>>825
私たちはソニア・ヘニーの時代そのものを生きていない。その時代の息吹を知らない。馬車が自動車に。人類が有人飛行で空へ。映像に声が。
そうした未来と希望の20世紀とソニア・ヘニーという存在は時代にリンクしたのでしょう。第二次世界大戦とナチズムという戦禍もまた、彼女の時代の子にしました。
でも私たちは、羽生結弦という時代にあります。これは本当に「僥倖」としか言いようがありません。
私たちもまた羽生結弦という神話の世界を生き、神話を共に創り、そして神話を残すことができる僥倖。
私たちはその価値もまた、よく知っています。「RE_PRAY」ツアーはその「神話」を確たるものとしました。
そもそもニジンスキーだ、バレエ・リュスだ、ソニア・ヘニーだを持ち出さないといけない時点でありえない存在、まさしく羽生結弦という現代の「神話」なのですが。
羽生結弦という存在はフィギュアスケートで人類の文化史を創る、神話の可能性を秘めている、いや、それを成し遂げるのではないか。

私は埼玉、佐賀、横浜とご縁に恵まれましたがその一連の観劇の中で、そう確信しました。
大げさ、いやそんなことない。それこそとんでもない歴史の瞬間を、時代を私たちは目撃し、それと共に歩んでいる。そう思うのです。
「アイスストーリー」と銘打つように多種多様の技術と創造性、そして演出によるプログラムの数々。
それを単独で滑る、回る、跳ぶ、そして演じる。これを遂げる「魂」は、過去と比較するでない「唯一」のものです。
とくに佐賀公演は思い出深く、佐賀平野の空はまさしく、羽生結弦の空でした。

 「RE_PRAY」ツアー成功。そして私たちは羽生結弦と共に、斯く戦えり。といったところでしょうか。
興行もまた「戦い」です。余計な「戦い」もありました。
勝ち負けが野暮なことは承知ですが、やはり羽生結弦は負けん気の強い男の子、私たちもまたいっしょに戦うやんちゃくれ。
みんながみんな阿修羅ちゃんで、鶏と蛇と豚で、クジャ様なんですから。羽生結弦なめんな、って感じです。