栃ノ心の時代到来へ!
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相撲
夏場所総決算号6頁
当初、栃ノ心の敢闘賞は、優勝が条件だったが、
武双山から『優勝しなくても千秋楽に勝って13勝すればあげてもいいのでは』との提案により、
栃ノ心は、千秋楽で勝ち、敢闘賞と技能賞の二つに輝いた。
栃ノ心は、藤島親方に御礼を言っておけ! 相撲
夏場所総決算号6頁
当初、栃ノ心の敢闘賞は、優勝が条件だったが、
武双山から『優勝しなくても千秋楽に勝って13勝すればあげてもいいのでは』との提案により、
栃ノ心は、千秋楽で勝ち、敢闘賞と技能賞の二つに輝いた。
栃ノ心は、藤島親方に御礼を言っておけ! 伝達式で、栃 ノ心は「親方」の言葉を入れる異例の口上で師匠への感謝の気持ちを表した。2006年の入門以来、春日野親方の
厳しくも温かい指導を受けて12年あまり。大関昇進を伝える使者を迎えた栃ノ心は「謹んでお受けいたします。親方の教えを守り、
力士の手本となるように稽古に精進します」と口上を述べた。大関としての決意を表す口上の中に「親方」の言葉が入るのは極めて異例だ。
師匠の春日野親方は当初は難色を示していたが、最後は栃ノ心の「自分の気持ちを言いたい」という熱意に押される形で了承した。
新大関は「どうしても『親方』を入れたかった。18歳になる前に日本に来て、日本語も全然知らなくて、相撲も知らなくて。
親方から、ゼロから教えてもらった。(師匠には)反対されたけど、何度もお願いしてこれに決めました」と言葉に込めた意味を明かした。
若き日の栃ノ心は、春日野親方いわく「やんちゃだった」。厳格な指導で知られる師匠を何度も怒らせた。
服装違反となるTシャツ姿で繁華街を闊歩し、部屋 の門限を破って飲み歩いた。11年10月には親方を激怒させて
“鉄拳制裁”を食らい、土俵で相撲を取る稽古を禁じられた。稽古の再開を許されたのは、11 月場所になってからだった。
栃ノ心は「稽古で体を動かすのは、こんなに気持ちがいいんだね。(自分は)やっぱり稽古が好きなんだなって思った」。
力士としての本分に気づかされた。師匠には厳しさだけではなく、優しさでも救われた。 13年7月場所で右ヒザの靱帯を断裂する大ケガを負った。4場所連続の休場で番付は西幕下55枚目ま で陥落した。
稽古場で栃煌山(31)と碧山(31)がぶつかり合う姿を見て「もう2人とは稽古ができないな」と気落ちした。
どん底にいた時期、親方からかけられた言葉は今でも忘れられない。栃ノ心は「自分の中では(相撲を)やめる気持ちもあった。
その時に師匠と相談して『あ と10年頑張れ』と言われた。それが心に一番残っている。一番、つらい時だったから」。
親方からの励ましがなければ「大関栃ノ心」も誕生しなかった。
春日野部屋は来週から稽古を再開する予定。栃ノ心は当初、母国ジョージアへ帰らずに部屋の稽古に参加することを申し出ていたという。
春日野親方からの返答は「稽古はいいから、国へ帰れ!」。
大関の地位を引っ提げての凱旋帰国は、師匠がくれた何よりの“ご褒美”と言えそうだ。 2017年の鶴竜は休場続きでほとんど土俵に上がってないけど 、
その間に、白鵬が衰え、日馬が事件起こして引退し、稀勢が怪我した。
寝てる間にいろんなことがあって、
2018年になって目が覚めたら、自分の時代になってたというのが面白い。
想定外なのは、栃ノ心の躍進だけw 今回、アナスターシャちゃんの話題が全く無いのが不思議 【栃ノ心と臥牙丸、最高の友でありライバル】
ジョージア出身の栃ノ心が欧州出身で史上3人目の大関昇進を果たした。大相撲の現役力士で同国出身は2人だけ。
もう一人の臥牙丸も昇進を手放しで喜んでいた。
夏場所の千秋楽。十両で4勝11敗と負け越しても臥牙丸は笑顔で対応してくれた。栃ノ心とは柔道を通じて11歳から
親交がある。臥牙丸が1歳上だが、切 磋琢磨しながら競い合ってきた。その臥牙丸から「昨年の1月、栃ノ心は相撲をやめよう
と思っていた」と衝撃発言が飛び出した。初場所の5日目。あの正代との一番で古傷の右膝を痛めて休場した時のことだ。
「あの時は相当、ショックを受けていた。『もし右膝の靱帯が再び切れていたらオレは相撲をやめる』とね。
私も心配になり、2人で夜遅く国技館 近くの病院に行った。病院の電気は消えていて『お願いします』と頭を下げて、
