹介する報道も見られる。
在宅が多いであろう諸兄も、興味のある方は過去の雑誌やデータを振り返るなどして
決まり手について考察してみては如何だろうか。新たに面白い発見があるかもしれない。 どうも乙です
日本人の優勝が増えたと言っても年二回に留まるところは変わらんなー
今年もこのままじゃ年一で終っちゃう >>180-182
詳細データと名文復活乙です
Rの表記が新鮮 徳真鵬の引退により
雅山に関する
「大関陥落者と引退時最高位十両以下の力士との対戦」
が確定
十両同士の対戦では、初の確定(大受は十両同士では該当なし)
雅山−若天狼・城ノ龍(平成22・秋)千昇・丹蔵・徳真鵬・鬼嵐(平成25・春)
過去の戦後昇進大関対象の該当ケース(既出)
いずれも幕内−十両の対戦
大内山−瀧見山(昭和34・春)
松登−大野咲(昭和36・九)
大受−龍門(昭和51・九)
霧島−若隼人(平成8・春)
なお、照ノ富士の確定は勿論まだまだ先だが
もし佐田剛が三段目に昇進できずに引退したら
「大関陥落者と引退時最高位序二段の力士との対戦」
になるが、すでに5枚目まで昇進しており
可能性は低い ラグビートップリーグは無観客の名所変更に動いていますが、朝乃山は無観客開催で大関昇格。
次の場所も無観客で開催されて朝乃山優勝なら無観客場所のヒーローになる。
大相撲は無観客の名所変えないでほしい、朝乃山には優勝してもらいたい。 大坂相撲から脱退した広角組は明治21年から明治27年まで東京相撲からも力士を招聘し独自に興行した
その間に東京相撲明治24年夏本場所に広角組の力士8人が幕内挌番付外で出て惨敗 >>189
>>186 によるとラグビーのトップリーグにあるらしい 今回の中川部屋閉鎖・移籍で、
旭蒼天、春光、春日龍、吉澤は、
それぞれ「四つ目の所属部屋・五人目の師匠」
で、以前このスレで話題になった大一心とタイ
記録としてはどうか?
古い例では番神山が
「四つの所属部屋・四人の師匠」だが 世話人・白法山は、
今回の移籍で現役・引退後合わせて
春日山→安治川→春日山→追手風→中川→宮城野
記録としてはわからないが、過去のケースで所属部屋数が多いのは、
番神山・雷
雷→白玉→八角→鏡山→伊勢ヶ濱・荒磯→雷→立浪
大文字・押尾川→西岩
中村→二所ノ関→押尾川→片男波→二子山→大鵬・大嶽 場所前に関取経験者が5人も引退するのは八百長事件除けば戦後最多? >>195
1945年11月場所前を戦後に含めなければ、1967年5月場所前に最大7人の可能性がありますね(いずれも5月場所が全休で引退となりましたが、表明のタイミングを精査し切れませんでした) 遠藤が鶴竜の腰砕けによる勝利
白鵬に腰砕けで敗れたこともある遠藤だが、横綱戦で腰砕けの勝ち負け両方を記録したのは恐らく史上初 てーか横綱の腰砕けっていつ以来だ?
日馬富士は勇み足とかつきひざはあった記憶だが >>199
ああ、ひょっとしたら初めてかもしれませんね 若隆景、初日から5日連続で対戦相手が「琴」。前頭二けたに佐渡ヶ嶽部屋勢が5人固まっている影響ですね。
それと、5日目、6日目と二日続けて、元大関対決。前頭二けたに元大関が4人固まっていますので、総当たりするかも。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています