『阿部かま』ロッテ本拠地時代の仙台球場『タゼン』
この時代、仙台球場って呼ばれてたな。
ホームランを打ったらバックスクリーンに東芝のネオン。だれかUPよろ。 かつてロッテが“この街”を不本意ながらも本拠地にしていた時期に
不覚にもリーグ優勝してしまった。実際のところこれは球団としては
全く計算外のことで、球団球関係者は正直に言えば非常に困惑・狼狽
してしまった。なぜなら仕方なく本拠地としていた“この街”の球場は
日本シリーズを開催できる基準を満たしていなかったからである。
収容人員も28000人と少なければ、その他の施設もショボ過ぎた。
そこで日本シリーズは後楽園球場他アウェイの球場などで
行われることとなり“この街”の球場では1試合も行われることが無かった。
さらに計算外だったのは日本シリーズを制し日本一になってしまった
ことであろう。球団としては”形”だけの本拠地である”この街”で
優勝パレードをする気などさらさら無かったからである。
優勝パレードは当然のように球団事務所のある東京で行われ
本拠地球場がある”この街”で行われることは無かった。
この一件で、仙台人のロッテ熱が一気に冷めてしまったのは言うまでもない。
さらに悲しいのは、この一件は仙台・宮城球場の”片田舎さ”を象徴する
エピソードとしてその後長く野球ファンの語り草となってしまったことだ。
今でも『宮城球場』の名前を聞いただけで当時のほろ苦い出来事を思い出す者は多い。
かつてロッテが仙台を本拠地にしていたの時代、選手監督誰一人として
仙台に住む者はいなかった。
まあ、仙台は所詮それほどの都市だったといことなのだ。
しかもロッテ球団はあの5年間を黒歴史にしている節がある。
間違いなく昭和48年は準本拠地、49〜52年は本拠地だったのに、
今出てる出版物や最近のプロ野球ニュースでは なぜかその5年間は
「本拠地を持たなかった」とことになってる(是非チェックしてみてほしい)
ロッテにとっては仙台に本拠地を置いていたことはそれほど恥ずかしいこと
だったということか?
ちなみにこの件は仙台市民の前では決して言ってはならない。
もし言ったら彼らの東北の中心都市としてのプライドがズタズタに引き裂かれるからだ。
でも、宮城球場をフランチャイズにしていた頃は
常に、観客動員数パ・リーグ1位ないし2位
しかし、川崎球場に移ってからは、常に最下位争い。 >>4>>5
まあ確かにそうだったのだが、
それってカネヤン人気によるところがデカイだろうな。
カネやんダンスなんてのがあったくらいだからな。
あとカネやんと仙台のファンの罵り合いも実は楽しみの一つでもあった。
今の楽天への応援もそうだが、何しろ仙台人の応援(野次)のマナーの
悪さと言ったら大阪並みかそれ以上と言われるほどで、ある日あんまり
酷いこと言われたカネやんがキレてしまって「こんなクソ田舎で野球が
やってられるか!」とつい本音が出てしまってそのあと余計野次られることに
なったのはあまりに有名。 そのころの話もっと聞きたい。
いろんな逸話あったら頼む。
つうか、そのころのロッテってアホだな。
そんなに観客動員があってなんで川崎なんだ? >>7
ネックだったのは
当時はまだ東北新幹線開通前(あと5年待てば出来たのだが)。
特急ひばりorはつかり しか無かった時代。
遠征が大変だったことは間違いないな。
あの当時の宮城県の小学生は巨人の帽子とLとOの合成文字のロッテの帽子を
ダブルで持ってましたよ。
バブルボーイズという子供用ファンクラブもあったけど、会費が幾らかだったまでは
子供だったので覚えていない。
当時のチームだから今の楽天のような気の利いたイベントは無かったなあ。
他球団もそんなもんだったと思うけど。
<つづき>
まさに野球全盛期時代。
巨人 長嶋現役引退
王 ベーブルースとハンクアーロンの記録越えと
当時の子供達は密度が濃い野球の歴史を見れて幸せだったと思うよ。
当時の子供の夢1位はダントツで野球選手。
サッカーなんて見向きもされない良い時代だったなや。
仙台の子供達にとってもロッテが仙台を去るのと
”チンチン電車”と親しまれた仙台市電の廃止が相次いだりして
喜びと悲しみが凝縮されて訪れた5年間だったような気がする。
最近は仙台にロッテがいたことや市電があったことを知らなかったり、
知ろうともしない若者が増え、実に寂しい限り。
と同時に改めて自分の歳を感じてしまう。
>>10
おれもLOTTEの帽子持ってた。
今は京都住みだが。
俺的には、ひばりしかなかった頃の仙台が好きなんだが。 >>12
特急「ひばり」は風情はあったが、上野まで5時間はきつかった。
子供は飽きて寝るしかなかったからあんまし覚えてないが、
車窓風景は大宮以南の在来線が平行して走るのが
なんとも東京を象徴する景色とし頭に残ってるなあ。
あと宮城県内に入って船岡付近の山の斜面に見える 酒の”大七”の
文字看板がいかにも田舎って感じで印象的。
この話題について来れる仙台人は最近少なくなってしまって寂しす・・・
かつてロッテが仙台を去る際は地元ファンから激しいブーイング
(実際はそんな簡単な言葉では表せないほどの不満とも怒りともつかぬの怨念
{=以後ロッテ球団にとっては”仙台の呪縛”と称される})
が浴びせられたことは40代以上の世代ならば覚えている者も少なくないと思うが、
