罪とは何か、裁判員制度とは何か
人は人を指差して言う
【鬼畜】と
だがそもそも【鬼畜】とは何だ?
日本では年間に千軒の殺人が起こっている、言い方を変えれば【たったの千軒】
だ。
それを解決する方法が重罪化しかないと言うのはあまりに乱暴すぎる、
多くの宗教では罪人が生まれるのはその人にだけ罪があるのではなく、社会的な矛盾が積み重なって
その上で罪人が生まれると捕らえられる、
本当にすべきなのはこのストレスの発散が目的のような制度なのか?
いじめ、格差社会、若者への過酷な仕打ち、
この国は大雑把だ。
大雑把な上に綺麗事に傾く、
俺たちが決めて良い事など一つもない
罪を重くしたりするのならば科学的であり哲学的な根拠をそこに持ち出すべきだ。
綺麗事ではなく… 今の世界の人間は自己愛を持っていても
それを制御できていない
自分というものやプライドというもの
トラウマというものが生まれつきだと思っている
この世界は変わらなければいけない
犯罪を犯した人間を殺す社会ではなく
どうしたら犯罪を犯さない人間を生み出せるのか
不平等と世の中の闇と自己愛の異常
全てはそこに帰結する
誰も救ってはくれない
誰も救えはしない
自分自身のことすら
誰もわかりたくも無いとおもってる
愛せよ善を
愛とは偽り
努力を愛せよ
愛とは偽り
いいことをする自分を好きになれば
生きることに希望を持てる
笑顔を忘れないで
偽りの笑顔でも
人は救われる
誰かが精一杯やったことを認めてあげようよ。 いや、人を殺したいと思うやつはこの世の中にゴマンといるだろう。
だが、すんでのところでやっととどまっている。
人間でいたいと思うから。人殺しは鬼畜になると思っているから。
きっと、死刑を求めたい者は人間でなくなった彼らを蔑むと同時にうらやんでいるような気がする。 >人間でいたいと思うから。人殺しは鬼畜になると思っているから。
こう思える人間に育つ環境があったからだよ。
その環境を提供して鬼畜で無く人間に育てるのが俺たちみんなの指名であり
恐怖ではなく愛情で人を支配するという本当の意味での高尚さ >>生まれによっては誰もが連続殺人鬼になるって事を認めようよ。
どの様な生まれ方をするのかで、殺人鬼になるのなら、裁判も不要になりそう。
貧民として生まれた人間は、全て犯罪者?
>>いや、憲法が保障している、(人間は皆平等)だと、平等なら幸福なのだよ。
平等=幸福
とんでもない間違い。
>>49
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、
人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、
政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
憲法で平等と言っているのは、上記の文であって、
人間は、皆平等とは、言っていません。
あくまでも、法の下にと言っており、平等とする事項に関しても制限があります。
確かに大罪を犯すまでは、その考えが正しいのだと思います。
どんなに息子が外で過ちを犯しても抱きしめて受け止めるのが父親像でしょう。
ただ、人を殺めた息子を抱きしめられるでしょうか。それは愛情でしょうか。
私はその大罪を犯した息子を苦悶しながらも決して許さない父親像に敬意を払います。
それはわが子への愛を超えて他者への責任が感じられるからです。 問うものさんは、この国にだけ、差別があり、その差別により、
人が犯罪を犯すようになると考えているのでしょうか?
50の書き込みから、そのように受け取れるのですが・・・。
しかし、52では、この世界という、あなたは、何を対象として、
話をまとめたいのでしょうか?
憲法を出して人は平等だと、想像を持ち出し、支離滅裂な言動が多すぎます。
自分の意見をまとめて書き込みをしたほうが良いのではないでしょうか?
