【澁澤龍彦黒歴史】
・暗記自慢のモヤシっ子で、小学生の頃はいじめられていた。外でいじめられると、家に帰ってきてから妹たちに八つ当たりして鬱憤を晴らしていた。
・鎌倉の小町に住んでいた頃、新年の祝いをしようと二階の澁澤を呼びに来た妹に癇癪を起こし、何の落ち度もない妹を階段から蹴落とした。
・それでいて面倒な用事は妹に押しつけ、三島由紀夫に初めて推薦文を依頼した時も三島と対等に話をする度胸がなく、妹に電話をかけさせた。
・東大入試に二度失敗。現役で受かった出口裕弘に嫉妬し、「あいつが受かるなんて、東大の権威を疑うよ」と言って歩いていた。
・出口よりも早くフランス語を始めていたが、やがてフランス語の力で出口に追い越され、後輩の松山俊太郎からも誤訳を指摘された。
・最初の妻の矢川澄子さんからはドイツ語文献の読解を助けてもらったにもかかわらず、澄子さんを虐待し、売春婦を交えての3Pを要求。
そのため、澄子さんに加藤郁乎と浮気されて離婚に至った。
・離婚後、澄子さんとのツーショット写真をあてつけがましく鋏で真っ二つに切断し、澄子さんのところに送りつけた。
・二度目の妻の龍子さんをも虐待。酒に酔った挙句、火のついた煙草を鼻に押しつけて火傷をさせた。
・尊敬していた三島から勝手に『暁の寺』の今西のモデルにされ、揶揄された。
・自分の著書の書評をたびたび出口に書かせておきながら、自分では出口の著書にほとんど言及しなかった。出口の『越境者の祭り』を
有名誌が取り上げて記事にしようとした時、原稿執筆を依頼されたがニベもなく断った。
・『サド侯爵の生涯』ではレリーの研究書から大々的に剽窃し、レリーの研究成果を自身の業績のように偽って発表した。