栃ノ心の時代到来へ!
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豪栄道に喝を入れるべく活躍して欲しい。
稀勢の里は諦めた。 こんなに愛されてる外国人力士は珍しいと思う!高見山以来か?
頑張った人が報われるのは素直に嬉しい。大関になっても頑張って優勝してほしい! そうか、東京オリンピックで土俵入りする可能性もゼロではないのか。
絵になりそうだし、見てみたいな 栃ノ心の大関昇進は角界にとって、久しぶりの明るい話題。
伝達式にはどんな言葉(口上)を述べるんだろう?
今から楽しみw 「親方の教えを守り、力士の手本となるように稽古に精進します」
しこ名が栃ノ心だから「心」という一文字を入れるんじゃないか?
と予想していたが。
一文字はなかったが・・・
素直な気持ちが伝わってきて、「心」に響いた。
そういう意味では「心」がしっかり入っていた。
感動した! TVで元琴欧州が、
「関取から幕下まで落ちたら普通は腐ってしまってやる気も失くし、這い上がってくる者はいない」
「(だから)彼はすごい」というようなことを解説していました。
納得です。
本当に栃ノ心はすごい力士ですね。
おめでとうございます。 相撲界の久しぶりにさわやかなニュース!優勝争いの常連になってほしいと思います。
問題は昇進してから。
昇進するまでは周りも盛り上げてくれるけど、成績が落ちたり内容が悪ければ対応も変わる。
野球もサッカーもそれは同じ。厳しい視線を向けられることに耐え抜いてほしい。 −今の心境は。
栃ノ心 すごくうれしい。ここまで優勝してからのうれしさと、こういううれしさが2回目で、
本当にすごくうれしいです。
−使者を迎えるまでは。
栃ノ心 緊張しました。きのうからずっと緊張していました。(口上を)言えるかどうか。
眠れたけど5、6回起きて、何回でも勉強しましたね。
−口上にどんな思いを込めたか。
栃ノ心 私の気持ちが言いたくて。親方は反対したところがあったけど、どうしても
「親方」という言葉を入れたくて、何度もお願いした。
−それはなぜ。
栃ノ心 18歳になる前にジョージアから来て、日本語も全然知らなくて相撲も知らなくて、
親方がゼロ(の状態)から教えてくれたので。
−「稽古」という言葉は。
栃ノ心 これからも稽古に精進して、力士の皆さんが自分のまねをするように、それぐらい頑張りたい。
−口上の出来は百点満点?
栃ノ心 はい。
−どんな大関を目指すか。
栃ノ心 せっかくなったので、うれしいですけど、これからも大変と思うから、
もっともっと頑張って強い体をつくって、力強い相撲を取りたい。
−来日して12年。思い浮かんだことは。
栃ノ心 もう12年…。やっぱり(右膝を)けがして幕下まで落ちて、そこから十両に戻って
全勝優勝した時、今まで十両で全勝優勝した力士はみんな横綱・ 大関になっていると聞いたけど、
自信がなかった。大関にはなりたかったけど、なれるかどうかというのがあって、
本当になったのでうれしい。 −師匠はけがで大関昇進を果たせなかったが。
栃ノ心 私の番付が上がって親方が少しでも喜んでくれると自分もうれしいので、よかった。
−自分の相撲とは。
栃ノ心 親方からいつも、まず立ち合いに当たって、相手を突っ張って起こしてから
まわしを取れと教わっているので、そういう相撲を取りたい。
−日本のいいところは。
栃ノ心 日本人は優しいところが好きですね。あと、真面目なところ。
−口上に「力士の手本」と入れた思いは。
栃ノ心 若い子たちがまねするぐらい頑張りたいなと。
−ジョージアの人たちにどんな言葉を。
