型破りだった輪島さん 大鵬のスカウト断り進学 辛子明太子を“さちこ”明太子
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輪島伝説】

・日大に進学 高校2年時に横綱・大鵬がスカウトのために実家を訪れた。引退後に部屋を起こすときに備えての
 誘いだったが、熟慮の末に横綱の誘いを断って日大進学を決めた。日大相撲部では入学直後の4月に行われた
 東日本新人選手権大会で優勝し、レギュラーの座を確保。当時、日大相撲部ではすき焼きの日はレギュラーだけ
 に卵が支給されていたといい、相撲部新記録というどんぶり14杯を平らげた。

・日本一連覇 大学3年で全国学生選手権を制して学生横綱になった。4年時にも優勝を飾り、史上3人目のとなる
 連覇を果たした。学生として偉大な記録を打ち立てた一方、「アマ横綱」のタイトルは一度も手にすることができな
 かった。学生時代のタイトルは14個で幕内の優勝回数と同じだった。

・応援合戦も 70年秋場所の6日目、高校時代からしのぎを削ってきた東農大出身の長浜(後の元小結・豊山)と
 5戦全勝同士で対戦した一番にはファンが選出する懸賞までかかった。日大と東農大の応援部による応援合戦も
 繰り広げられるほど盛り上がり、輪島が制した。長浜との対戦では翌71年九州場所でも時津風部屋の有力後援者
 の会社が懸賞を出した。現在の懸賞は幕内の取組のみと内規で決められているが、当時でも十両の土俵で懸賞旗が
 回ることは珍しい出来事だった。

・貴ノ花戦でケガ 73年九州場所で連勝を続けていた12日目、貴ノ花戦で差し手争いの時に右手人さし指と中指の
 間が裂けるケガを負った。つり出しで勝利し、左手で懸賞金を受け取ると病院に直行して6針を縫った。13日目は
 強行出場すると取組前に4度目の優勝が決定。その晩に39度の高熱が出たこともあり、師匠と相談して休場した。
 千秋楽の星取表には休場を意味する「や」が付いた。休場して優勝した力士は史上初めてだった。