「サブカルチャー」という言い方は大昔からあり、日本に輸入されたのは
おそらく50年代末頃だと思う。文字通り主流文化の下位に生まれる
傍流文化のことだ。これは、そのときどきの時代の流れで
「ポップカルチャー(大衆文化)」と呼ばれたり、
「アンダーグラウンドカルチャー(地下文化、アングラ)」になったり、
「カウンターカルチャー(対抗文化)」と呼ばれたりした。
これらはみな、サブカルチャーのさまざまな側面を表した言葉だ。意味は微妙に違うものの実体として重なり合っていることが多い。

ここでの主流文化とは、国家に認知・保護された文化、または社会一般で
「高尚」とされるような文化のこと。日本でいえば能や歌舞伎、和歌や
活け花・茶道みたいなもの。

これに対してサブカルチャーとは国家に認知されない(学校では教えない)
ようなその他すべての文化活動を指す。そしてこれらは「下」からの、すなわち
大衆の内側から発生する文化がほとんどなので、洗練されなくともパワフルな
ものが多い。大衆の本音や欲望を代弁することでそれらは大衆の支持を受け、
経済としても維持できる。

またサブカルチャーを支持する大衆の多くはそのときどきの若者層で、この
ことから若者特有の不満が国家やそれを支える社会システムに向かえば、
それはアングラやカウンターカルチャーとして「弾圧」されることにもなる。
しかし反面、幅広い大衆の支持を集めるサブカルチャーは、莫大な経済的利益を
生むことがあるのでその場合主流の社会システムはこれを懐柔して取り込もう
とする。こうして時代を経るにつれ、それは新たな「主流文化」となっていく。
現在「高尚」とか「主流」とされる文化のほとんどはこの経過をたどっている。歌舞伎なども江戸時代まではしばしば弾圧の対象になる「下品な」大衆
文化だった。また小説も、「小」という差別的訳語が表すように明治大正までは
立派なサブカルチャーだ。それがカルチャーになるにつれ、大衆の支持を
徐々に失い国家の保護を受けねば成り立たないものとなっていった。

ようするに、文化活動においては主流と傍流は容易に入れ替わるものなのだ。
(疲れたのでここまで。現在のサブカル状況についての意見は、いずれ書きたい)