栃ノ心 みんな一生懸命応援してくれているので、これからも応援してくれるように頑張りたい。
−もう一つ上(横綱)を期待する声もあるが。
栃ノ心 そういうのはまだ考えない。自分の相撲を取りたいだけなので。
−名古屋場所の目標を。
栃ノ心 まず2桁勝ちたい。 −師匠は今、どんな気持ちか。
春日野親方 まさかの優勝から始まり、こんなに近いうちにこうなるとは思ってもみないし、
うちの部屋から大関を出せるなんて思っていなかった。突然のことが二つ続き、非常にうれしいのもあるが、
大変だと思うことが多いですね。
−春日野部屋を継いで15年。
春日野 (創設から)90年以上の部屋なので、強い力士、歴史に名を残す力士がたくさんいて、
その中で(過去に)大関は3人いて2人(栃錦、栃ノ海)は横綱になっている。それに並ぶまでもいかないだろうが、
できるだけ近くに寄りたいというのは常にあった。
−伝達式は56年ぶりで、床柱と掛け軸は当時の物だとか。
春日野 こういう形でやりたいという思いは常日頃からあって、(当日が)近づくにつれてさらに強くなった。
−きょうは先代師匠(元横綱栃ノ海)の姿も。
春日野 電話して「来てください」と言ったら二つ返事で「よし」と。それもうれしいサプライズ。
−口上は一緒に考えたか。
春日野 作るというより、いっぱいキーワードを挙げて削除していったら、本人が「言いたいことがあるんですけど」と
言うので(入れた)。稽古で上がってきた力士なので、ぴったりだと思う。
−「親方」という言葉は。
春日野 うれしいけど、細かく絞らなくてもと…私の意図したところではないですよ(笑)。
−口上を隣で聞く心境は。
春日野 ちゃんとしゃべれと思っていた。ちょっと滑舌が…でも精いっぱい頑張ったと思う。
−どんな大関になってほしいか。
春日野 相撲協会の看板力士の一人だから、常に優勝に絡むようにならないと。
そのためにはさらに頑丈な体を作ってもらいたい。 体力、技術のバランスからも今がピークの状態じゃないかな。
右四つ左上手の型にはまれば、今一番安心出来る力士かもしれないが、
立ち合いの前捌きが、やはり鶴竜の方が一枚も二枚も上手だった。
自分の型に持ち込む為にも、上手を取る為に引っ張り込むのではなく、
立ち合いを厳しく踏み込めれば、おのずと横綱の可能性が見えて来る。
日馬富士が引退、白鵬に明らかに衰えが見える現在、優勝へのチャンス。
そのためには、勝負を焦って下の力士に取りこぼさない事も重要。
横綱になるならここ1〜2年でならないと。
人柄は文句無さそうだし、まずは古傷や右手他、
身体のケアに今まで以上に気を配って頑張って欲しい。
いっぽう、横綱になった力士となれなかった力士を見ると、
フィジカルな面と同時にメンタル面が大きいと思う。
ここ一番という重要なところで自分の相撲が取れる力士は横綱になっている。
そういう意味では栃ノ心は可能性が十分あると思う。 口上の中の、
親方の教えを守り、と言うのは、
春日野親方が反対したんですってね。
それでも、この言葉を入れたかったんですって。
栃ノ心と親方の信頼関係が揺るぎないものという事の表れですね。
ゴルフクラブで叩いたのも、春日野親方が本気で栃ノ心に向き合ったからでしょう。
皆さん、マスコミの報道だけで春日野親方を批判するのは、いい加減にやめましょう。
素敵な師弟関係だと思いますよ。
朝青龍や白鵬なんて、親方の地位を超えたら、見下していたからな!
白鵬なんて、来日時はガリガリで小さく、大きな部屋では相手にもされなかったのを引き取り、
背が高く身体も大きくなるように食事から気を使ったのによ!
悲しいものだぜバカヤロ!!!