罪とは犯罪を表現すること
裁判員制度とはアメリカが裁判に民間人を裁判員として
取り入れる制度だ。
日本が取り入れたのはオウム心理教の浅原を死刑にするため裁判員制度
を取り入れた。
理由 有罪を主張しているからです。
浅原は人に罪を犯させ裁判官に犯罪を犯させたのです。
浅原は罪と犯罪を表現したいため有罪を主張しているからです。
対処方法 俺が法律を獲ることに意味がある。
法律を獲ることによって有罪を罪にすることができる。
法律とは罪を表現した犯罪なのです。
ま、言いたいこと事が纏まっていたかといったら微妙なんです、ほんとにすみません。
要約すると、心の闇と無秩序と教育環境の不備、それに社会の矛盾ですよ。
そういうものをしっかり見ないで、こういう政策に踏み切ったこと自体がはっきり言えば
アメリカと似ているのではないかという忠告がしたかった。
まず、やはり人間性というものを一から考え直して、まず民が変わって
其れからじゃないでしょうか、こういう制度は、
凶悪犯罪の背景に、いじめ、社会不安、差別、があることは事実なのですから、面倒臭いんですかね?
そこに目を向けることが?
結局この制度は何がしたいんでしょう、単に重罪化が目的なのでしょうか?
人が人をいじめて追い込み、逃げ場を奪って行き場所を奪う。
私はもう少し【心使い】や【いたわり】の大切さに目を向けていいのではないかと思っただけです。
いじめられて当然の人間が居るなら声高に宣言なさってください、 人間にとって最も辛い事は【人間以下の存在】と自己をみなす事に他ならない、
貧困でも死でもないのですよ。
ま、拷問とかを抜きにすればですけどね。
人は確かに自分という特別な存在と一般人という普通の存在、あともう一つ下の存在を求めるのです。
それを得る事で自分の価値が高まるから、自分を好きになれるから、えらばらる基準は単純です。
不細工だから、金が無いから、その中からランダムに選ばれることもあればそうでなくその一部であることもある、
結局これは差別なんですよ。
どうしようもないんですかね。
どうしようもないなら誰かそうだといってください?
どうしても認めたくないこともある、認めてしまえばその瞬間に自己が崩壊するから、
自分で死ぬくらいなら危うい事に身を任せよう
復讐すれば少しは気が晴れるだろうか?
この世の中は悪だ、だから復習をする、
闇だよ
この闇は誰が生み出したんだろう
認めればどうなるというのだろう
誰が誰かを救えるのか?
一度でも善人になる選択肢があっただろうか、
無かったのだよ
そんなものはさいしょから
無かったのだよ
誰が悪いんですか?
誰かが悪いんですか?
人に罪を押し付けて
このよはへいわになりました
めでたしめでたし 問うものさんへ、
犯罪加害者は、色々と弁護されて、復讐も無くなり良い世の中になったと考えるでしょうが、
犯罪被害者は、誰からも見放され、復讐もできなくなり、この怒りをどこに向ければよいのでしょうか?
犯罪被害者になるより、加害者になればよいのかな?
皆さん、犯罪被害者は損するばかりです。
加害者になりましょう、そうすれば、あなたの過去を思い描いて、問うものさんが
守ってくれます。
加害者が被害者を問答無用に抹殺した国家ぐるみの犯罪行為に起きた、とてつ
もない奇跡。「神の裁き」は既に始まっているかも知れない!
(以下の事実はすべて立証済であり、それは尚も続く私共家族の生命・人権・
財産権等の確信犯的侵害行為のみによっても容易に裏付けられています)
http://kayoda.digi2.jp
公務員の違法・違憲極まりない職権乱用行為によって憲法で保障された基本的
人権、財産権及び幸福追求権等を侵害された私共家族。
同事件は被害者の私によってその事実関係が明らかにされたことでもって、加
害者の沖縄県は私共の同侵害行為を即刻解消することとなった。
ところが、ここで「同事件を歴史から完全に抹殺する」とした日本政府がその
為には@私共家族の恐怖極まりない生命・人権・財産権等の侵害行為は永久に
解消しないAこの違憲極まりない犯罪行為に耐えられなくなった被害者の私が
正当防衛的自力救済に及ぶのを待ち、問答無用に刑事罰を加える。そして「遵
法精神に著しく欠如した極悪人」として葬り去る―とする更なる法律の蹂躙行
為でもって私共家族を確信的に不幸のどん底に陥れた(既に16年11ヵ月余に
及ぶ・2010年11月30日現在)。
仮に今回のエビ蔵事件…
エビ蔵が灰皿で酒飲めとか髪引っ張って酒かけたとか…
これは暴力?
