>>464
千代の富士が実績を積み始めていたが、伝説的な双葉山は別格として、大鵬に次ぐインパクトある横綱は
北の湖・輪島が抜きんでていた。若貴も朝青白鵬も現れていなかった。
エリート街道を驀進してきた超エリート横綱がプロレスで馬場の配下、無様な時代を過ごすことは本人のみならずファンたちも
当初は痛々しく見守ったり、意識に入れないようにすらしていた気がする。

しかしこの人には同時に天衣無縫、無頓着、人前に出続けることをむしろ好む性分があったように思われる。
ふつうは角界で理事長を目指してコツコツ弟子を育て、協会内政治に勝負師のしたたかなプライドを置換することで名誉と意欲を覚えるはずだが
終生、裸一貫、なるようになるさで恥じ入らず、明るく返すべきものは返し、プロレスのみならず
お笑い番組や他のスポーツの名誉職などなどでつねに人々の前にいた。世間は彼の存在を感じ続けた。
大島渚がかつて「敗者は映像を持たない」と言ったが、同時代に沿いながらテレビに映り続けた輪島こそ、
勝者であったのかもしれない。本人も自己の本性を自然的に了解し、つどつどの状況をたのしみ、
多くの固有の名士たちに囲まれ愛されてきた。
綱の名誉などより、つどつどの可能性の限りにたのしみながら割り切って奔放に生き切ったことは本望であったろうし、
彼が協会にとどまっていても、北の湖や三重ノ海のようなボスにはなれない、つねに光の当たる場が似合った。

実績も人間性も何も到底比較にならないが、たとえば北尾のその後と較べると、輪島は派手に明るく生きたと思う。
最後まで愛される特有のキャラクターをもった快男児だったのではないだろうか。