まあ、栃ノ心にとって春日野は、いい親方なんだろうな......... 今の状態なら可能性無いわけでもないが
横綱に上がるには、2場所連続優勝が条件
ましてや栃の心は外国人力士
貴乃花は優勝と準優勝の救済措置で上がれたが
これまで外国人力士が、この救済措置で横綱に上がった事はない
白鵬が以前程の力は無くなってきたが
まだまだ優勝争いに残る相撲をとっている
鶴竜は安定した強さを取り戻している
かなり厳しいだろう
なって欲しいけど >>357
悪いことしたら本気で怒ってくれる親父なんだろうね。 昨年末に、次の大関が栃ノ心と予想した人は何人いるのか?ってくらいに意外なここ3場所でしたね。
かつての悪い栃ノ心がもう出てこないよう、大関の肩書につぶされぬよう、さらなる大暴れを期待しています! 「満場一致」で決定したようだな
ま、反対する奴がいるわけない
引かない、変わらない、殴らないw・・・
真っ向勝負の力強い大関誕生! 今の力をキープ出来れば横綱になれそう。
しかし、モンゴル2横綱に対しての通算成績が悪すぎて、常に準優勝ポジションに留まる可能性もある。
初顔合わせから10年でようやく初勝利した相手を大関になってから急に毎場所倒せるとは考えにくい。
また、力で相撲を取っている分、膝の怪我が再発するリスクもある。
ただ、白鵬のほうはピークを過ぎた感もあるだけにチャンスはあるな。
(逆に鶴竜は、一皮むけた感じになり強敵になっちゃったが......)
なんにしても、技をもう少し磨いてほしいところだ。 >>357
白鵬が親方を見下しているようには見えないけど。言いたいことはわかるが。
師弟で格差が出すぎると大変だよね。でもいつも宮城野親方からかわいい、ありがたい、大事な弟子というのが
話ぶりから感じられるよ。だから外野が簡単にそう言うのが納得いかないなあ。 栃ノ心の取り組みになると、力入る。
毎回、必ず立ち上がって応援している。
「親方が喜んでくれてうれしい」
この言葉に、親方を批判するのは、
もうやめると決めた。
栃ノ心から日本の心を教えられる。
立派な横綱になると信じている。 暴行事件の隠蔽と巡業での嘘つき発言と何かにつけデタラメな親方をゴルフクラブで殴ってやれ! 春日野は最低と言う奴らが多いが、ゴルフクラブ事件などがあっても
栃ノ心にこれだけ慕われてるということは
メディアに出ない部分では魅力ある親方なんだろう。
いろいろ批判されている師匠だが、完治優先させるところは弟子思いのしっかりした師匠だ。
照ノ富士、遠藤、稀勢の里なんかを見てるとね。w 努力の人栃ノ心の好成績、大関昇進、誠に喜ばしいが、
ただ一つ難点は、師匠があのヤクザな春日野親方だということ!
親方の極悪な裏の顔を知ってんのかなあ・・・? ジョージアの栃ノ心の実家では27日、家族や友人ら数人が千秋楽の模様をインターネット動画中継で観戦していた。
13勝目を挙げ、優勝決定戦進出に望みをつなぐと、幼少期に柔道を教えたコーチのギビ・イシハニシビリさん(75)が
「ジョージア中が歓喜している」と大声で叫び、一同が拍手。息子の取組を動画中継 ですべて見続けているという母ヌヌさん(52)は
「もう彼は大関だ。(うれしくて)言葉にならない。もう1度優勝してほしいし、横綱になれるように祈っている」と語った。
栃ノ心の周囲からも、もう1つ上の地位を期待する声が上がった。大関昇進会見を見守ったツィンツァゼ駐日ジョージア全権特命大使は
「今年中に横綱になって欲しい。 力、スタミナ、精神を彼は持っている」。先代春日野親方で元横綱栃ノ海の花田茂広氏も、
「手綱を緩めず一気に上にあがることを期待します」と、昇進を待ち遠しそうにした。 白鵬は徐々に力が衰えてるし、
鶴竜も毎場所連続して優勝という事にはならないと思うし、
だからといって、あの日本人の横綱や、あのヘタレ大関が優勝する可能性は極めて低いだろう。
(まあ、中では高安が一番確立が高いかな)
ということは、今年中かどうかは分からないが、
栃ノ心が横綱になる可能性は、そこそこあると思う。
(その他のライバルは逸ノ城とか、御嶽海とかだろうが、彼らの優勝となると......) もっと世界中に日本の相撲は億稼げるスポーツだと知ってもらった方が良い。
2m超えの巨漢のアメリカ人とかに挑戦してほしい。 栃ノ心も含めて、上位陣はベテランばかりになってきましたね。
大関昇進はめでたいが、角界としては次代を担う若手がもっと活躍して欲しいでしょうね。 大関・横綱が怪我で本調子ではなかったり、加齢で力が落ちてきていたりする。この勢いで一気にいければ可能性は十分にある。
外国人だから、日本や相撲の文化に慣れるのに時間がかかったかもしれない。大怪我もあったし。だからスロー出世は仕方ない。
これから、爆発的にすべてに飛躍してほしい。 横綱栃ノ心の土俵入り、
滅茶苦茶カッコエエやろなぁ〜
今までの欧州勢の力士たちの力任せの相撲から
身体のちょっとした動きからできる「いなし」や
省エネ(古武術的)の身体操作を覚えてもらいたいなぁ〜 同じIDで長文連投してる人、
これ手打ちなのか?