MRI(磁気共鳴画像装置)のスイッチを入れてもらった。検査の結果、切れていなかった。その時は2人『良かった』と泣いたよ」
臥牙丸は以前、体重超過で調子を崩し膝を痛めたことがある。助け舟を出したのが栃ノ心の妻ニノさんだった。
ジョージアに伝わる「ヨーグルト・ダイエット法」を教えたという。忠実に守った臥牙丸はダイエットに成功。調子を取り戻した。
「先輩(私のこと)もやった方がいい。朝、ヨーグルトに蜂蜜を入れて食べ てごらん。一発だよ」と教えてくれた。
栃ノ心に芋焼酎の炭酸割りのおいしさを教えたのは臥牙丸だった。「焼酎3に炭酸7で割って、レモンも少し入れる。
最高だよ」と栃ノ心。土俵の上では良きライバルも、土俵の外では良き友でもある。 優勝は逃したけど、間違いなく話題の中心になったし、場所を盛り上げてくれた。
来場所も頑張れ! 相撲界も地位が人を変える・・・
どこの部屋の力士も
師匠の現役の地位を抜かすと、天狗になりやすい。
相撲界では、横綱は神の存在。
横綱になろうものなら「馬耳東風」
師匠が平幕なら、尚更何も言えない。
栃ノ心はそうならないだろうが… まあ、親方は色々あったけど、栃ノ心にとっては日本の親。
栃ノ心は土俵上での振る舞いも含め、人に対して気遣いが出来る力士だね。 いつまで経っても、春日野親方批判。
一部のネトウヨは栃ノ心と親方が本気で向き合った結果を理解出来ないらしい。
春日野親方と日本大学の内田の違いが解らないみたいだね。
春日野親方を別に好きでは無いけど、
この二人は素敵な師弟関係だと思いますよ。 この弟子にして、この大カバ親方!
弟子に日本人の心を教えてもらえ! 苦心を重ねた分だけ、栃ノ心は人間的にも大きくなった。
春日野部屋付きの岩友親方は栃ノ心を入門時から知っており、十両昇進が同時。
「(新十両で)初めて給料をもらった時、2人いっしょに部屋で大喜びしたのを覚えている」と懐かしむ。
親方になった今も稽古場でまわしを締め、栃ノ心に胸を出している。
公私で良き兄貴分は「ケガをして、いろんな人に支えてもらったのが分かったんじゃないかな」と察する。
退院後は何カ月も四股、すり足など基礎運動のみで相撲すら取らせてもらえぬ日々。
岩友親方は「栃ノ心は気持ちの弱いところがある。『ダメだ、どうしよう』って。
しょっちゅう『やめようかな』って言っていた。師匠に怒られてすぐ泣くんだよ」と明かす。
どん底の日々を師匠春日野親方、女将さん、部屋の力士の励ましがあり、乗り越えられた。
相撲を取る稽古を再開してからは、目の色が変わった。番付も急上昇。
20代半ばまでやんちゃなところがあった栃ノ心は大人になっていた。若い衆に積極的 に声をかけ、
部屋を引っ張る存在になった。「落ちて見えるものがある。付け人にも思いやる姿になった。
ケガがあったから今がある」と岩友親方。初場所で初優勝した後、栃ノ心は部屋の全員を連れて
焼き肉をふるまい、ねぎらったという。 場所中の朝稽古後、栃ノ心は必ず15分は記者の囲みに応じ、相撲以外の話も嫌な顔一つせず答えた。
来日前、柔道ではジョージアのジュニア代表選手。 2000年シドニー五輪100キロ級金メダリストの
井上康生にあこがれ、「あの内股はすごいな」と目を少年のように輝かせていた。
特に食べ物の話は大好き。食事のメニューは連日、豪快だった。「うにいくら丼、握り寿司2人前、
夜にまだおなかすいたから自分で納豆オムレツつくって食べた」と笑う。
12日目には横綱白鵬を初撃破したが、その前夜はうなぎを食べていた。「ひつまぶし2人前、海鮮丼、あとはピザ。
はちみつ塗って」。底なしの食欲がパワーの源であることを痛感させられた。カスピ海ヨーグルト、
母国から送られたハチミツを毎日、食べるのが健康法。料理するのも大好きで6本のマイ包丁があり、
ジョージア料理もお手の物。場所中、お酒は飲まないが、ジョージアの実家はワインを作っている。
「2トン作って1年持たないんだ」と一家で酒豪ぞろいのよう。祖父がアルコール度数70度の酒を作って
飲んでいた話も楽しそうに話し続けた。
右四つに組み、剛力の左上手は無敵。体重200キロを吊(つ)り上げて観客を沸かせるなど
栃ノ心にしかできぬ芸当だ。しこ名に入る「心」は日本の心を持つことを願ってのもの。
日本を愛し、ジョージアを愛し、誰からも愛される「怪力大関」が誕生した。 昔の時代では吊り出す力士は多数いたけど、今ではこの人しかいない!
