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 「僕はアイドルじゃない」。羽生氏が今もそう思っているとするなら、以下の三つの点で理解に問題があったのではないか。

 (1)アイドルではないという自己認識
(2)アイドルはビジネスであるということ
(3)アイドルにも守るべきプライバシーがあること

 いずれも、羽生氏に一人で理解し対応すべきだというには無理があり、周囲が十分サポートすべき現実問題だったのではないかと思う。超一流のアスリートであり、同時にアイスショー・ビジネスの開拓者でもある羽生氏といえども、まだ28歳の若者であり、いわゆる世間的な経験は乏しい。彼を助けることができるチームがなかったことが、残念に思える。

● 「羽生結弦」は 至高のアイドル

 羽生結弦はアイドルである。それも、高純度の特別なアイドルである。羽生氏は、まずこの事実認識を持つべきだったのではないだろうか。

 理由は、そうしないと各種のリスクに対する対応が不十分になって危ないからだ。

 わが国には、おびただしい数のアイドル論考があり、アイドルの在り方が時代によって変化しているようでもあるが、最大公約数的に以下のようなことがいえるのではないか。

 まず、対象は歌手・俳優・選手などとして未熟なうちから注目されることが大きな特徴だ。ファンは対象の成長を願い、大いに感情移入しつつ応援する。この過程で対象は個々のファンにとって精神的に特別な存在になり、例えば自分が庇護しなければならない相手としてリアルな想像が投影される。

 近年では陰にあっても応援が献身的であることに重きを置いた「推し」という概念が力を増しているようだ。

 こうしたアイドル像に対して、羽生結弦は完璧な存在だった。ジュニアの大会を圧勝して、シニアの大会にチャレンジし始めた「ユズくん」は、難度の高いジャンプを軽々と飛ぶ天才スケーターだったが、華はあってもいかにも華奢(きゃしゃ)で頼りなく守り育ててあげたいような対象だった。

 しかも、フィギュアスケートという競技種目の特殊性があった。ジャンプをして着氷する度にハラハラさせるのだ。筆者のような競技に詳しくない見物人がテレビ中継で羽生選手を見ていても呼吸が浅くなってどきどきしたのだから、羽生選手のファンにとっての刺激は一体どれほどだったのか。