コピペにしてもどこから原文引っ張り出してきてんだよ 春日野氏はお洒落だな
俺には判る
スーツの仕立ても良いし
ネクタイのセンスも渋い
シャツにもこだわっている
俺には判る 相撲
夏場所総決算号6頁
当初、栃ノ心の敢闘賞は、優勝が条件だったが、
武双山から『優勝しなくても千秋楽に勝って13勝すればあげてもいいのでは』との提案により、
栃ノ心は、千秋楽で勝ち、敢闘賞と技能賞の二つに輝いた。
栃ノ心は、藤島親方に御礼を言っておけ! 相撲
夏場所総決算号6頁
当初、栃ノ心の敢闘賞は、優勝が条件だったが、
武双山から『優勝しなくても千秋楽に勝って13勝すればあげてもいいのでは』との提案により、
栃ノ心は、千秋楽で勝ち、敢闘賞と技能賞の二つに輝いた。
栃ノ心は、藤島親方に御礼を言っておけ! 伝達式で、栃 ノ心は「親方」の言葉を入れる異例の口上で師匠への感謝の気持ちを表した。2006年の入門以来、春日野親方の
厳しくも温かい指導を受けて12年あまり。大関昇進を伝える使者を迎えた栃ノ心は「謹んでお受けいたします。親方の教えを守り、
力士の手本となるように稽古に精進します」と口上を述べた。大関としての決意を表す口上の中に「親方」の言葉が入るのは極めて異例だ。
師匠の春日野親方は当初は難色を示していたが、最後は栃ノ心の「自分の気持ちを言いたい」という熱意に押される形で了承した。
新大関は「どうしても『親方』を入れたかった。18歳になる前に日本に来て、日本語も全然知らなくて、相撲も知らなくて。
親方から、ゼロから教えてもらった。(師匠には)反対されたけど、何度もお願いしてこれに決めました」と言葉に込めた意味を明かした。
若き日の栃ノ心は、春日野親方いわく「やんちゃだった」。厳格な指導で知られる師匠を何度も怒らせた。
服装違反となるTシャツ姿で繁華街を闊歩し、部屋 の門限を破って飲み歩いた。11年10月には親方を激怒させて
“鉄拳制裁”を食らい、土俵で相撲を取る稽古を禁じられた。稽古の再開を許されたのは、11 月場所になってからだった。
栃ノ心は「稽古で体を動かすのは、こんなに気持ちがいいんだね。(自分は)やっぱり稽古が好きなんだなって思った」。
力士としての本分に気づかされた。師匠には厳しさだけではなく、優しさでも救われた。 13年7月場所で右ヒザの靱帯を断裂する大ケガを負った。4場所連続の休場で番付は西幕下55枚目ま で陥落した。
稽古場で栃煌山(31)と碧山(31)がぶつかり合う姿を見て「もう2人とは稽古ができないな」と気落ちした。
どん底にいた時期、親方からかけられた言葉は今でも忘れられない。栃ノ心は「自分の中では(相撲を)やめる気持ちもあった。
その時に師匠と相談して『あ と10年頑張れ』と言われた。それが心に一番残っている。一番、つらい時だったから」。
親方からの励ましがなければ「大関栃ノ心」も誕生しなかった。
春日野部屋は来週から稽古を再開する予定。栃ノ心は当初、母国ジョージアへ帰らずに部屋の稽古に参加することを申し出ていたという。
