今回のドーピングという題材を生かすためには、信者たちは宗教パラダイスに逃げないで、ドーピングという不都合な真実に直面すべきだ
だってそれが一般社会での対応力を身につける貴重な機会なんだから
現に創価大学駅伝部はドーピングという規格違反が厳正に適用され処分され、出雲市や学生駅伝全体に多大なる迷惑をかけた
この事実に本気で目を向ければ、ドーピング陽性に宗教の無謬や宿命転換などの解釈を持ち込むのは洗脳オママゴトであることを理解できる

まぁ、宗教本部が信者からドーピングを隠蔽したり、また駅伝での宗教と一般価値観との融合は始まったばかりだししょうがない面はあるけどさ
ただ、一般世界での勝負事において宗教の洗脳や互助価値観は極一部にしか通用せんから、今後、宗教本部が信者には隠しきれない宗教では決して対応できない出来事が露になり続けるでしょう
しかし創価大学駅伝部は、宗教と多様な価値観のハイブリッド融合でそれらに立ち向かっていくことでしょう

宗教価値観を遥かにしのぐ榎木監督の成功哲学、宗教互助の馴れ合いに逃げない真剣勝負の非信者ランナー、競技において宗教が通用する部分としない部分を知り尽くしている川嶋総監督
これらの方々が、凝り固まった宗教信者の洗脳を駅伝の姿を通して柔軟にほぐして、創価の未来に希望の変革をもたらしてくれることを期待します