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なぜ、あの羽生記事は世に出たのか

 是非はともあれ、記事として松本人志の一連のスクープはしっかりとしたものになっている。前編で書いたようなレトリックは少なく「直球」である。大手出版社の週刊誌ともなれば正規、非正規問わず大人数が関わっている。編集部内でもそれぞれの班やグループ(会社による)でそれぞれに記事を書いているので必ずしも一定のレベルというわけでも整合性があるわけでもない。

 ともあれ、この羽生結弦の記事そのものは

「この通りの出来」ということだ。

はっきり言って、稚拙としか言いようがない。というか、出さなくてもいいレベル、である。

 ではなぜ「この通りの出来」なのに出してしまうのか。これも経験上だが四つある。

 ひとつ目は「追ってはみたがたいしたネタではなかった、それでももったいないのでいろいろ膨らませて書いた」

 ふたつ目は「以前の記事が当たったのでたいした内容でなくとも追い記事で一定数稼げると踏んだ」

 三つ目は「記事のノルマが足りないのでそれを埋めるため」

 最後に「記者個人が興味を持った(好感、私怨など)のでとにかく書いた」の四つである。

 四つめは完全な個人に対する私の憶測でしかないので省くとして、他の三つのいずれかがこの記事に当てはまるように思う。個人的にはひとつ目とふたつ目のハイブリッドのような気がするが、誰かがこの内容をリークした、もしくは記者が聞きおよび当たってみた、しかしどうも羽生結弦を主題として書くには苦しい内容だった。でも、それまでの記事の反響が他社の結果も含めそれなりの数字だったので出した、という具合のような気がする。そうでなければ天下の文春、ちょっと出来が悪すぎる。


雑な記事を撒き散らしているという現実はある

 とはいえ、こんな姿勢で羽生結弦に限らず一方的に書かれては堪ったものではないが、案外とこんなもの、ということが多い。