春日野親方からの返答は「稽古はいいから、国へ帰れ!」。
大関の地位を引っ提げての凱旋帰国は、師匠がくれた何よりの“ご褒美”と言えそうだ。 2017年の鶴竜は休場続きでほとんど土俵に上がってないけど 、
その間に、白鵬が衰え、日馬が事件起こして引退し、稀勢が怪我した。
寝てる間にいろんなことがあって、
2018年になって目が覚めたら、自分の時代になってたというのが面白い。
想定外なのは、栃ノ心の躍進だけw 今回、アナスターシャちゃんの話題が全く無いのが不思議 【栃ノ心と臥牙丸、最高の友でありライバル】
ジョージア出身の栃ノ心が欧州出身で史上3人目の大関昇進を果たした。大相撲の現役力士で同国出身は2人だけ。
もう一人の臥牙丸も昇進を手放しで喜んでいた。
夏場所の千秋楽。十両で4勝11敗と負け越しても臥牙丸は笑顔で対応してくれた。栃ノ心とは柔道を通じて11歳から
親交がある。臥牙丸が1歳上だが、切 磋琢磨しながら競い合ってきた。その臥牙丸から「昨年の1月、栃ノ心は相撲をやめよう
と思っていた」と衝撃発言が飛び出した。初場所の5日目。あの正代との一番で古傷の右膝を痛めて休場した時のことだ。
「あの時は相当、ショックを受けていた。『もし右膝の靱帯が再び切れていたらオレは相撲をやめる』とね。
私も心配になり、2人で夜遅く国技館 近くの病院に行った。病院の電気は消えていて『お願いします』と頭を下げて、
MRI(磁気共鳴画像装置)のスイッチを入れてもらった。検査の結果、切れていなかった。その時は2人『良かった』と泣いたよ」
臥牙丸は以前、体重超過で調子を崩し膝を痛めたことがある。助け舟を出したのが栃ノ心の妻ニノさんだった。
ジョージアに伝わる「ヨーグルト・ダイエット法」を教えたという。忠実に守った臥牙丸はダイエットに成功。調子を取り戻した。
「先輩(私のこと)もやった方がいい。朝、ヨーグルトに蜂蜜を入れて食べ てごらん。一発だよ」と教えてくれた。
栃ノ心に芋焼酎の炭酸割りのおいしさを教えたのは臥牙丸だった。「焼酎3に炭酸7で割って、レモンも少し入れる。
最高だよ」と栃ノ心。土俵の上では良きライバルも、土俵の外では良き友でもある。 優勝は逃したけど、間違いなく話題の中心になったし、場所を盛り上げてくれた。
来場所も頑張れ! 相撲界も地位が人を変える・・・
どこの部屋の力士も
師匠の現役の地位を抜かすと、天狗になりやすい。
相撲界では、横綱は神の存在。
横綱になろうものなら「馬耳東風」
師匠が平幕なら、尚更何も言えない。
栃ノ心はそうならないだろうが… まあ、親方は色々あったけど、栃ノ心にとっては日本の親。
栃ノ心は土俵上での振る舞いも含め、人に対して気遣いが出来る力士だね。 いつまで経っても、春日野親方批判。
一部のネトウヨは栃ノ心と親方が本気で向き合った結果を理解出来ないらしい。
春日野親方と日本大学の内田の違いが解らないみたいだね。
春日野親方を別に好きでは無いけど、
この二人は素敵な師弟関係だと思いますよ。 この弟子にして、この大カバ親方!
