もともとは新人類は、オタクを包含する概念だった。
いわゆる、サブカルはアニメや特撮を包含するものだった。

いまとなっては信じがたい人もいるだろうけれど、
アニメや特撮を本気で見るというのは、
知性やセンスを要求するハイブローな趣味であった。
いわゆるオタクファッションの人や本気で頭のおかしい人もいたkれど、
普通のファッションや、むしろお洒落な人だった。
(恐ろしいことにロリコン研究会というものがおおっぴらに大学に存在した)

しかし、ブームが広がるにつれアニメや特撮が「手軽な趣味」になったため、
急激に知性の低いファンが増えた。もともと子供向けのものだったから
子供そのものの知能のしか持たないファンが増えた。
むしろ、他の文化を理解できない弱者の救済文化となってしまった。

古参のマニアは彼らを見て、自分達と同じ集団ににくくられることを恐れた。
「おたく」という言葉はそれらの背景から出た。
この言葉は上手かった。
古参のマニアはこの言葉を使って、後から来た愚者の群れを焼き払おうと考えた。
中森氏の考えを超えて暴走を始める。

古参のマニアが恐れたのは、一部のマニアが「バカ」であったことが一つ。
もう一つは、一部のマニアが仮想世界で性欲を持っていたこと。
今で言うところの「萌え」であり、
当時の流行言葉で言えば「ロリコン」「二次コン」である。
そういった感情は、一般人の感性から見れば性的異常者のキチガイ以外の
何者でもない。

マニア達は、自分の社会的存在を維持するために、「おたく狩り」を始めた。
しかし、「おたく狩り」の結果、勝ち残ったマニアはいなかった。
結局、すべてのアニメマニアや特撮マニアが「おたく」という墓に入った。
かくして、「マニア」というものは「オタク」と同意義になった。
「アニメ」や「特撮」というジャンル自体を禁断の地とした。

しかし、とても性質の悪い作品が登場する。
「新世紀 エヴァンゲリオン」である。
エヴァの持つハイブローなスタイルは、ガイナックスの総力戦と呼べるものだった。
また、海外などから日本のオタク文化の評価の声があがりはしめていた。
しかし、禁断の地のものを享受するわけなはいかない。

そこで、にわかに脚光をあびたのが「サブカルチャー」という言葉だった。
我々は、「オタク文化」を享受しているのではない、
「サブカルチャー」を享受しているのだ。
そういえば、面目はつくというわけだ。

こうしていくうちに、「サブカルチャー」という「免罪符」が流通を始める。
このお札の貼られた作品を拝んでも「オタク」ではない。
そう考えて「いた」のだろう、いや考えて「いる」のだろう。

そうしていくうちに、免罪符自身が暴走を始めていく。
かつて、知性のないアニメファンが流入したように、「サブカル」という免罪符に
反応する人間が出始めた。
おそろしいことに、彼らは自分が「オタク」より優れていると考えているらしい。

こうして、サブカルは生まれた。