ちなみに北海道の雪印も、中大OBの山本庸一がつくった会社
雪印の山本庸一が亡くなった1987年に、日テレで箱根完全実況中継が始まったが、

当時の読売新聞社の幹部は、佐々木芳雄、ナベツネ(渡邉恒雄)、山北博司、★中大出身者&中大関係者★
日テレを事実上経営していたのは、ナベツネの(読売時代の)後輩である
中大出身の常盤恭一(常務取締役、業務本部長や報道局長歴任)

佐々木芳雄(1987年当時読売新聞副社長、読売最高顧問、1988より日テレで社長・最高顧問)と
山北博司(1987年当時読売新聞経理局長役員待遇、1994より報知新聞社長)
佐々木と山北は中大の先輩後輩だけじゃなく、読売でも経理局長の先輩後輩

正力や務台の読売新聞社という会社の戦後の歴史は、
中大OBの経理マン(佐々木芳雄と山北博司)が経営を資金面で見守って、
ペンで切り込むのは、法政大学出身の原四郎(原軍団)

  産経新聞系のチンカス出版社の扶桑社が、
  法政大学と中央大学を揶揄したのは、読売新聞社の歴史を侮蔑しているとも言えるわけだ
  https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1547033433/300-301

ナベツネ(渡邉恒雄)は、実父が中大卒のやり手の銀行マンで、
中大出身の常盤恭一のおかげで愛妻(元女優)と知り合った。
常盤恭一は、読売時代はナベツネの部下の記者で
日本テレビで幹部を務めたのち(日テレ系)テレビ新潟社長(1993年以降)

読売の佐々木芳雄と雪印の山本庸一は、中大専門部経済科の先輩後輩になる
山本庸といえば、中大駅伝部にも一匹いたはずだが、三重のうなぎ屋は、今どうしてるんだ?