【筆翁】昭和の迷行司 3【江川勘太夫】
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【筆翁】昭和の迷行司 【江川勘太夫】
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Part2は実質0レスで落ちたんでスルーします。
懐かしの行司についてひっそりと語りましょう。 ヒゲの伊之助は、若い頃には男嶌の不浄負けとなった取組を裁いていたり、
四股名を間違えて呼んでしまったことがあったり、名行司でありながら、
迷行司っぽいエピソードも目立つ。 「男嶌を名乗るだけあって、なかなか立派なモノであったという」って一番か。
あれヒゲが裁いてたのか!
ヒゲは大正時代に二回三役格に昇格してんだよね。一回幕内格に降格したとか。 ロン毛庄之助のロン毛は結構重めのカットなんだよな。最近の女子高生の髪型に近い。 >>44
横の膨らみはいただけないな。もっと梳くか、栃飛龍のようにツーブロにすべきだった。 内山の親方が江川勘太夫について何と言っていたか知っているのか! 筆翁、江川勘、関口与太という、大正最終世代の個性的な行司が多かった良き時代。
その下には何れも名行司となる後藤、福井、茶原という昭和世代が台頭していた。
後藤さんは上記大正世代3人抜きで三役格へ昇格したが、生まれが早い福井さんや
茶原さんが先に入門していればこの2人までも追い抜いていたのであろうか? >>47
後藤さんの影響力はあの当時半端ではなかった。裁きの上手かった福井さんや土俵姿の美しかった茶原さんが霞んでしまうほどだった。まさに松翁の再来だったよ。そんなに上手かった訳じゃないんだけど政治力があったというか。ハッタリが効くというか??? 後藤
互いにみおうて!(待ったなし!)はっきおい、かかっいたかかいた、かかっいたかかいた、・・・
福井
待ったありません。双方手をついて!はっきよいのこったのこったのこったおっ、のこったのこったのこったおっ、・・・
茶原
時間です。睨み合ってぃ!手をついて、手をつい・・・はっきゅーぅ
い、かかいたかかいたかかいたかかいた、かかいたかかいたかかいたかかいた、・・・
江川
かんれすったなし。はーきょーぃなーたなーたなーた・・・ 茶原氏は晩年あまりろれつが回っていなかったが、やはりすぐお亡くなりになってしまった。 玉之助 アッ♡ アッ♡ アッ♡ アッ♡ アッ♡ アッ♡ アッ♡ アッ♡ アッ♡
多田 たいーったなし てうぉついた はきょう がーたがーたがーたがーたがーたがーたがーたがーたー
錦之助 へぁい じあんです! こしょーわってぃ! 手をついてぃ、手をついてぃ にょごーーーったにょごったにょごったにょごったにょごったにょご
棚田光彦 ったなしー 手をついてっ ぬぉーくっ、たぬく、たぬく、たぬく、鱈喰ったぁ! 玉之助=トライとトライとトライとライトライトライトライ〜〜
越後=のこたりのこたりノコノコのこ 越後はSPレコードになっているのを祖父が持っていた。のこたりのこたりノコノコのこ。 >>29
しかも、伊三郎より4ヶ月誕生日が早かったので、
伊三郎が定年まで健在していたら、幕内格のまま定年になっていたかもしれない。
ちなみに、73年序列入れ替え前は
尾崎正直→松井伊三郎→熊谷玉治郎→田畑筆之助→関口与太夫→江川勘太夫→後藤錦太夫→福井庄太郎→茶原庄二郎
74年序列入れ替え後は
熊谷伊之助(玉治郎改め)→尾崎正直→松井伊三郎→後藤錦太夫→関口与太夫→田畑筆之助→福井庄太郎→江川勘太夫→茶原庄二郎
83年に関口与太夫死去、84年に尾崎正直改め伊之助定年、田畑筆之助死去で
熊谷庄之助→後藤錦太夫(錦太夫改め)→松井伊三郎→福井庄太郎→江川勘太夫→茶原庄二郎
85年になると、江川勘太夫と茶原庄二郎が序列入れ替え、茶原庄二郎が三役になり、江川勘太夫は幕内のまま >>55
一童は定年近くなって4人目の三役格になったので(規定どおりだと一場所のみ三役格)
伊三郎が定年まで勤めたしても江川勘太夫はお情けで4人目の三役格として数場所
勤めたかも知れない。 >>54