名古屋場所で吊り出しの決まり手を観たい! 優勝、昇進、人気&評価、帰郷・・・
今は最高に幸せな時だろうな 子供の頃から相撲を見てきて、嫌われ者と言われた横綱は二人いる。北の湖と白鵬だ。
北の湖は非情なほど強く、尊敬の意味を込めて嫌われ者の言われた。
だから、NHKアナもテレビで平気に嫌われ者と言ったが、これは褒め言葉だった。
白鵬は真逆だ。NHKアナは嫌わ れ者と絶対言わない。本当の嫌われ者だからだ。
栃ノ心には北の湖のような尊敬される「嫌われ者」と言われて欲しい! 大関昇進おめでとうございま〜す。
取組最初のバタつきを直してガップリ組めば、
今の栃ノ心を止められる力士は少ないですよね〜。 大関になったんだから、まわしを親方のお古から新しいものに変えてほしいな。 ジョージアの約400万人の国民が、栃ノ心の大関昇進に喜んでいる。
1991年に旧ソ連のロシアから独立、 2014年に、ロシア語のグルジアから、英語のジョージアに呼称を変更。
その間、ロシアとの紛争があり、波乱ずくめの国だった。
その中で、栃ノ心の活躍 は、ジョージア国民に勇気を与えた。
上原忠春ジョージア大使も、喜んでいた。
これからも、日本とジョージアの架け橋として、精進してほしい。 大関昇進おめでとうございます!
栃ノ心関らしい簡潔で心のこもった、誠意のある口上でしたね。
難しい四字熟語を使う関取が多いですが、栃ノ心関の人柄がにじみ出た内容でしたね。
これからも得意の右四つと怪力で前に向かって頑張って下さい。引いちゃ駄目ですよ。 応援します。
是非来場所は優勝して下さいね。 「親方が少しでも喜んでくれるとうれしい。ゼロから教えてくれたから」
栃ノ心のこの言葉に尽きるのではないか。
春日野親方のことを誹謗中傷する声が絶えないが、弟子である栃ノ心の感謝の言葉の前にそれらの汚い言葉が霞んでしまう。 いい顔してる。
さっさと横綱になって引退してハリウッドで本格アクションスターになって相撲の本当の強さを世界中に見せつけて欲しい。 黒海というシコ名から、「栃の心」と改名して良かったですね!!! そういや、栃ノ心がジョージア語しゃべってるの聞いたことないな
英語もない(英語、普通にしゃべれるのか) 2006年3月、角界の門を叩いた18歳のレヴァニ・ゴルガゼ――栃ノ心は、
約7800キロ離れたジョージアから数枚のプリントを手にし、来日した。
そのプリント紙には、母国ジョージア語の単語を日本語に訳したものが、ただ羅列されているだけだった。
当時、入門13年目の幕下力士だった棟方弘光氏は、兄弟子として栃ノ心の「世話係」を命じられる。
「自分なりに言葉をインターネットで調べてわざわざ持って来たものだと思いますが、
なんだか実生活に必要じゃない、使えない言葉ばかりだったのを覚えているんですよ」
そう棟方氏は笑う。師匠夫人も大型書店を巡り、ジョージア語の辞書を探すのだが、当時は容易に見つからず。
ロシア語圏内の国であることから、ロシア語の辞書を購入してみたものの、
栃ノ心自身のロシア語能力はカタコト程度なのがわかる。
そこで、通訳としてジョージア大使館の職員を頼り、まずは日常生活に必要な言葉を教えてもらうこととなった。
栃ノ心、部屋の力士たちの双方が、ジョージア語のスペル表記、発音の仕方、日本語に置き換えての
意味を理解するべく、奮闘する。言葉の壁。意思の疎通の難しさ。
「それこそ“おはようございます”“ありがとうございます”からですよね。
僕だけでなく、周りも一生懸命でした。同期の力士が数人いたけれど、彼らは新弟子として常に一緒に働く。
掃除をしたり、ちゃんこ番をしたり、ゼスチャーを交えながら教えて、きっと一番苦労したんじゃないかと思いますよ」
毎日の生活を共にする相撲部屋ならではで、その後の栃ノ心は、言葉の上達が速かったというが、
「今、なんと言ったんデスカ?」とひとつひとつ聞き返し、スペルと意味を書き留める日々だった。
青森県弘前市出身の棟方氏だからこそ、言葉の重要性を身に染みて感じてもいた。
「こっちは津軽弁だし、同じ日本人なのに『何を言っているのかわからない』と言われる。
気後れして、まともに会話ができないんです。でも、僕はたまたま同郷の兄弟子がいたので支え合えたけれど、
栃ノ心は――もっともっとつらかっただろうと思うんです」
「レヴァニはなんで泣いているんだ?」
兄弟子だった棟方氏には、今でも記憶に残る光景がある。それは入門後間もない栃ノ心が新弟子検査を受検する頃のこと。
大部屋の隅で、何時間ものあいだ、大きな体を縮こまらせ、ひとりで泣いていたのだという。
「レヴァニはなんで泣いているんだろう?」「何かあったのかな?」そう周囲は心配するものの、この時はまだ、
誰も掛ける言葉を持っていなかった。もどかしく思いながら、見守ることしかできない。
しかし、栃ノ心のその全身から「近づかないでくれ。そっとしておいてくれ」との雰囲気だけは感じ取れた。
「後でわかったことなんですが、栃ノ心は、忙しいお母さんに代わって祖父母に育てられたようで、
おばあちゃん子だったらしいんです。そのおばあちゃんが亡くなったとのことだったんですよね……」 意思の疎通もままならないストレスを感じながら、栃ノ心の唯一の救いは、同胞の臥牙丸が、
すでに木瀬部屋に入門していたことだった。ちなみに臥牙丸が入 門した2005年当時、
日本に在留するジョージア人は、たった3人。そのうちのふたりは'01年に来日し、ジョージア初の力士となった黒海と、
その弟だった。幸いなことに、臥牙丸の所属する木瀬部屋と春日野部屋は近く、
その中間地点にある小さな公園で落ち合い、思い切り母国語で語り合った。
ストレスを発散し、励まし合い、持ちうる情報を互いに交換して、日本を――相撲界を学んだ。
「若い頃は100円しか持ってない時もあってね。これでアイスを買うか、ジュースを買うか悩んで……。
お互いに時間を見つけて、門限ギリギリの時間まで話していましたよ」
そう懐かしむ栃ノ心は、現在、この思い出の公園が一望できるマンションに住んでいる。
'08年、栃ノ心の新十両昇進を見届ける形で引退し、故郷の青森に帰った棟方氏は、以来10年ぶりに、
かつての弟弟子と会話した。それは栃ノ心が初優勝した今年一月場所後のこと。春日野部屋に電話を入れると、
近くにいた栃ノ心が代わって電話口に出たのだという。ふたりの10年ぶりの会話は?