弟子に日本人の心を教えてもらえ! 苦心を重ねた分だけ、栃ノ心は人間的にも大きくなった。
春日野部屋付きの岩友親方は栃ノ心を入門時から知っており、十両昇進が同時。
「(新十両で)初めて給料をもらった時、2人いっしょに部屋で大喜びしたのを覚えている」と懐かしむ。
親方になった今も稽古場でまわしを締め、栃ノ心に胸を出している。
公私で良き兄貴分は「ケガをして、いろんな人に支えてもらったのが分かったんじゃないかな」と察する。
退院後は何カ月も四股、すり足など基礎運動のみで相撲すら取らせてもらえぬ日々。
岩友親方は「栃ノ心は気持ちの弱いところがある。『ダメだ、どうしよう』って。
しょっちゅう『やめようかな』って言っていた。師匠に怒られてすぐ泣くんだよ」と明かす。
どん底の日々を師匠春日野親方、女将さん、部屋の力士の励ましがあり、乗り越えられた。
相撲を取る稽古を再開してからは、目の色が変わった。番付も急上昇。
20代半ばまでやんちゃなところがあった栃ノ心は大人になっていた。若い衆に積極的 に声をかけ、
部屋を引っ張る存在になった。「落ちて見えるものがある。付け人にも思いやる姿になった。
ケガがあったから今がある」と岩友親方。初場所で初優勝した後、栃ノ心は部屋の全員を連れて
焼き肉をふるまい、ねぎらったという。 場所中の朝稽古後、栃ノ心は必ず15分は記者の囲みに応じ、相撲以外の話も嫌な顔一つせず答えた。
来日前、柔道ではジョージアのジュニア代表選手。 2000年シドニー五輪100キロ級金メダリストの
井上康生にあこがれ、「あの内股はすごいな」と目を少年のように輝かせていた。
特に食べ物の話は大好き。食事のメニューは連日、豪快だった。「うにいくら丼、握り寿司2人前、
夜にまだおなかすいたから自分で納豆オムレツつくって食べた」と笑う。
12日目には横綱白鵬を初撃破したが、その前夜はうなぎを食べていた。「ひつまぶし2人前、海鮮丼、あとはピザ。
はちみつ塗って」。底なしの食欲がパワーの源であることを痛感させられた。カスピ海ヨーグルト、
母国から送られたハチミツを毎日、食べるのが健康法。料理するのも大好きで6本のマイ包丁があり、
ジョージア料理もお手の物。場所中、お酒は飲まないが、ジョージアの実家はワインを作っている。
「2トン作って1年持たないんだ」と一家で酒豪ぞろいのよう。祖父がアルコール度数70度の酒を作って
飲んでいた話も楽しそうに話し続けた。
右四つに組み、剛力の左上手は無敵。体重200キロを吊(つ)り上げて観客を沸かせるなど
栃ノ心にしかできぬ芸当だ。しこ名に入る「心」は日本の心を持つことを願ってのもの。
日本を愛し、ジョージアを愛し、誰からも愛される「怪力大関」が誕生した。 昔の時代では吊り出す力士は多数いたけど、今ではこの人しかいない!
名古屋場所で吊り出しの決まり手を観たい! 優勝、昇進、人気&評価、帰郷・・・
今は最高に幸せな時だろうな 子供の頃から相撲を見てきて、嫌われ者と言われた横綱は二人いる。北の湖と白鵬だ。
北の湖は非情なほど強く、尊敬の意味を込めて嫌われ者の言われた。
だから、NHKアナもテレビで平気に嫌われ者と言ったが、これは褒め言葉だった。
白鵬は真逆だ。NHKアナは嫌わ れ者と絶対言わない。本当の嫌われ者だからだ。
栃ノ心には北の湖のような尊敬される「嫌われ者」と言われて欲しい! 大関昇進おめでとうございま〜す。
取組最初のバタつきを直してガップリ組めば、
今の栃ノ心を止められる力士は少ないですよね〜。 大関になったんだから、まわしを親方のお古から新しいものに変えてほしいな。 ジョージアの約400万人の国民が、栃ノ心の大関昇進に喜んでいる。
1991年に旧ソ連のロシアから独立、 2014年に、ロシア語のグルジアから、英語のジョージアに呼称を変更。
その間、ロシアとの紛争があり、波乱ずくめの国だった。
その中で、栃ノ心の活躍 は、ジョージア国民に勇気を与えた。
上原忠春ジョージア大使も、喜んでいた。
これからも、日本とジョージアの架け橋として、精進してほしい。 大関昇進おめでとうございます!
