ただ、状況が変わる時代が訪れる
それは、池田大作が会員の前に姿を現さなくなる前ぶれ頃、創価大学は駅伝に俄に力をいれるようになり、見事箱根駅伝初出場
それ以降も、池田が大学や会員の前から退場するのとまるで比例するように、大学は駅伝部の体制や施設の充実を図る
そして、見事に箱根の常連校への飛躍

この、池田の退場とシンクロするような駅伝部の活躍は、何か意味があるのだろうか?
それは私はあると思っている
どういうことかというと、もし池田が健在のままであれば、創価大学が野球部を差し置いて駅伝部の充実を図ることは恐らく許されなかったことであろうから

あれだけ高村学生部長が駅伝部の支援を呼び掛けながら、全く反応しなかった池田や大学本部
それが急に駅伝部に力を入れるように転換したのは、何かしら方針転換が有ったからに他ならない
予選落ち常連ながらも箱根出場の希望は常に消えていなかった駅伝部員、駅伝部員を支持し続けた高村学生部著、そんな努力の姿にさえ決して手を差しのべなかった大学本部

でありながら力を入れ始めたのは受験倍率の低下を危惧した大学のブランディング強化対策があったわけだが、それ以上に池田大作という目の前のたん瘤が消えた影響が極めて大きいと私は感じている
なぜなら、野球部を越える駅伝部への援助は池田の怒りを招いただろうからだ