俺は暴力だと思う
殴られて当然な訳で…
この状況聞いただけなら俺は無罪にしたい
絶対的にエビ蔵が悪い
こんなんでも…裁判員…やはり 制度無くそうよ
加害者と被害者という【色眼鏡】で人をわかった気になるなよ >>69
加害者,被害者を色眼鏡では見ていません。
事件を起こしたものと、その事件により被害に会った者の、
義務と責任,権利を認めたいだけです。
問うものさんの方が、被害者の存在を無いものとして、
加害者の責任を、過去に由来するものとして、隠してしまおうとしているのです。
加害者にも、確かに過去の不幸があって情状される場合も有ると思いますが、
情状の余地も無いものもあるはずです。
それを認めもしないで、犯罪者を過去に不幸のあるもの、差別を受けたものとして、
言い切ってしまう、とんでもないことです。
法治国家である国に生まれ、裁判制度により、一人ひとりの権利・義務が守られるべきです。
問うものさんの勝手な言い分を聞いていると、被害者の方がとっても気の毒です。
被害者だから可哀想は必要だけど、それと犯罪の原因は別問題
この国は法治国家なんだから感情論に傾くのは不平等であり、許されない 本当に可哀想だけどね。
けどだからといって罪をそれで計ることが本当に被害者と国民にとって正解で
幸福なことであり
救いである
本気でそう思うかい? 俺にはその歪んだ憎悪の行き着く先が見える
望みは得られずより大きなものを失う 被害者の怒りを感情論でかたずける?
被害者の受けた損失を、加害者も受けて当然では?
被害者は、加害者と何の関係も無く、平和に生活していたかもしれません。
それを、何のいわれも無く、被害に遭う。
これほど、不幸なことは無い。
加害者の勝手な、自己中心的な考えで、被害に遭っている。
これの賠償を受けるのを、感情的というのは、問うものさんは、
何と捨て身な人なのでしょうか?
あなたの家族が被害に遭わない事を望みます。
山口県(光市だったかな?)の、家族のような!!
犯罪には、必ず加害者と被害者が居ます。
それを忘れない様に!!
自己中心的という言葉は言葉そのものに若干の矛盾がありますよ。
身勝手という言葉もそうですね。
人間は正しい意味では全員がそうなのですから 過ぎた自己への過信
自尊心、憎悪の狂い、怒りの矛先、恐怖心のあり方
狂えば狂うんですよ
この世の中のそれが既に正常でないように
ねぇ? そう、誰もが狂いうる
弱い生き物なんですよ人間は
人間という言葉は即ち人の世その物をさす言葉
だがいつしか人は悪い人間と良い人間という区別を個人に宛がう様になってしまった
そうして世の中が逃避の上に荒めば心の闇は更に大きく増大する
無理やり消そうとすればするほどにね、いくらでも
僕はそう思うよ >>75
人間は、自己中心的,身勝手だけではありません。
母親の子供を思う気持ちを、あなたは、理解できていないのでしょう。
このスレで、自分の思いを述べる資格が、本当に貴方にはあるのでしょうか?
この文書だけで、偏った貴方の思想が読み取れるようです。
問うものさんが、自分自身を見直す気持ちもなさそうなので、
私は、もう何も言うつもりも有りません。
はっきり言って、あきれてしまいました。
さようなら!!
