罪とは何か、裁判員制度とは何か
人は人を指差して言う
【鬼畜】と
だがそもそも【鬼畜】とは何だ?
日本では年間に千軒の殺人が起こっている、言い方を変えれば【たったの千軒】
だ。
それを解決する方法が重罪化しかないと言うのはあまりに乱暴すぎる、
多くの宗教では罪人が生まれるのはその人にだけ罪があるのではなく、社会的な矛盾が積み重なって
その上で罪人が生まれると捕らえられる、
本当にすべきなのはこのストレスの発散が目的のような制度なのか?
人が人を殺す。
その原因が殺す人の側の環境にあるのなら、そこをまず変えないといけない、
人が人を殺す。
その原因が実にその人の持つ障害にあるのなら、うまく強制しなくてはいけない、
それをやるのが【人間】だと私は思うね。 人が人を殺す。
それは相手が憎いからだ。
相手に怒っているからだ。
人を殺した人をどうすれば気が済みますか?
殺すんですか?
煮え湯を飲ませるんですか?
針を体中につき指すんですか?
本当は何がお望みなんです?
焼き殺しますか?
性器を切り落としますか?
あなたの望みを言って見なさい、 それでは人殺しと大差無いではありませんか、
私は幸福ですから、人は殺しませんよ。
でも殺す人の気持ちは解る気がします。
多くの人に言わせれば私も鬼畜かもしれない、でも人を殺すときの私にあるのは
多分怒りでも憎悪でも快楽への渇望でも無いでしょう。
おそらく耐え難いほどの恐怖と孤独と絶望なんですよ。 人間なら、もしも人間なら、それを許さなければ、それを救わなければ、
それをしてしまったら自分を保つことが出来ないほど私達は弱い生き物なのでしょうか?
誰かに罪を押し付けなければならないほど私達は飢えているのでしょうか、
私はそうは思わない、 確かにこの国では腹が飢えて死ぬ人は少ない、
でも心が飢えて死ぬ人は年間に三万人です。
大きな闇がこの国に巣食っている、そうは思いませんか?
闇というと中二病臭いですが【悩み】という言葉の語源が【闇】であるそうです。
罪を犯そうとする人、それに出来るだけ厳しい罰をかそうとする人、
少しだけ罪というものの原点に立ち返ってみましょうよ。
努力をして、幸せに成れる人も居ます。
人というのは誰かに認められて初めて幸せになれるものです。
自分を好きになれてはじめて【生まれてきてよかった、まじめに生きてきて、罪を犯さずに生きてきてよかった】
こう思えるものです。
でも、生まれてきてからどんなに努力をしても親にすら【生まなければ良かった】そういわれてしまう人が居ます。
障害と認知されなくても、能力が弱く、人並みに仕事が出来ない人も居ます。
そういう人達はいつ、【自分が好き】になれるのでしょうか、いつ【生まれてきてよかった】と思うことが出来るのでしょうか、
私は罪人に成りたくて生きてきた人なんて一人も居ないのではないかと思います。
その人達の個性と努力を皆が認めてあげていれば、起きなくて良い悲劇も沢山あったのではないかと思います。 罪とは許すものです。
罰とは許す為にあるものです。
今は私はそう思います。 ほんのひとときのやさしさがひとのこころをすくうこともあります。
おもいだしてください、ひとりぼっちでないていたとき、だれかがさしだしてくれた
あたたかいてのぬくもりと、やさしいえがおを
それがあったからあなたはあなたなんだ
あなたはあなたでいられるんだ
一人では誰も救えはしないだろう。
人間は頑固者だから、一人が頑張って救おうと思ってもはっきり言って無理です。
必要なのは皆の優しさなんだ。
個性と罪を認める勇気なんだ。
俺が頑張らなければ成らない、だから皆も頑張れ、連投乙
人間の感情は獣だ。
だが理性でその獣とうまく付き合うのが許すということだ。
世界は未だ、それを成せていない、その獣は自分の力だけで完全に制御しえるものじゃない、
それは犯罪者に限ったことじゃない、 教育だ、教育と人の尊厳への世の中の捉え方の問題だ。
犯罪者に不幸な身の上のものがどれほど多いか、子供が良いことをしたら褒めてやるように、
大人に対してもそれは必要なんだよ。
差別されることによる不安や恐怖が犯罪の根底に結びついていることが多い、
そうだよ、彼らは不安と恐怖ゆえに罪を犯す弱い人間なのかもしれないだろ。
愛情を受けてないんだよ。
いつかそのうちこの世の中はそういう心の闇と本気で向き合うべき時が来る、
かもなぁ 司法試験は丸暗記型のテストだからね。もちろん国家資格にも安全管理者とか安全管理士みたいな試験はあるよ。
でも司法試験は暗記型なんだ。六法全書片手に解けば誰でも満点が取れるタイプのテスト。
覚えて当てはめるだけの仕事では優秀なだけど、深く理解して、柔軟に思考するという能力がまるでない。
下級審ほど世間の感覚と全くズレた判決を乱発するのもそのせい。
だから裁判員というのは日本にこそ必要な制度だと思う。 いや、それはもっと真面目に判断できる人達が判断して選出されるべきだろう。
誰がやってもいいのであれば、それはおかしいし、
そういうことが真面目に出来ない国民が裁判員制度にヒーロー遊び以外の意義を見出せるとは思えない、
こんな世の中ではこういう制度は焼け石に水にもならない、