文字だけで見ると迷行司感漂う掛け声だな
関口与太夫と筆之助を合わせたらそのな感じになりそう 松井伊三郎っていい行司だったと思うけどな
熊谷玉治郎に抜かれたのは仕方ないにしても、尾崎正直の後に伊之助襲名でも良かったのに
どちらにしても後藤錦太夫の庄之助在位期間は変わらないのだから 熊谷さんと後藤さんが特別扱いだったのは事実。
憶測は色々あるが本当のことは当時の協会幹部しかわからない。
その幹部も今や故人。永遠の謎。 まあ抜擢制度の目的はアレだしね。
熊谷も後藤もめちゃくちゃうまかったわけではない。 >>61
熊谷に至っては下手と言っても過言ではなかったな。 >>54
テイチクAO124896
大阪相撲場風景p32 >>54
テイチクAO124896
大阪相撲場風景p32 >>62
まあ尾崎よりは少し下手だったな。
誠道はめちゃくちゃうまかったよな。
公乃助はあまりうまくなかった。 >>65
晩年の誠道はいつも白い装束を着ていて、発声も曖昧なものだったが、裁きは若々しく軍配も迅速だった。やめていなければ確実に庄之助を若くして名乗ったであろう逸材だった。 >>66
子音の発声が弱かったから曖昧に聞こえたが、声量豊かで深みがあり全体的にはかなり美声の部類に入ると思う。動きは堂々としていて品に満ち溢れていて、泉さえも霞んで見えた。 >>67
誠道って競輪の借金が嵩んで辞めたんだって。松井伊三郎と競輪仲間だったらしいよ。 >>59
史実通りに、松井伊三郎が伊之助になってから定年前に死去でも、後藤氏は伊之助3年は努めれたし、
定年まで松井氏が健在でも伊之助1年は努めれたんだな。 伊三郎を立行司にさせたくない理由があったのか、
それとも後藤氏を一日でも早く立行司にさせたかった
のか、これを知る人はいない。 行司ストの首謀者のブレーンだったのが、松井伊三郎だ。山田夏みかんとともに松井だけは何らかの形の処分をしたかったんだ。 >>74
しかし、それだけだったら松井さんを抜いて熊谷さんが立行司になるだけで良かったのに、
それから10年も経ってから後藤さんにまで抜かれるというのはね。
少なくても、この行司ストのときには松井さんと後藤さんの間には4人もいたのにね。 ぴーぱあ ったなし 手を下ろして はぁっちょのぐゎっちばりわちばりわちばりわったったァー ーー ぬわァーーーちばりわちばりわちばりわったったァーーー ついに待ったなし、手をついたー
はきょいかーたかーたかーたかーた・・・
かんでーす!腰を割ってぃ!
はっきょいながったがったがったがった、ながーったがったがったがった、・・・ ぃよいはっけよい わーた わたわた わたわた ぃよいはっけよい ぃよいはっけよい ぃよいはっけよい ぃよーいはっけよい ぃよいはっけよいわーた わたわた わたわた ワタワタワタワタ… 越後のレコードまだある。
大畜
風雲大坂角力會
其の八 >>81
ほかには清之助あたりも出てくるの?
晩年と変わらない? >>85
そのSPレコードって大正時代でしょ?
晩年の掛け声との比較がしたいんだ。 >>42
間違えるどころか完全にド忘れして
「お前さんー」で済ましたという説まである >>86
じい様みたいな声で、なかったなかったなか。なかったなかったなかだけど。 今、比較してみたけど、清之助の掛け声は大正9年頃と東京合併後とではそんなに変化ないよ。 >>89
おーサンクス。立ち合いからよいはっけよい言う人はこの人しか知らん。 >>42 >>87
こちらの「二十二代庄之助一代記〈第九回〉」に、「ヒゲの伊之助そこつ話」があった
ttp://www.syounosuke.net/gallery/history/iti9.html >>93
ヒゲの伊之助の玉ノ海に勝ちたるや鏡里はウケた。
鏡里は晩年までこんな勝ち名乗り受けたのオレだけだろって大爆笑していた。
鏡里では、軍配が鏡里と島錦の腹に挟まったというのもあった。 名力士風雲録に清之助と玉之助の素晴らしい映像がある。
清之助は立ち合いからよいはっけよい、めっちゃ動いてるのによいはっけよいナータ、アタアタアタアタ。
玉之助は仕切りの際の奇声が最高。
時間前:わど!