人は平等ではない
全ては奪い合うものだ
それを忘れて綺麗事に縋り付き、人からその気なしにすべてを奪いすぎている
それが世界、この国の真実 母親としての自己に縋り付いて正当さをアピールする
実に馬鹿らしい
心がない
こんな国だからこういうことも起こる 死と苦痛が人を縛る
国家がしている事も結局はそれだ
人の人による支配、結局は正義と呼べるような立派な代物ではない
そういう微妙なところに土足で上がりこむのが流儀か、 世の中の出来事の全ては表面上で裁く事も解ったと思い込む事も正しくない、
それは健全な罪や量刑とは言えない
鬼は鬼だが鬼を生み出した世の中も神ではない 罪は一人の人間に具現化するがしかし罪は一人の人間が生み出すのではない 自由という名の不自由の不平等だ。
それと引き換えに心を失った。
家族が殺し合い、憎悪と怒りに身を委ねる、自由でしょう?
人を傷つけようが、どんな正義を信じようが
行き場の無い怒りと憎悪が迷って闇に行き着くどうして人を殺してはいけないのかさえ解らなくなる、人生など元から存在しないのか
どうせ終わりなのか
死は償いなのか
悪魔は笑いかける
狂った果てに全てを失う
罪人に死を、社会は笑う
人を殺してはいけない
生きる事は苦しいが光は無いという訳ではない、
鬼畜など居ない
人が人を殺し
人はそれを許せないだけだ 罪というのは裏を返せばほぼ全て心の闇の仕業なのだよ。
罪を犯した人間もそういう運命に翻弄されただけで生まれつきの罪人ではない、
死を償いであると捕らえることは裏を返せば程度はあっても殺人鬼と同じ、
都合の悪いものは殺して始末したら良いと思ってしまうのは結局同じことだよ。
人間なんて闇の前に無力だから刑罰なんてものに頼らざるを得ないんだよ。
決して素晴らしい事であるとは言えない、でもその秩序がないと世界は成り立たない、
僕の言葉が真実である保障は無いかもしれないが
罪は仕方が無いと言う側面も含んでいる
闇に土足で踏み込めば、踏み込んだ人間をも闇に飲み込まれる恐れがある、 見ていた。
彼らは僕を見ていた。
蔑んでいた。
僕は思った。
生きることに意味は無い、意味があるのは復讐だけだ。
善意など所詮は幻想なのだから、金と快楽が全てだ。
ならば力で奪って何が悪い?
この世界が僕に苦痛を与えるなら僕はそこに同じように復讐する、見えるだろう君達にもこの暗い闇が、見えないとは言わせない、
この世の〔正義〕にこの闇を晴らすことは出来ない、でも諦めたくないんだ。
僕は諦めが悪いんだ。
無力なんだよ。
こんな制度は闇の前では、逆に闇を深めるだけだ。
綺麗事にそった法案、東京都のやつもこれも結局は糞なんだぜ
今のこの国の多くの有権者にはマニュアルを遂行する才能はあっても創造する才能は無いの
犯罪が起こる社会にはそもそも矛盾が存在し
その矛盾の闇がその原因だ
その原因を特定するのが本当に罪を裁くことになる
大切なのは重罪かではなく驕りの放棄と反省なんだよ
十分してきただろうがこれからもそうであらなければならない
人はみな無力だ
その無力さをせめても何も生まれない
そんなのは地獄だ 自分の弟が罪を犯したとき
あなたは死刑に出来ますか?
