>>658
江戸時代の身分制度の知識が必要だね
士農工商の外に、上は皇室・公家・寺社、下は河原者があったが、概ね、芸能に従事する者は下層身分に属していた。
例外として、能楽と相撲は所作や武術鍛錬の為に江戸幕府が保護したので、中には士分に取り立てられる演者もあった。
実例として、6代〜7代将軍の側用人、間部詮房(まなべあきふさ)は能役者の出身である。
江戸時代の相撲興行に参加した有力力士の殆どは大名家のお抱えであり、時には将軍や大名の前で相撲を取ることもあった。
更に、行司は勝負を裁く役割なので、自ずと権威が必要であり、その権威を相撲総合プロデューサーである吉田司家から、武士のような行司名跡を襲名を許されたと思われる。