輪島大士5 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>171
既に52年夏場所の時点でがっぷり四つからの吊り出しで勝ってるけどね
右からの絞りは基本的に腰が軽かったり、足運びの良くない力士にしか余り効かない >>173
だからひきこもり自演妄想障害者のテメェが相撲板の癌細胞なんだから今すぐ相撲板から消え失せろよいいかげん死ね宇部!!!!!! 輪島と若乃花はガップリになれば時間との勝負
30秒以内で輪島が吊り上げれば輪島
それ以上かかると若乃花 >>175
優勝争いの状況にもよるんじゃないかな。今の白鵬、日馬富士みたいな 輪島は相撲そのものは、晩年の方が大きい相撲を取っていた。左四つ半身が減って、左右どちらでも胸を合わす相撲が増えた。北の湖、琴風戦以外は。 ぶっちゃけ輪島は右四つの方が型が良かった
左上手を引き、相手の上手を切りカイナを返して吊る
55年九州の9日目の千代の富士との8戦全勝同士の決戦がまさにその相撲 >>178
北の湖、若乃花、三重の海には結局左四つになって、横綱同士の対決では晩年苦戦した。なまくら四つの弊害だな。大関以下にはむしろなまくら四つで取り口の幅が広がって、安定していたな。 結局、輪島、光司ともに左利きってことでいいの?
輪島は右の絞りがつよいって言う人多いけど。父ちゃんの方はリアルで見たことない。 >>184
だからツマランからいい加減死ね宇部!!! >>186
何もかも一人でやってる自演クズがモロバレ自演で自分に返事すんないいかげん死ね宇部!!!!!!!
テメェはこんなことばっか朝から晩までやってる暇人引きこもりゴミクズだろうが!!!!!! 金城に初顔から3番(本場所、巡業、本場所)続けて投げられたのはなぜなんだ? 昭和55年春場所6日目、黒瀬川に右差しを許し、差し手を返され、何もできずに寄り切られたのには萎えたよorz >>191
親子で横綱って素晴らしいことじゃないか >>192
またID変わったのか!死ね妄想自演クズが! 相撲界の至宝、史上初の親子横綱、輪貴親子。
光司にはぜひ、もう一人息子を作って親子孫3代横綱を目指してほしい!
四股名は、貴輪光(キワぴかり) 史上初の親子横綱の優勝は計36回、大鵬を超えるこの数字はまさに相撲界の至宝。
だったんだけど、白鵬一人に超えられて、その価値大暴落。
ぜひ、貴輪ぴかりには再度抜き返して、至宝の地位を取り戻していただきたい! >>194
>>195
ツマランからいい加減死ね宇部!!! >>197
キセオタ、タカキチは輪島スレにも出張か 昭和53年初場所、全勝で迎えた10日目の豊山戦、
両差しを許し、為すすべなく吊られ投げられた輪島にはショックだった>< 息子がご迷惑をおかしています。
今年もよろしくお願いします。 輪島みたいな華があって魅力的な超アナログ的な横綱が、貴乃花みたいな砂を噛んだような無味乾燥な超デジタル的な石頭と親子なんてないことを願いたい 砂を噛んだような無味乾燥な息子ですいません。
今年もよろしくお願いします。 北の湖、若乃花U、増位山は引退会見で、現役時代一番印象に残る相撲に輪島戦をあげている
北の湖はS53年名古屋14日目の水入り
若乃花UはS49年九州初日
増位山S55年初場所初日
北の湖、増位山はともかく、若乃花Uが輪島戦をあげたのは意外だった
てっきり、初優勝の魁傑戦か綱取りの場所の北の湖戦かと思っていた
若乃花Uは「新小結の場所で輪島関に勝てたのが印象に残る。稽古場で全く勝てなかっただけに」と述べた >>207
その若乃花と同じような答えをしたのが朝青龍だな。
彼は引退記者会見で一番印象に残る一番に新小結初日で武蔵丸に勝った相撲と答えた。
理由は、国技館に見に来た両親の前で勝てたのが嬉しかったと。
途中でそれを思い出して泣き出したけど。 >>150
ひろしと同じ町内の生まれだからよく知ってるよ
お前はあほだわ 明日は新年早々、息子の件でお手数をおかけします。
今年もよろしくお願いします。 >>213
あんな今風の石頭は輪島の息子ではない! きょう誕生日の二所ノ関親方(若嶋津)が、現役時代に目標としたのは、きのう
誕生日の輪島さん。 >>216
ありがとうございます。今後とも息子も含めてご支援いただければ幸いです。 あえて、このスレだから聞いてみたい
本当に、貴乃花親方の父は輪島と思ってる?