あなたが親に褒められている時に嫉妬して
あなたとおやつを取り合い
ご飯を一緒に食べたり食べなかったりした
でもそこにはなにかがあった
わすれてはいけないたいせつななにかが
生まれながらの悪があるとしたら
それはこの世界の矛盾です
許しあうことが出来ない愚かさです
人の生き死にの問題ではない 弟がおやつを取った
でも後で謝って
どうして喧嘩になったんだろう
あなたは考えた
弟も考えた
悩んで共に苦しんだ
その悩むことだけが
許し合いだった
抱き合いだった
あなたたちは忘れている
この世の中を牛耳っている人たちへ
あなたたちももう家に帰るときです
その時が来ました
もう終わりです
どうにもなりません
諦めなさい 所詮人間は支配しあう生き物だ
だがそこには本来不要な苦痛も死も無い
只無力を認めてみんなが等身大になれば
殺人ほどに不要なものは無いということがわかる
と今思った
此処も俺の独り言スレになりつつあるな でも確かに現状において被害者のプライドはあんまり配慮されてなかった
(良心)なんて言葉でいくら言っても被害者のケアが行き届くわけじゃない
プライドはプライドで罪は罪だもんな… 自由を求めるなら
正しさを求めるなら
現状維持だ
社会的な人間も
反社会的な人間も
特効薬は未完成だから
人間の怒りと空しさが
悲しみと喜びが
善悪の多様性が悲劇を生むなら
俺たちは生まれ変わる必要がある
この世界は丸ごと
時は必ず来る
最後まで信じ続けろ
平凡的な良心ってやつを 性を悪い事だと教える大人の価値観が
女性がそれを穢れととらえる要因のひとつだ
人を傷つけることは悪いが性は悪そのものではない
危険な闇をはらんでいることには違いないが本来からおおらかに人間社会にあるべきものだ
取り扱いが難しい爆弾だが故に過度の取り締まりもより危険なことだ (フェミ+警察+裁判所)=偽善者集団
(フェミ)≠(警察)≠(裁判所)
言うまでも無いが基本的にこうでないといけない だがそれで君たちの苦しみまで取り払えるかといったらそうじゃない
でもそれは本来別々でなくてはならない問題なんだ
頼むよ
聞いてくれ
頼む だがそれで君たちの苦しみまで取り払えるかといったらそうじゃない
でもそれは本来別々でなくてはならない問題なんだ
頼むよ
この国は迷ってる
だからこそ自分で選んでくれ
何が正しいのか
自分の心で見極めるんだ
流されるな
イメージじゃない
一番大切なのは本質なんだ
自分を
他人を見失うなよ 人間は心の闇を消すことは出来ない
なぜなら闇は人間自身の中にあるから
せいぜい出来る事は封じ込めることだけ
それも完全には不可能だ
少なくとも現状では 人間そのものが矛盾した存在である限り
心の闇も傍にある
僕は誰よりもそれを解ってる
それを無理矢理消そうと思ったら
人間が滅びるしかない
でも僕は光が来るのを待つ
いつまでも
際限なく待つ
君たちはどうする 人間なんて全員が怪物なんだ
自分が怪物であることを忘れずに人に接するんだ
それが本当の贖罪だ この世の中そのものが完全性を装っていても
子供の書いた絵空事が原理になってるようなものだ
だからほころびは必ず生まれる
そのほころびを正そうとしてありもしない完璧を求める
しかも人はそれを誰かに押し付ける この問題に答えろ!
ゴンザレスちゃんは今日も世界一の剣を求めて旅をしている。今日は、レイピア6本と,錆びた剣2本を320970円で手に入れた。
レイピアは錆びた剣の4倍だ。
さてと、レイピアは、1本何円だ!
