☆津波には遭ってないけれど津波からの生存者ということに
●羽生結弦、津波生存者のチャンピオン(2014/02/15 Radio France Internationale )
ttp://www.rfi.fr/sports/20140215-patinage-artistique-yuzuru-hanyu-champion-rescape-tsunami/(原文)
ttp://clint.blog.ocn.ne.jp/lecabotin/2014/02/un_prodige_de_1.html(翻訳/リンク切れ)


「突然、全てが崩れ落ちました。スケート靴の下の氷も、スケート場の
屋根も」と羽生結弦は思い出します。「本当に僕は16歳で死ぬんだと
思いました」と付け加えました。間もなく15メートルの高さの波が両親
の家をさらいました。羽生少年の家族全員が60平方メートルの小さな
簡易建物に引っ越しました。

他の多くの人々と同様に、羽生結弦の家族は未来が閉ざされ悲嘆により
破壊された生活に直面しなければなりませんでした。しかし結弦の母は
諦めの感情に屈することを拒否しました。息子は3歳からスケートをし
ています。彼女は1人ですばやく反応をとるしかありません。

結弦のために他のスケート場を見つけることです。寄付のおかげで彼は
母親と共にカナダに移住することが出来ました。彼のカナダ人コーチの
ブライアン・オーサーは完璧主義からはったり屋だと自称しています。

津波から3年後、心に傷跡が残る被害を受けた地方で、羽生結弦の
金メダルは津波の生存者や福島原発からの避難者に再び勇気を与えています。
「全てが運の問題でした」と羽生結弦は産経新聞に打ち明けました。
今日、彼は津波と福島の日本と共に幸運を分ち合っています。