俺は当然だが、花田光司の父は花田満だと思っているけど
もうネット拡散世界では、貴の親父は輪島っていう事で定説になってしまってる
物凄く不快なんだが、もう1個人の力じゃ覆しそうにない
せめてこういうスレの住人に忌憚のない意見を聞いてみたい、レスよろしく >>222
も少しまともな答えは無いのかね?
子供なの、馬鹿なの? >>221
体型、利き腕、下半身が意外と弱いところを長短含め、息子は引き継いでくれました。
史上初の親子横綱、自慢の息子です。 >>225
輪島と貴乃花が親子だと何か都合が悪いの? 増位山の外掛け、内掛けに尻から崩れ落ちた輪島に萌えた >>219
若嶋津は腕力がたいしてないのに、輪島の真似をして、左下手、右から絞る相撲で伸び悩んだ。その後、右上手の取口に変えて一気に伸びた 今日の中入りで麒麟児が一番印象に残る一番に、S51年名古屋で輪湖に勝った相撲をあげた
特に14勝1敗で優勝した輪島に唯一土をつけた相撲で印象深いと >>230
麒麟児と輪島、現役時代は手が合ったらしいよね
後、千代の富士も仲良かったて聞いた >>231
だいたい輪島が仲が良いタイプは華があって好きなお相撲さんが多かったな。蔵間もそうじゃなかったかな。でも華がある力士は同時にヤオの香りもある。石頭で華がない貴乃花は輪島の子とは思えないんだよな 今場所の鶴竜の星取りは、77年秋場所以降の輪島の星取表みたい >>233
輪島が30になったのが、78年の初場所。あの頃から北の湖とはっきり差がついてきた。鶴竜と白鵬は現在32歳。年齢的にはキツいだろうね。そこを補うための張り手、カチあげだったんだと思う。 輪島には下手を何とか取ってひきつけて腰を密着させて寄るのが効くんですよ 故北の湖談 持久戦に持ち込まれついに下手をとられるかがっぷりに。もう疲れた輪島には手がない。そして北の湖の寄りをこらえきれず土俵を割る瞬間の輪島の「あぁ~もうだめだぁ」という恍惚みたいな表情に萌える 53年名古屋、輪島が投げをうっても寄っても北の湖動かず。輪島は北の肩に顎を埋めて「あぁ~疲れたぁ」って表情も萌えるw だから晩年の輪島は右四つで北の湖に挑むべきだったな S51年秋は魁傑の優勝で千秋楽結びの輪湖戦は消化相撲となった
この時、巻き替えの応酬から右四つになり輪島が左上手を引いて相手に上手を与えず寄り切った
こういう相撲が晩年の北の湖戦には必要だった 晩年の輪島は右四つの方が強かった。たまに偶然に右四つになったら、北の湖は嫌がっていたな。
輪島ファンから見たら、例の左四つの型になったら、あーまたかと諦めの心境だったな。 >>241
そうだな
輪島は左四つ半身より右四つ左上手の方がいかに型が良いか…
晩年相性の良かった千代の富士、隆の里戦で証明されている 玉の海死去から約10年間、千代の富士、隆の里登場まで右四つの正攻法の強豪が出てこなかった
北の富士、長谷川、貴ノ花、北の湖、若乃花U、三重ノ海、琴風、朝潮…など左四つばかり
輪島も彼らに合せるように、左四つ半身、ガップリになって行った
軸足が右なのだから右四つを目指すべきだった 輪島の足腰の強さは異常だった
あの強烈な北の湖や若乃花の上手投げを輪島は食って負けたことはない
逆に彼らを何回か左下手投げで倒している
彼らに負けたのは持久戦に持って行かれ、スタミナ切れして寄り切り、寄り倒しが殆ど >>245
晩年は対横綱戦に限っては、なまくら四つの弊害がでていたね。貴ノ花、琴風、朝潮ぐらいは左四つで勝てたが、北の湖には体力負け、若、三重には動き負けるようになった。 昭和55年大阪場所の琴風戦。輪島が北の湖と対戦してるかのような凄まじい左四つの
攻防。たまたま中学時代の春休みに観にいっていたが、終わった後しばらく膝ががくがく