答えてみろ!! 裁判員にアドバイス
犯罪者は、反省しないよ
「あーはやく帰ってオナニーしてえ」
くらいしか考えてないw
犯罪者に同情して自分に酔ってんじゃねえよカスw
加害者より被害者や遺族の気持ちを
考えろ! この記事はおかしい。
辞退率だけ書いて、まるで辞退者以外は全員が出頭したように読める。
正確には候補者のうち辞退者が51.8%、それ以外は出頭義務があるが
このうち実際に出頭したのは81.4%。
したがって本当の出頭者は候補者のうち0.518×0.814=0.392%。
辞退者と拒否者の合計は、60.8%とある。正確に報道するなら
今年は候補者のうち61%が不出頭というタイトルにすべきである。
2010年10月末現在 最高裁発表
裁判員候補者数112561人
裁判員辞退者数 57811人
最終呼出し者数 54750人
裁判員出頭者数 44572人
裁判員出頭拒否 10178人
裁判所発表の出頭率 81.4%
候補者数に対する出頭率39.6%
罰や法が人を支配する事は出来ない
人を支配する事ができるのは愛情と其の反対のものだけだよ >>110
断る
>>111
そういう人間を育てた社会にそもそも原因がある
まず変わるべきなのは俺だが 人間の良心は普遍ではない
人間は人間に造られる
これを忘れて卑下ばかりして本人の努力を認めないのもいかんし乱れた人間関係もいかん
人格は優れたコミュニティーの中で育まれるべきであって逃れてはいかん
それには肉親と言う媒体はあまりにも脆すぎる
ひどいこれは犯罪を犯す人格を量産してしまう >>116
そういう思想をコミュニタリアニズムって言うんだよ。
サンデル、マッキンタイア、テーラー、ウオルツアー、
それにマルクスもこれに属するらしい。
日本では菊池理夫、青木孝平、小林正弥、佐藤優、宮崎哲也らがいる。
人間とは社会関係のアンサンブルである。 僕の論理も突き詰めると人を縛るものが刑罰である事への矛盾に繋がっていく
もちろん今はそれでしかるべきなのだが
十字架に吊るしてもその人が殺した人が生き返るわけでもない
それは単に
いや、やめておこう
裁判は脳内で行われるのではないんです。
裁判は生身の人間が法廷で行うんです。
貴方も一度時間を作って法廷傍聴に行ってみてください。目から鱗が落ちます。 死んでも法廷には行きたくない!
裁判員でも、傍聴でも、いやなものはいやだ! 【社会】ランドセル 伊達直人現象加熱 今度は恵まれないホームレス密集地帯に
モンベル製の高級寝袋 5つ届くも 奪い合いで三人死傷【大阪】 ★2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news7/1290948938/ 一つ間違いを言ったのだが、人を刑罰で裁くと言うのは特に矛盾してないか…、
俺は間違いを認めたい、だがそれ以前にこの世界は正しくないのだと、
(未完成な世界で生きているという本質)が(犯罪が起こる)と言うことと同意義だと、
この世界も法も生き方も完全ではない、この制度自体がここで俺がしている事と同じ(只の愚痴)
なのだと思うよ。
完全で無い世界で完全な人間を求める事も、完全な平和を求める事も単なる愚痴なのだよ。
だとすればこの世界がより完全に成らない限り、何一つ良くはならないだろう。
自己満足の愚痴だ。
それはこの俺もそして世界もだ。 (未完成な世界で不完全な人間として生きている)
そう思うから人は優しくなれるんだろうな、そう人間が犯罪者であろうと善人であろうと共感するから国ってのは成り立つんだろうな、
>>119
それは解ってる、仕方が無い事も解ってるが只だからといってそれは(正義)でも(平等)でもないだろう?
ならば問う、それだけだ。 そもそも刑罰は犯罪抑制効果はあるがそれ以上でもそれ以下でもない
国のシステムの一つと言うだけであって度が過ぎれば只の凶器だ。
国があれば犯罪が起こる、強盗も殺人も起こる、金で回ってる社会ではそれによって幸福になる人もそうでない人も居る
少なくともこの世の中は誰もに不平等だが其の不平等に頼らなければ社会は成り立たない、
この世界をつくってるのは現実であり、法とは現実と言う名の不条理そのものを収める更なる不条理に過ぎない、誰でも運命によって犯罪者となりそれ以外になる
そこに(善人)や(悪人)といった絶対的区別は存在しない
あくまで立場の問題だ。
どちらかがどちらかを排除し理想の国家を作るなどと言うことは出来ない、
犯罪者の存在こそ不条理と矛盾の塊である国家の本質だからだ
それは誰かが悪いわけではなく、(そうなってしまう)だけの事
そして人は罰を与える
だがそれでも犯罪は無くならない
勝手にそれ自体を忌むという人が居るだけで
人間とは一体なのだ
社会とは罪とは切り離せないのだ
無論これは理屈であって僕自身の感情とは又違うものだ
この世の中は誰かの犠牲の上に成り立っている
それ自体を悪いとは言わないし仕方が無いのかもしれない
でもな
それを誤魔化すな!!!!!!!
誰かを踏みつけて生きるんだったら最初からそう言えよ?
だったら迷わず死ねるじゃないか…
死なんけどな…
罰とは報復
良心だの慈悲だの言っても結局はこれが真実
そして良心と言うものが統一化できないからこそ
憎悪が生まれ人は異なった道徳心により対立する
確かな事は
報復は報復を生み
憎悪は消えないという事
気がその時は晴れても結局はまた良からぬ事が起こる
死刑にしようが無期にしようが
人間の良心をどうにかする事は出来ない
そしてそれが出来ない限り何も変わることは無い ああそうだ。
人はすれ違い
人は争い
人は殺しあう
闇は更に更に深みを増す
俺を屑だと言いながら俺を納得させる事も出来ない
殺す事も出来ない、俺の中で憎悪が大きくなっていく
一人の人間を諭す事も出来ない世の中ではいくらでも無差別殺人は起こるよ
理性が無いとか、社会不適格者とかそんな名前をつけることしか出来ない
ふがいない世の中だ
屑なら屑だと自覚させてみろ
それが出来ないから復讐心を生むのだ 己の道徳心によって他人の道徳心を支配せんとする
怒り、憎悪、人の欲望は勝手な自己愛の元で巨大になり、勝手な劣等感の元で減少する、
得んとするも拒否するもそれは人の勝手でしかない
暗いのは人の心
正義などこの世に有りはしない
身勝手な人間が身勝手な人間に憎しみをぶつけるだけ
戦争に行ってレイプする奴も居ればしない奴も居る
でもその境目は案外大した事は無い
人が信じている道徳や倫理など一夜の闇の内に崩れ去るものだ
何を望むか、どんな世界を一人ひとりが望むのか、誰に奪う権利が有って、誰にそれが無いのか、
何を恥じて何を封じ込め、誰を鬼と呼ぶのか
憎悪を持って人を殺す事が悪であると言う事は誰にでも出来る事だ
だがそれが悪であると誰もに認識させる事は神であろうと不可能だ
人は勝手にそれを悪だと認識しているに過ぎないから、
勝手とか言って人は自分を正当化するけど
身勝手って何なのか僕には解らない
今の自分の憎悪や怒りに捕われる事が非効率ならしない
犯罪をしない正義って
それだけじゃない?
それでいいんじゃないかな、今は 紛争でも裁判でも国家でも
復讐には復讐が帰ってくる
そこで得られるものは無く
只命は失われる
道徳と悪ではなく
道徳と道徳の対立だから
何をしようと無くなりはしない
少なくとも今のこの糞と言う名の男はこう思うね 子供の喧嘩と同じだろ
と思うわけで
子供の喧嘩は仕返しには仕返しが帰ってきて最後にはやばい事になる
ってか俺の中で最近のフェミとかへの憎悪がカミングアウトするとあるわけで、
やべぇんじゃねぇかなーみたいな…
特に性犯罪への行き過ぎた厳罰化とかは…、はっきり言うとそれくらいいいんじゃねーの的な感情もあるし…
結局国民が不仲になってしまうんじゃないかと
大体国が腐ってて国民も微妙な過去の日本にも劣る腐敗の中で普通に考えれば現状維持が最優先なのではないかと…
綺麗事で国は治まらない
国は唯一の道徳では無く多数のそれを内包する器に過ぎないから… 世間様の物事に感情の変化を受けるのは善人と呼ばれる身勝手連中だけじゃない
悪人と呼ばれる身勝手連中も感情の変化を起こす
それは憎悪だ
善人(笑)が憎悪を果たせば
悪人(笑)はその間逆になるのではないだろうか
つまりそれが怖いね
国家は神に有らず
正義も欲望も多種多様のあり方があり
それを内包する器に過ぎない
そうである限り
復讐は復讐を生み
無力な命が失われる
人が憎みあっていては自由さえ身勝手に過ぎない