栃ノ心関らしい簡潔で心のこもった、誠意のある口上でしたね。
難しい四字熟語を使う関取が多いですが、栃ノ心関の人柄がにじみ出た内容でしたね。
これからも得意の右四つと怪力で前に向かって頑張って下さい。引いちゃ駄目ですよ。 応援します。
是非来場所は優勝して下さいね。 「親方が少しでも喜んでくれるとうれしい。ゼロから教えてくれたから」
栃ノ心のこの言葉に尽きるのではないか。
春日野親方のことを誹謗中傷する声が絶えないが、弟子である栃ノ心の感謝の言葉の前にそれらの汚い言葉が霞んでしまう。 いい顔してる。
さっさと横綱になって引退してハリウッドで本格アクションスターになって相撲の本当の強さを世界中に見せつけて欲しい。 黒海というシコ名から、「栃の心」と改名して良かったですね!!! そういや、栃ノ心がジョージア語しゃべってるの聞いたことないな
英語もない(英語、普通にしゃべれるのか) 2006年3月、角界の門を叩いた18歳のレヴァニ・ゴルガゼ――栃ノ心は、
約7800キロ離れたジョージアから数枚のプリントを手にし、来日した。
そのプリント紙には、母国ジョージア語の単語を日本語に訳したものが、ただ羅列されているだけだった。
当時、入門13年目の幕下力士だった棟方弘光氏は、兄弟子として栃ノ心の「世話係」を命じられる。
「自分なりに言葉をインターネットで調べてわざわざ持って来たものだと思いますが、
なんだか実生活に必要じゃない、使えない言葉ばかりだったのを覚えているんですよ」
そう棟方氏は笑う。師匠夫人も大型書店を巡り、ジョージア語の辞書を探すのだが、当時は容易に見つからず。
ロシア語圏内の国であることから、ロシア語の辞書を購入してみたものの、
栃ノ心自身のロシア語能力はカタコト程度なのがわかる。
そこで、通訳としてジョージア大使館の職員を頼り、まずは日常生活に必要な言葉を教えてもらうこととなった。
栃ノ心、部屋の力士たちの双方が、ジョージア語のスペル表記、発音の仕方、日本語に置き換えての
意味を理解するべく、奮闘する。言葉の壁。意思の疎通の難しさ。
「それこそ“おはようございます”“ありがとうございます”からですよね。
僕だけでなく、周りも一生懸命でした。同期の力士が数人いたけれど、彼らは新弟子として常に一緒に働く。
掃除をしたり、ちゃんこ番をしたり、ゼスチャーを交えながら教えて、きっと一番苦労したんじゃないかと思いますよ」
毎日の生活を共にする相撲部屋ならではで、その後の栃ノ心は、言葉の上達が速かったというが、
「今、なんと言ったんデスカ?」とひとつひとつ聞き返し、スペルと意味を書き留める日々だった。
青森県弘前市出身の棟方氏だからこそ、言葉の重要性を身に染みて感じてもいた。
「こっちは津軽弁だし、同じ日本人なのに『何を言っているのかわからない』と言われる。
気後れして、まともに会話ができないんです。でも、僕はたまたま同郷の兄弟子がいたので支え合えたけれど、
栃ノ心は――もっともっとつらかっただろうと思うんです」
「レヴァニはなんで泣いているんだ?」
兄弟子だった棟方氏には、今でも記憶に残る光景がある。それは入門後間もない栃ノ心が新弟子検査を受検する頃のこと。
大部屋の隅で、何時間ものあいだ、大きな体を縮こまらせ、ひとりで泣いていたのだという。
「レヴァニはなんで泣いているんだろう?」「何かあったのかな?」そう周囲は心配するものの、この時はまだ、
誰も掛ける言葉を持っていなかった。もどかしく思いながら、見守ることしかできない。
しかし、栃ノ心のその全身から「近づかないでくれ。そっとしておいてくれ」との雰囲気だけは感じ取れた。