したのを思い出す。 最初の夫人と、カーリング女子の藤澤選手と、下の名がおなじ。 晩年の北の湖戦
北の湖が右に変化ぎみに右上手を取りに行く、すかさず右上手投げで輪島を振り回して
右で絞らせない、輪島が必死で残す、いつもの左四つになる、投げを残すのにスタミナを消耗した
輪島の右の絞りは弱い、北の湖が左下手を取って寄る、輪島あっさり土俵を割る
こんな展開ばかりだった。 >>251
千代があっさり北の湖を翻弄して、揺さぶって動かして土俵に這わせた時
輪島の対北の湖対策は実は間違っていたんじゃないかと思ったもんだ。 北の湖対策という意味では若嶋津は上手かったね。輪島の左下手半身は右上手を取ってください
といわんばかりの型だから、若い時はまだしも、晩年の輪島は北の湖にとって最も取りやすいタイプ
だったかも知れないね。 晩年の輪島自慢は、後の次代の担い手となる千代の富士に強かった点だろう
4横綱が千代の富士に初めて負けた順番
三重ノ海(S55年春)、若乃花(S55年春)、北の湖(S55年秋)、輪島(S56年初) 輪島が千代の富士に横綱の中で一番強かったのも、晩年の輪島は右四つの方が
良かったことを表している。左四つで北、若、三重にいいように動かれたことが
悔しかった。最終的に左四つに組まれるにしても、差しで争いぐらいはしてほしかった。
北の湖はともかく、若乃花と三重ノ海には右四つでは絶対に負けなかったと思う。 輪島の対三重ノ海戦8連敗と、千代の富士の対隆の里戦8連敗は対照的
簡単に言うと、輪島はガップリ左四つになれず8連敗した
一方、千代の富士はガップリ右四つに持ち込まれ8連敗した
力を出し切れずに負け続けた輪島、力勝負に持ち込まれて負け続けた千代の富士
対照的だった >>256
8連敗する前まで輪島は三重ノ海に27勝8敗とカモにしていた。
それが53年九州から急に勝てなくなった。
54年名古屋の決定戦では、がっぷり左四つから吊り出しで勝ったが、本割では勝てなくなった。
まあ当時の三重ノ海は若乃花に対しても5連勝、北の湖に対しても4勝2敗と強かったけどね。
それで横綱になったんだろうけど。 >>257
しかし三重の覚醒は本当に不思議でもあったし
琴桜チックなちょい臭うwトコあったんだけど(引退後の親方稼業の実績も何となく似てるかな?)
でも、その対3横綱戦績見るとなんかガチ感もあるね
もうこの覚醒三重になった頃、輪島が勝てるとは全然思えなくなっていた
(貴ノ花も同様だったな) 輪島の誇りは、史上初の親子横綱。
でも2票で評価がた落ちだけどねw >>259
またID変わったのか!死ね妄想自演クズが! 左四つでも、貴ノ花には最後まで優位を保ってたな。貴ノ花には簡単にガップリになれた。 >>257
北の富士対琴櫻もS47年秋までは29勝14敗と北の富士が圧勝していた
しかし、琴櫻が覚醒したS47年九州からは決定戦を含め琴櫻が6勝1敗と圧勝
隆の里も千代の富士戦は元々強かったが、晩年の北の湖にも圧勝していた
覚醒した琴櫻、三重ノ海、隆の里は綱取り前後には先輩横綱にも強かった >>263
まあ忖度もあったと思うよ。
三重ノ海が北の湖に勝った相撲は怪しい取り組み
が結構あった。同門だし。 輪島の弟弟子で協会に残っているのは
峰崎親方、芝田山親方、花ノ国さん
ぐらいだよね。 >>268
またID変わったのか!死ね妄想自演クズが! >>270
またID変わったのか!
だからキセ貴叩き病人ひきこもり自演妄想障害者のテメェが相撲板の癌細胞なんだから今すぐ消え失せろよいいかげん死ね宇部!!!!!!!! >>271
史上最弱のクズ横綱と史上初の親子横綱・優勝22回の光司を同列に並べるとは、
失礼な人ですね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています