羽生
そうですね。すごくおもしろいなと思うのは、スポーツって、芸術と違って、なにか感情を表現してるわけじゃないのに、感動するじゃないですか。

糸井
うん。

羽生
たとえばふとマラソンとか駅伝を見て、その選手をとくに応援してたわけでもないのに、がんばったなって思って、涙が流れてきたりとか。野球でも、サッカーでも、なんでも、スポーツってその力が絶対あると思うんです。

糸井
うん、絶対ある。

羽生
でもそれって、表現力かって言われたら、表現力じゃないなって思うんです。じゃあなにかっていうと、「結果」だと思うんですよ。スポーツに「結果」っていうものがあるからこそ、生まれる感動なんじゃないかなって。

糸井
ああーーー。

羽生
一方でぼくはいま「結果」という、感動できる要素のない世界にいるので、だからこそ、本当に自分の表現だけで勝負しきらなきゃいけないと思うんです。

糸井
なるほど、なるほど。

羽生
感動できるものはつくりたい。けど、わかりやすい「結果」としての感動はそこに入れることができない。そういう意味では、「結果」に感動するのってふつうなんでしょうね。

糸井
つまり、また「ふつう」に憧れるけど、「ふつう」をやることはできない。

羽生
っていうことですねぇ(笑)。