ほぼ日刊イトイ新聞
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糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

今日のダーリン

・数時間前に羽生結弦のアイスストーリー『RE_PRAY』の横浜での公演から帰ってきた。こぼれるくらい感じたものはあるのだが、まだことばにまとめるのは難しい。感じたこと思ったことの断片を、ランダムに記しておく。これはぼく自身が、いずれまたその先を考えるためのメモ。

・羽生結弦はひとりももらさぬようにとばかりに、あらゆる関係者への感謝をことばにしていた。そのことの本気さはとてもよく伝わってきた。ただ、そのたくさんの人たちのおかげでできた表現のずっと「切っ先」で輝いていた男は羽生結弦だ。

・競技スポーツの世界で、採点という「客観に似た視点」が、スケートの愉快さ、おもしろさ、可能性を、狭めてしまうこともあったのかもしれない。その世界の競い合いからスピンアウトした羽生結弦は、「選手」と呼ばれていたとき以上に、表現しきっていた。

・羽生結弦が「ぜんそく」だったことは、まわりまわって、いまの彼の表現に大きな力を与えている。「息」を意識する、「息」についてことばで語る、「息」が生命の鼓動を見えるようにしてくれている。この「息」が止まることがあるのだと知りながら、止まる直前までの絶頂感を、彼は無意識で演出している。

・「なんでもない少年」だったことを羽生結弦は憶えている。その「なんでもない少年」が、あの「とんでもない時間」を生み出せる理由は、人びとの期待を燃料にして爆発させてきたからだ。人の期待とは強力な燃料でもあり危険物でもある。こころからの礼を尽くして取り扱わねばならない。

・神がいるのかいないのかは別にして、羽生結弦とは、なにか大きなものへの捧げ物である。地上の人間たちが、精一杯の丹精を込めて天に捧げる者。そうあってもいいと、本人が覚悟したのだろう。

・俗世間のぼくは思う、神さま、羽生結弦に、「なんでもない幸せ」を毎日のおやつ分くらい与え給えと。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 この日、彼からの「ありがとう」を何十回聞いただろうか。