時間いっぱい:おどもしだっちゃ!!あいあいしてあわして! 玉之助の掛け声は文字にしづらいな。
ætt ætt ætt ætt ætt ætt ætt ætt æ
って感じか 文字にしにくい掛け声の行司
玉之助
関口与太夫
江川勘太夫
池田伊之助 珍にしやすい声
ラーメン買うてきて!
横になりーな。乳触らして!
チューチューチュー。
僕は😈 ロン毛庄之助は松翁狙いだったそうな。逆効果だったんじゃねえ??? しかし、あのロン毛は何で手入れしてたんだろうか。
当時はパンテーンとかツバキとかないだろうし、それにしてもツヤツヤしてて綺麗なんだよな。 >>107
タマゴの白身で洗ってたと思う。髭の伊之助が白髭のリンス代わりに使ってたのを義も聞いていて、髪の仕上げに使ったと大相撲誌の取材に答えてる。 ってかロン毛庄之助でググったら、ちゃんとwikiのページが先頭に出てきてワロタ 史上最弱力士でググると服部桜ではなく森川のウィキが出てくる… 義をご愛顧頂きまして、ありがとうございます。これからも義をよろしくお願いします。、 かんでっ!てォ〜せぃ
っけよーい!ながーたーがーたーがーたー、ながーたーがーたー、ながーたーがーたーがーたー、ながーたーがーたー まったなし、へをふいへー!
はっけよい のほったのほったのほったのほったらほー、のほったのほったのほったらほー
くーーっほーーー ア、むぁっつぁなっ!
ンンンンンンンンンンンンンンンぬぉこっつぁぬぉこっつぁぬぉこっつぁぬぉこっつぁぬぉこっ、ンぬぉこっつぁぬぉこっつぁぬぉこっ、、、ンぬぉこっつぁぬぉこっつぁ、、、、はっけよい!! スレタイは、昭和の迷行司だけど、事実上、昔の名行司&迷行司スレっぽいな 尾崎は迷行司要素も持っている名行司。
筆翁と江川勘太夫はただの迷行司。 師匠
てを下ろしてまったなし!!
はっきょーいなかっと、なかったかたかと、なかっと、なかったかたかと(下唇出す)
弟子
たらす!てっ!
はっけょーいぇなかったぉー、なかったからかたぉー、なかったぉー、なかったからかたぉー >>117
馬鹿か!お前に行司の事なんか何もわからないだろう。どうせタマジロウかなんかを応援しているくだらんオタクだろ!! 自転車の前カゴに乗って大空へ旅立つ関口与太夫「まちばりまちばり〜♪」 ETに似てるってことは、乃木坂の斎藤飛鳥にも似てるってことか! はけよ〜い!ふぬぬんたぬんた、ふぬぬんたぬんた、むたむたむたのんぽた!!(か細い声) >>126
おいど伊三郎は直美がバカだから辛いですね楽になるのか? >>129
おいど伊三郎はあんたも相当タマジロウがデカ顏ぶら下げて出迎えに来た。 玉之助という行司、なかなか味があり、土俵態度も独特な風格があったし、軍配が上げも俊敏で名行司の一人に入れても良いと思うのだが、何故降格処分を喰らったのか謎である。 >>136
全ては蒋介石が悪い。東京行司を厚遇したかったのでヒゲに抜かせた。奴は泉の松翁にも猛反対してる。 >>137
玉之助が亡くなって間も無くすると筆之助の動きが悪くなり、長野県出身の行司は全員死んだ。全ては蒋介石のせい。 何人もの弟弟子に抜かれて出世が遅れた、二所ノ関部屋の呼出し安伍朗(安雄)は、
迷呼出しだったのかな? 安伍朗は番付上幕内呼出しになっても十両しか呼出を担当しなかった。
前後十両呼出しに挟まれて呼び上げという不思議な状況だった。
行司は装束が違うのでこのような例はないが、安伍朗に関しては永遠の謎。 大鵬がいた二所ノ関部屋には、巨根で有名な呼び出しもいて、大鵬と巨根比べを
してたエピソードを聞いたことがある。
二所ノ関部屋の呼出しといえば、相撲甚句の作詞を手掛けた永男が有名だけど、
安伍朗も同部屋だったから、可能性があるかもな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています