革新的で民主的な思想にもとづく集まりと称される、ある集会で、農村出身の青年が農村が嫁不足に苦しむ窮状を説明したところ、
これが、フェミニズムにとって都合の悪い発言と感じ取った左翼の女性活動家が、腐った魚のような目でせせら笑い、傲慢にも、こう言い放った。
「なぜ、結婚にこだわるのですか、結婚だけが人生じゃないはずです、
結婚できなければできないでいいじゃないですか、何か他にすることはないのですか」
自分の人生について語るのなら、この言葉に問題はないだろう。
しかし、他人の人生に対し、あるいは社会全体の問題に対し、この言葉は言語道断の暴言である。
結婚がどうでもいいのなら、どうでもよくないこととは一体何だろう? そんなものは何もない。そんなものがこの世にあるわけがない。
結婚がどうでもいいのなら、家庭もどうでもいいし、家庭がどうでもよければ社会もどうでもいい。 地球も人類もどうでもよい。世の中なにもかも、きれいさっぱりお終いである。
平和もいらないし、環境保護もいらない、人類もいらない。核戦争で世界が滅んだところで、どうってことはない。
もちろん、女性の権利もフェミニズムもへったくれもない。土足で蹴飛ばされてしまうだろう。
左翼とフェミニズムは、自分たちに都合悪くなると、あとさきみさかいなく、どんなデタラメでも平気で言うのである。
左翼とフェミニズムは、組織から教えられたマニュアルから外れた場面に遭遇すると、完全に正気を失って錯乱してしまう。