「すっかり日本語が上手になっていてね。初優勝した時に、かつての僕に感謝していると言ってくれたらしく、
驚きました。それで僕宛てにいろいろ取材の電 話が掛かって来てもいたので、『ご迷惑掛けてすみません』と
栃ノ心が言うんです。そうやって気も遣えるし、冗談も言えるようになっていました(笑)。
覚え ていてくれてうれしいですよ。あの頃の僕は、ただ同じ力士として接していただけなのに――」
大関昇進伝達式前夜、「口上を間違う夢を見たり、5回も6回も目が覚めてしまった」という新大関は、
力強い口調で、来し方の思いをその一言一言に込めた。
「謹んでお受け致します。親方の教えを守り、力士の手本となるように稽古に精進します。
本日は誠にありがとうございました」
思い起こせば12年前、ただ単語を羅列しただけの数枚の紙を手に、カスピ海を渡った18歳の青年――。
晴れの日の、その口上のできばえに、師匠は「最高点だな」と顔をほころばせた。 下積み時代、ガガ丸と夜に会っていた公園って、
春日野部屋とガガ丸所属の木瀬部屋との中間点とのことだが、
両国公園か千歳公園のどっちかだろうね。 30歳を過ぎてからの“急成長”は珍しいケース。昨年11月に待望の長女・アナスタシアちゃんが
生まれたことも、励みになっているようです。
栃ノ心は黒海の東岸にある国・ジョージアの出身。'15年6月に結婚したニノ夫人は幼なじみだったという。
栃ノ心の実家はジョージアでワイン農家を営んでいますが、ニノ夫人の実家もすぐ近くです。
2人は高校時代から交際していたそうです。
2人の新居は、春日野部屋の近くにある2LDKのマンション。
「奥さんは、すごく背が高い美人さんですよね。コンビニでいっしょに買い物をしているのを、
何度か見かけました」(近所の住人)
その愛妻・ニノさんは昨年から出産のため、ジョージアに戻っているのだ。
きっと栃ノ心も、妻や娘と日本で生活する日を心待ちにしていることだろう。
だが5月下旬、栃ノ心に取材をしたのだが、その反応は予想外のものだった。 ーー今場所は快進撃が続いていますね。
「ええ、ありがとうございます(笑顔でうなずく)」
ーー奥さんもジョージアで喜んでいらっしゃるでしょうね。いつごろ日本にいらっしゃる予定なのでしょうか?
「何でそんなこと聞くの!」
表情がにわかに厳しくなり、声に怒りがにじんでいた。
(……その話はしたくないんだな)
驚く私を残したまま、栃ノ心は歩いていった。
なぜ彼は妻子の来日の話題を避けたがったのか? 彼をよく知る相撲関係者は言う。
「栃ノ心が、奥さんの話をあまりしなくなったのは3月ごろからだったと思います」
実は3月中旬に写真週刊誌FRIDAYが、栃ノ心と美女との同棲を報じているのだ。
「ニノ夫人からすれば裏切り行為ですからね……。写真週刊誌の報道が、栃ノ心と夫人の関係を
ギクシャクさせているのだと思います」
6月には、新大関としてジョージアに一時帰国する予定だという栃ノ心。
長女・アナスタシアちゃんとの初対面は楽しみにちがいないが、
浮気を怒っているニノ夫人のことを考えると気が重いことだろう。 >>444
なあ。我々ファンはそれ含めてノシンを応援しているよ。
奥様には気の毒だったけど、まだ復縁がないわけじゃないし見守るのみだよ 栃ノ心は筋肉隆々の体つきしてるから、横綱土俵入りしたら相当かっこいいだろうなぁ。
やっぱり、ここまで来たら横綱目指して頑張ってほしい。
大関昇進おめでとう。チャンスを確実にモノにした昇進は見事ですね。
更に力を付けるのと、怪我に気を付けて横綱昇進チャンスも掴んで欲しいです。 横綱にならず大関で長くいる方が得。
稀勢の里みてごらんw
横綱になると、
やれ品格だ、勝ち方が横綱らしくないだの
文句言われるよ 雑誌フライデーが報じたところによると、
2018年2月8日に、都内の自分のマンションで美人と同居し、
二人がベランダで仲良く洗濯物を取り込む姿を激写されています。
2月12日は、焼き肉店で食事をして、
警戒したのか時間差で店を出てくる2人をそれぞれ激写されていました。
愛妻家として知られていただけに今回の栃ノ心の行動は、残念でたまりません。
大好きな力士だっただけに・・・。力士ってこんなのばっかなのぉ?
