-無中心- 日野百草の文学館
「RE_PRAY」ツアーの歴史的成功と「勝利」。我ら羽生結弦と共に、斯く戦えり。


久しぶりにブログで書きます。「RE_PRAY」ツアーのエッセイ全3回の公開が配信社のスケジュールで来週になる、とのことなので。(私は著者でしかなく運営面はわかりません)
 思えば、2023年11月4日のさいたまスーパーアリーナの初演から数えて、年を挟んで3ヶ月以上のツアー。
フィギュアスケートの歴史として「ありえない」成功のように思います。
ありえないことは「神話」になります。それを成し遂げる羽生結弦という存在、そして共にある人々、みな神話の世界を生きていのでしょう。
 懲りもせずに無関係のプライベートをいまだあれこれ詮索している輩もおりますが、しょせん神話にそうした者は残りません。

これだけの規模のツアー、それも単独といえば、そうですね、冬季五輪三連覇の「神話」ソニア・ヘニーの世界公演などは、その時々でメンバーが加わることもあったとはいえ「単独」と言って差し支えないでしょう。
もっとも半世紀以上どころか第二次世界大戦前後の話です。
テレビ放送はBBCによる世界初の開局(定期放送)が1936年ですから、イギリスはもとよりアメリカすら一般家庭の普及は大戦後の1950年代となります。ですからソニア・ヘニーは興行と同時に多くの映画出演でエンタメとしてのプロ・フィギュアスケートを確立して行きました。
日本では『銀盤の女王』の邦題で上映されました。
彼女のバックに『市民ケーン』のモデルにもなった歴史的なメディア王、ウィリアム・ランドルフ・ハーストがついていたのも大きかったのでしょう。
以降も多くのプロによるフィギュアスケート・ショウが催されてきましたが、ソニア・ヘニーほど歴史に残る成功、そして長きにわたる公演活動を続けたスケーターとなると難しい、と古く海外の識者も記しています。

もちろん、いまとなっては20世紀、「羽生結弦以前」の話となります。
実際、羽生結弦のような公演を成し遂げ続ける人物は現代史において、少なくともこの国にはいませんでした。誰と比較するでなく、これは史実として確かなことです。