その後川崎球場、千葉マリンスタジアムに移ったあともロッテ球団は
この”仙台の呪縛”に苦しめられたことを知る者はよほどのファンでなければいないかも知れない。
実際、首都圏という人口規模の熱い地域に本拠を移しながら、12球団最低レベルの人気と観客動員、
チームも万年Cクラスを行ったり来たりというのが常態化してしまった歴史を振り返ればまさに
この”呪縛”の存在とその恐ろしさが分かるというものであろう。
時を隔てて2004年11月のプロ野球再編で、何の因果か楽天が仙台を本拠地に新規参入を果たした。
ライブドアに対抗しただけの、なかば棚ボタ式ではあったが、とにかく仙台を本拠地に新球団を旗揚げ
ということで、仙台の野球ファンもロッテに纏わる過去を忘れるほど手放しで喜んだのであった。
そう。ロッテ球団を執拗に苦しめた”仙台の呪縛”はここで27年ぶりに解かれたのである。
その呪縛の紐が目の前で解かれる様子が実像として見えるかのように2005年ロッテは
仙台にいた昭和49年以来の日本一に輝いているのは決して偶然とは思えない。
さて、参入当初からいずれは第一希望の神戸に移転するのではないかという噂が絶えなかった楽天も、
仮に将来本当に移転することになった場合も”やっぱりそうか”のため息とともに、恐らく
ロッテ時代を遥かに超えるほどの轟々の非難が容赦なく企業・楽天に浴びせられるに違いない。
そして恐らくはロッテに対する27年間の呪縛以上の苦しい怨念が懸けられる事を覚悟しなければ
ならないであろう。
まずは神戸にはいかんと思うで。
オリ・阪急みてたら分かるように関西は阪神以外は成功せんのは百も承知でそ。 >>6
>今の楽天への応援もそうだが、何しろ仙台人の応援(野次)のマナーの
悪さと言ったら大阪並みかそれ以上
どこの情報?
山崎もインタビューで答えてるんだけど、
「仙台のファンはおとなしい。打てないときは、どんどん野次って下さい」
のような意味のこと。
高須も、後援会の発足式で「仙台の人達は暖かい。近鉄時代のような野次がない」
と言っていたけど。 宮城って夏涼しくて冬暖かいから、県民性がおっとりしてるからじゃないか。
大阪って夏は東南アジア並みでアパート暮らしが多いから殺伐としてるっていうのが影響してるんじやない。 >>18
それ、リップサービスだから。
連敗の試合終了後まで球場にいると分かるよ。かなりひどい。
ただ、楽天の選手や監督はロッテ時代のカネヤンよりは大人だから
野次に煽られて逆ギレしたりはしないというだけだ。
だが、山崎やノムさん始め選手の多くが仙台に住んでいないところ見ると
カネヤン同様「こんなクソ田舎にいられるか」という思いはあるのだろう。
監督、後から来たコーチ陣、山崎・礒部らベテランを除き
もうほとんど、仙台在住じゃないの?
マンションに単身赴任はいるだろうけど、それはサラリーマンの転勤でもある話。
ちなみに、うちのマンションにも、近鉄からの選手が一年目から単身赴任中。
憲史みたいに、仙台市以外に家を買った(借りた?)選手もいるし
もうロッテ時代みたいな事はないんじゃない? ほれ、
自治体としては球場が空いてしまったらただ遊ばせとくよりは
どこでもいいから使ってもらいたいというのが本音。
まだオリックスが大阪移転が正式に発表されたわけではないのでアレなんだが、
神戸市民もオリックスが去った場合、その後に楽天が来ることについては好意的なようだ。
9月17日の記者会見のやりとりでもそれが伺える。(以下抜粋)
記者:ダブルフランチャイズだと、市民球団という要素が薄れてしまい、
それに対して三木谷さんのお考えだと、市民球団の要素が強いというふうに思うのですが、
市長としてはどのようにお考えでしょうか。
矢田市長:多くの市民の皆さんが、神戸のスタジアムに試合を見に行くことが大きな夢のひとつだったということは、常に私にも声が届いています。
ですから、神戸の青空のもとで、あるいは星空のもとで野球が見られることが魅力なわけですから、神戸をベースにしたゲームが市民にとって
大きな夢や楽しみを与えてもらえるということを、どのように調整していただけるかということだと思います。
これは球界全体の問題が根底にありますから、とにかく本拠地を神戸に置いていただくというのは非常に歓迎すべきことでありがたいことだと思います。
記者:市民の皆さんからメールや電話が届いているということですが、多くの意見は、
楽天に本拠地を神戸にということを支持されているご意見でしょうか。
矢田市長:そういう意見はあります。そのほかにも、やはりオリックスという名前が、
神戸の象徴的なチーム名なので、それに対する思いをおっしゃっている方もあります。
記者:三木谷さんと直接コンタクトをとられたのですか。
矢田市長:今のところ、ありません。
神戸市としては、球場をどんどん使っていただいたら、これはむしろいいわけです。ただこれは保護地域など、
かなり難しい問題が絡んでいますから、神戸市だけで決めることではなく球界が決めることではないかと思います。
とにもかくにも既にオリックスは本拠地を大阪に一本化することが確定的 今迄の完全試合は15回。
そのうち、球場別には後楽園、広島市民、宮城球場が各2回。
試合数から考えたら宮城球場での完全試合の確率って凄すぎ。