憎しみを果たそうとする行為ならそれはどんなものであっても行き過ぎれば悪になる
悪とは道徳の敵ではなく多数の道徳の器である国の不調和という事になる
アメリカの真似をして絶対的正義を信仰しだせばどうなるか、知らんよ
道徳そのものが不完全で多種多様を極めたものである以上
国はそれを受け止めて絶対的正義に傾いてはいけない
国は神ではない
人が人に世界に絶望する前にもうこんな事はやめよう
憎悪で人を易々と殺すのなら俺はもう国と言うものが嫌いになってしまう
この感情が俺だけのものであるならそれでよいのだが
そうでないのなら…
人間が信じている正義など一夜の内に覆される
その時初めて人は知る
身勝手とは何かを
自由も平等も元からそんなものはこの世界に無いだろう
人の心に無いだろう
国が人に恨まれてどうする 人の痛みと苦しみと、そして無いようで有る優しさを持てる心を、
心を見出す事ができるのは苦しみを知るものだ。
憎悪の果てに真に犠牲となるのは力無く無知な者達であり、憎しみに憎しみを返す事しか出来ないのであれば
この世界が変わることは絶対に無い、
救いようの無い人間というものが、生まれながらにして誰も愛せない人間など居る訳が無いのだから、
意思を持った人間である限り、
神は全ての人間に憎悪を与えた。
憎悪が憎悪によって消え去る事はない、憎悪は人を復讐えと追いやり、復讐は更なる憎悪となりそれは更なる復讐を生む、その膨れ上がった憎悪が向けられるのは【愛】そのものに対してだ。
憎悪とは憎む相手から愛するもの全てを奪ってそして初めて充足するものなのだ。
この世で確かな事は確かな事など無いという事だけだ。 罪には罰が必要だ。
だが実際のところそれは復讐だから、もし憎悪が個人的なものではなく社会的なものであったとしたら、
罰則とはそれを犯すものに対しての効果のみを適応すべきなのだ。
大人が憎しみ合う事は子供達の心に深いトラウマを作る、憎しみが消せないなら自分に出来る事を探すだろう。
醜くて辛い怪物が闇と共にやってくる、
人にはそれをどうにも出来ないか…、でも全てを一人でやる必要など何処にもない、
誰かを頼っていい、人が憎い時、誰もが許し合おうと足掻いてだが諦めてしまう。
だがお前が諦めても俺は諦めない、 自分勝手な持論をUPしていて、犯罪加害者の弁護のみおこなっている。
犯罪被害者の事をぜんぜん考えておらず、周りからおかしいとの指摘を受けても、
持論を述べるのみなので、無視していたほうが良いと思われる。
問うものさんが、犯罪被害者にならない事を、思うばかりです。
犯罪者には面白半分に行うものと、耐え切れない憎悪から犯罪を犯すものの両方が居る
前者は重罪化によって犯罪をやめるだろうが後者はより大きい罪を犯すだろう
俺が犯罪者の援護をしていると考えるのは勝手だが この世の中の勝ち組と呼ばれる大半の人間の目を見れば解る、
彼等が勝ち組になったのは負け組みを作る為であったのだと、
本来社会に勝ち負けがあってはならない
そういう身勝手な人間の作った身勝手な世の中で、身勝手な人間によって復讐が行われることは自然の理以外の何者でもない
他者を不当に踏みつけて、反省もしない社会だから、定期的にこういう事件が起こるのだ。
まぁ昔に比べればましに成ったが、年々の事件の件数も大方似通っている事には意味があるのだ そもそも裁判で被害者の復讐が正当化されるのであれば
いじめによって蒙った社会への復讐心を満たす目的で人を殺そうが自由でしょう
そこを捻じ曲げるのは社会の側の身勝手であり、裁判が復讐であってはならない