同棲してるの? 赤ちゃん生まれたばっかで、なんなのかしら。
女のあたしにはホント理解できな〜い ◉◉◉◉◉栃ノ心が横綱になるための最大の壁は、稀勢の里。◉◉◉◉◉
◉◉◉◉◉大横綱の稀勢の里に勝てないと、綱取りは難しい。◉◉◉◉◉ 真夜中のうら寂しい山道を一人で車を走らせていると、バックミラーに栃ノ心が狂ったように
笑いながら追っかけてくるのが見えました。いくらスピードをあげてもピタッとついてきます。
ブレーキをかけて止まって振り向くと、栃ノ心の姿はありません。気味悪くなり、また発進し、
スピードをあげると、栃ノ心が再びバックミラーに写り、けたたましく笑っています。
その繰り返しで延々と走り続けると、東の空が明るんできて、いつのまにか栃ノ心は
バックミラーから消えていました。その後ドライブインで夜明けの珈琲を飲みながら気分を鎮めていると、
栃ノ心の笑い声だけが、また静かな店の窓外から微かに響いてくるのでした。 走る新幹線の窓に、栃ノ心の頭部がピタッとくっついていました。
なにぶん高速のため、髪の毛がけたたましく、なびいています。
よく見ると、眼を赤くして泣いているようです。
熱海を過ぎた辺りで、栃ノ心の頭部はペロンと剥がれて、
何処か遠くへ飛んでいってしまいました。
窓ガラスには、栃ノ心の流した涙が斜陽に光って残っていました。 激しい雨の日の午後、部屋の窓から庭を見やると、
ずぶぬれの栃ノ心が灰色の石灯籠のようにじっと動かず、私を見ている。
時折、彼の目が鋭く光る。黒い烏が栃ノ心の肩にとまり、また飛び立つ。
雨脚は一層強まり、栃ノ心に横殴りで吹き付ける。
それでも栃ノ心はじっと動かず、私を見ている。 栃ノ心が、東京スカイツリーに置き換わっっていた
体長634メートルの栃ノ心
微動だにせず、西陽を浴びて、浅草方面をじっと睨んでいる 目を覚ますと、私は蠅になっていました。
変わり果てた姿を鏡で見てから、外へ飛んで行きました。
とある公園の中に入ると、栃ノ心がベンチに腰掛けていました。
栃ノ心の膝にとまると、手で叩き潰され、
私の死骸がポトリと地面に落ちました。 そして、
さらに栃ノ心は足で私の死骸を蹴飛ばしました。 私は温泉饅頭になって、栃ノ心にガブリと食べられました。
とても幸せな気分で栃ノ心の食道を通っていきました。
胃をとおり、十二指腸をとおり、小腸・大腸をとおり、気持ちよく消化されながら進んでいくと、
なんだかだんだん臭くなってきて、しまいには栃ノ心の体外にヌルヌルと出てしまいました。
結局、私は栃ノ心の大便となり、そして便器から勢いよく流されました。
今では、何処の誰か判らない人々の糞尿と共に、私は下水道にプカプカ浮いています。 栃ノ心の目玉が、小川にプカプカ浮いて流れている。
陽光をいっぱい浴びて、宝石のように輝きながら流れている。
湖に流れ出ると、栃ノ心の目玉は深く深く沈んでいった。 >428 黒海というシコ名から、「栃の心」と改名
なんかしない
髭の濃かった「黒海」は引退
【栃ノ心が遂に帰国】
大関へ昇進した栃ノ心が6月3日、昨年5月以来1年ぶりに母国ジョージアへ帰国。
5日にはギオルギ・マルグベラシビリ大統領(48)、スポーツ大臣らを訪ねるという。
栃ノ心はこの日、東京・両国国技館で行われた同じ出羽海一門の親方の襲名披露パーティーに姿をみせ、
「(母国では)スケジュールが入っていて、一 日も休みがない。
空港にも出迎えがくるみたいだし、テレビ出演もある。大変だよ」。
滞在中は弟ラシャさんの結婚式にも出席する。
ジョージアには現在、ビニール製の土俵はあるが、本格的なものはない。
そこで大統領以下、政府要人と会った際に「土の土俵をつくってもらえるようにお願いしたい」と直訴するという。
相撲界の看板力士にしかできない“相撲外交”を展開し、12日に再来日する予定。 弟さんの結婚式、栃ノ心関の大関昇進、おめでとうございます。
昨年11月に生まれた娘さんや、奥さんとの念願かなった再会、さぞ嬉しいことでしょうね。
名古屋場所での活躍を期待しております。 母国に凱旋、
奥さんと我が子に会えますね。
次の凱旋の時は横綱ですね!
但し、余り祝賀行事疲れなどに
成らない様にして下さい。
そんな力士も居ましたから、、、 新大関は嬉しいだろうし、母国に凱旋帰国も誇らしいことだろうが、
天狗になって精進を怠ることがないようにしてほしい。
そうすれば横綱も見えてくることだろう。
まあ栃ノ心なら大丈夫さ! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています