補足すると、たとえば、
シャッターを押すだけで撮れるカメラのことをかつては朝鮮人の蔑称で呼んでいた。
今でも、悪意なしにその呼称を用いる人はいるが、かりに差別の意図がなくても、
今ではその用語の使用はおそらく許容されないだろう。
要は、当該行為の社会的な位置づけ、意味づけが問題になるわけで、
差別行為には常に差別の意図が必要とされるわけではないだろう。