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 羽生「ぼくは、うれしくて、ほんとに。あと、糸井さんとジョニー・ウィアーさん【注】の対談とかも読ませていただいていて。ぼくはもともとジョニーさんにすごく憧れていて、ジョニーさんが目指している芸術性だったりとか、求めている美しさ、かっこよさ、みたいな価値観が自分と近いなと感じていましたから、そのジョニーさんと糸井さんがお話されているのは、すごく共感しながら読むことができました」

 糸井「ぼくはフィギュアスケートを深く知っているわけではないので、ああいう、競技を超えたぼんやりした話をする人としてとらえてもらえるのがいちばんありがたいです。ぼくからすると、ジョニーさんも羽生さんも、『この人間は、なにかしたがってるんだな』というところでは同じなんですよ」

 羽生「『なにかしたがってる』(笑)」

 糸井「それは、お相撲を見ようが、棒高跳びを見ようが、『この人はこういうことしたいんだろうな』っていうことは、競技のルールとか専門知識抜きに伝わってくるんですよ。そういうところが、お二人には共通している気がするんですよね。そもそも、ぼくが羽生さんを最初に知ったのはジョニーさんを通じてでしたから」

 第2回以降は五輪金メダリストに上りつめていくまでの過程と東日本大震災、さらには死生観や、「ふつう」への憧れにまで話は及んだ。震災翌年の2012年3月、初出場で銅メダルを手にした世界選手権(ニース)を一つの大きな転機に挙げ、応援の力、期待との向き合い方に触れた。

 羽生「応援してくださる方々の重みも感じたまんま、背負って向かっていく、背負ってるからこそ強くなれる、みたいな自分のスタイルが、あのときにできたのかなと思います」

 プロスケーターとして活躍する今についても存分に語った。

 羽生「10年後でも、20年後でも、50年後でも、100年後でもいいので、そのときに見てくれた人が『いいね』って思ってくれるようなものを、胸を張ってつくり続けていきたい」

 「MOTHER2」は羽生さんがこの世に生を受ける4か月前に誕生した作品だ。

 羽生「『MOTHER2』みたいに、ずっと憶えてもらえるものをつくりたいし、1回だけじゃなく、これからもずっとつくり続けていきたいんですよね」