明治の凋落はすべて、松本穣部長に帰する。あの当時、格別の、1200万円の年俸で
西を連れてきて、その無能ぶりにも拘わらず長年、監督の座に居続けた。それもこれも
松本部長の後ろ盾があったればこそ。自分が定年で部長を退いた後も、GMで残るという
異常さ。名部長と言われた、各部の部長がGMで残ったなんて、明治大学体育会史上、初めてである。
彼の偏執狂ぶりは、短距離コーチの金子公大さん(理工学部准教授。日本陸連コーチ)を追放して、早稲田の
渡辺を連れてきたことにもある。挙句のはてに、先回のアジア大会で優勝した、高山選手を明大のOB
として認めない。本当に狂っているとかいいようがない。伝統のある明大競走部の歴史が泣いている。