>>968
そう。ひとつの原因だな

原因の大元は佐田の山の年寄株改革
(ここでもよく言われてる年寄株の高額取引を禁じるために
株を協会持ちにしようとした)

佐田の山に反発した高田川(前の山)が高砂一門を飛び出して、98年の理事選に立候補したために
高砂一門は、共倒れしないように富士錦と勝昭のどちらかに候補者を一本化することを決め
一門内の投票で、千代の富士が勝昭を推さずに富士錦を選んだため勝昭は落選→廃業へと至る
(ちなみに高田川は若手親方の熱い支持をうけ当選w)

その件でしばらく千代の富士と勝昭は不仲になったが、>>967の画像見ると分かるように
関係を完全に切ったというわけでもないところは勝昭の人徳だろう