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生ぬるい風と異臭
2020年4月23日 掲載


 長崎市磯道町の実家のすぐそばに唯念寺という大きな寺があり、兵隊たちが15人ぐらい寝泊まりしていた。土井首町にある煮干し加工場付近を当時は「鬼頭(おにづか)」と呼んでいて、そこに軍需工場があった。兵隊たちと一緒に、燃料を入れるドラム缶のさびを落として洗浄する作業を強制的にさせられていた。
 原爆が投下されたのは、ドラム缶を洗っている時だった。オレンジのような柿のような色が「ピカッ」と光り、生ぬるい風と何ともいえない異臭が漂った。その後に「ドーン」という音がした。海に面した船場からは、さえぎるものがなく市中心部が見える。音がした方向に目を向けると、きのこ雲が見えた。「新型爆弾だ。防空壕(ごう)に入って」。兵隊が叫んでいたのを覚えている。
 午後6時ごろまで工場近くのンガポールで2年間、イギリスの捕虜になっていたという。結婚は親同士で決めていて、顔を見たこともないのに、1カ月もしないうちに夫婦にされた。破談にならないように急いだのだろう。夫を初めて見たのは結婚式の当日。白足袋を履いていたので、夫だと認識した。「親同士が決めたから仕方ないか」。そんな時代だった。

<私の願い>
 兄2人は台湾とミャンマーで、それぞれ戦死した。日本が勝つと思っていたので悲しかった。あの日に見た光、におい、雲は忘れない。いまだに寝る時に思い出して恐ろしくなる。犠牲になった人たちのためにも戦争はしてはいけない。