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「羽生結弦さん」の「誹謗中傷の原因」として挙げられた

読まれれば読まれるほどに、注目を浴びれば浴びるほどに、ネット社会では広告やそれに類する対価が発生する。これはゴシップメディアのネット記事も同様であることは言うまでもない。

「メディア」という大きな主語を用いれば、もちろん私もそうだし、この徳力氏も加担者となるので「お前が言うな」はもっともな話だが、徳力氏が当のヤフーニュースでこうした記事を書く勇気を私は尊敬するし、私もこれまでもリスク承知で、ときに媒体名指しで反駁文を書いている。

金より正義云々とかっこいい話にしたいわけではなく、やはりおかしいことはおかしいと声を上げることが物書きの本質と信じるからだ。ドレフュス事件のエミール・ゾラしかり、アルジェリア戦争のジャン=ポール・サルトルしかり。有名無名関係なく、それが物書きなのだと信じている。好き嫌いの問題でなく、矜持の問題だ。

そして実際問題として、羽生結弦に対するゴシップ記事のほとんどは、メディア側から見ても「おかしい」からだ。そしてそれは、こうして総務省の検討会で「羽生結弦さん」の「誹謗中傷の原因」として挙げられた。やはり傍から見ても「おかしい」のだ。

これ、大変なことのように思う。

総務省の検討会は法学や情報学、メディア学の専門家や研究者、そして実務者としての弁護士や関係団体のオブザーバーによって構成されている。世界各国のコロナ禍におけるフェイクニュースやディープフェイクによる政治工作とその大衆化、そしてAIやメタバースの問題を語る専門検討会で「羽生結弦」に対する誹謗中傷も具体例として取り上げられた。

端緒から声を上げた私たちは、羽生結弦と共にある人々は、決して間違っていなかった。

権威がどうこうでなく、やはり国の機関が、専門家の集団が取り上げても、それは「おかしい」ものだったということだ。

これを受けて、クロサカタツヤ慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任准教授はこう述べている。