稀勢の里の場合は「優勝は無くとも大関の地位で
年間最多勝を獲得した安定感はポイントが高い。
優勝すれば直ぐに横綱昇進する意向で一致してる」
とか当時の相撲協会や横審委員会はそう言ってたな

しかし1988年、大関で年間最多勝受賞した旭富士は…
さらに14勝(同点)ー13勝(次点)ー13勝(同点)と合計40勝上げても横綱昇進は即却下
理由に「決定戦等負けた相撲内容が悪過ぎ」「安芸乃島等苦手力士が多過ぎ」「大横綱・千代の富士が休場してなかったら絶対負けてる」「1988年幕内初優勝から1年以上遠ざかってる」等全く意味不明なものばかり
単に当時の相撲協会や横綱委員会が大関・旭富士が大嫌い
だったから横綱にしたくないという理由しか考えられらかったな
でも旭富士はのち大関で二場所連続優勝を果たし、遅咲きで悲願の横綱昇進を果たせたが