「後でわかったことなんですが、栃ノ心は、忙しいお母さんに代わって祖父母に育てられたようで、
おばあちゃん子だったらしいんです。そのおばあちゃんが亡くなったとのことだったんですよね……」 意思の疎通もままならないストレスを感じながら、栃ノ心の唯一の救いは、同胞の臥牙丸が、
すでに木瀬部屋に入門していたことだった。ちなみに臥牙丸が入 門した2005年当時、
日本に在留するジョージア人は、たった3人。そのうちのふたりは'01年に来日し、ジョージア初の力士となった黒海と、
その弟だった。幸いなことに、臥牙丸の所属する木瀬部屋と春日野部屋は近く、
その中間地点にある小さな公園で落ち合い、思い切り母国語で語り合った。
ストレスを発散し、励まし合い、持ちうる情報を互いに交換して、日本を――相撲界を学んだ。
「若い頃は100円しか持ってない時もあってね。これでアイスを買うか、ジュースを買うか悩んで……。
お互いに時間を見つけて、門限ギリギリの時間まで話していましたよ」
そう懐かしむ栃ノ心は、現在、この思い出の公園が一望できるマンションに住んでいる。
'08年、栃ノ心の新十両昇進を見届ける形で引退し、故郷の青森に帰った棟方氏は、以来10年ぶりに、
かつての弟弟子と会話した。それは栃ノ心が初優勝した今年一月場所後のこと。春日野部屋に電話を入れると、
近くにいた栃ノ心が代わって電話口に出たのだという。ふたりの10年ぶりの会話は?
「すっかり日本語が上手になっていてね。初優勝した時に、かつての僕に感謝していると言ってくれたらしく、
驚きました。それで僕宛てにいろいろ取材の電 話が掛かって来てもいたので、『ご迷惑掛けてすみません』と
栃ノ心が言うんです。そうやって気も遣えるし、冗談も言えるようになっていました(笑)。
覚え ていてくれてうれしいですよ。あの頃の僕は、ただ同じ力士として接していただけなのに――」
大関昇進伝達式前夜、「口上を間違う夢を見たり、5回も6回も目が覚めてしまった」という新大関は、
力強い口調で、来し方の思いをその一言一言に込めた。
「謹んでお受け致します。親方の教えを守り、力士の手本となるように稽古に精進します。
本日は誠にありがとうございました」
思い起こせば12年前、ただ単語を羅列しただけの数枚の紙を手に、カスピ海を渡った18歳の青年――。
晴れの日の、その口上のできばえに、師匠は「最高点だな」と顔をほころばせた。 下積み時代、ガガ丸と夜に会っていた公園って、
春日野部屋とガガ丸所属の木瀬部屋との中間点とのことだが、
両国公園か千歳公園のどっちかだろうね。 30歳を過ぎてからの“急成長”は珍しいケース。昨年11月に待望の長女・アナスタシアちゃんが
生まれたことも、励みになっているようです。
栃ノ心は黒海の東岸にある国・ジョージアの出身。'15年6月に結婚したニノ夫人は幼なじみだったという。
栃ノ心の実家はジョージアでワイン農家を営んでいますが、ニノ夫人の実家もすぐ近くです。
2人は高校時代から交際していたそうです。
2人の新居は、春日野部屋の近くにある2LDKのマンション。
「奥さんは、すごく背が高い美人さんですよね。コンビニでいっしょに買い物をしているのを、
何度か見かけました」(近所の住人)
その愛妻・ニノさんは昨年から出産のため、ジョージアに戻っているのだ。
きっと栃ノ心も、妻や娘と日本で生活する日を心待ちにしていることだろう。
だが5月下旬、栃ノ心に取材をしたのだが、その反応は予想外のものだった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています