なぜ「死刑にはできない」という心境になるのか?
これは決して裁判員への皮肉やバッシングではなく、純粋に不思議だから。
被告が無罪を主張してる場合はまた別として、
ゴミクズみたいな死んで当然の殺人犯になぜ死刑を下せないのか?
多くの人間はそんな凶悪犯に死刑を下すことにためらいなどないはず。
おそらく裁判員が裁判員に選ばれず一般人として裁判を見ていれば、
俺たちと同じように裁判員が死刑にしなかったことに憤りを感じているはずだ。
しかし、彼らは裁判の過程で死刑を下せない心境になってしまった。
つまり裁判の場に実際立つと何らかの変化が起こるわけだ。
そのような不可解な変化がどのような理由・過程で起きるのか解明したい。 心境もあるかもしれないが信教の問題
信教で人殺しなどを禁じている理由は教祖に聞いた方が明確になると思われる
法治国家
法に則るのでなく 法を乗っ取り 運用
憲法98条 効力を持たせられない
運用できないはずの枝葉の規則もあるだろう
法を乗っ取り運用している犯罪者もいる
フーリーガンやサポーターのようなものが大声をだして出したりもある
陸海空に照らし合わせる 威嚇もしない
法治国家
死刑、監禁、拘束、ポア
人殺しには国民全員強制参加
規則ですから
人殺しへの資金提供
人殺しの一員にならない人は犯罪者
規則ですから
信教の関係もある 死刑などの幇助ができない人もいる
一億火の玉 みんなで殺す
最高法規 基本・根幹
憲法98条 憲法を根幹とした枝葉
接木したりして規則を決めているらしい
効力を持たせ 運用してよい枝葉の規則
規則ですから
憲法99条 遵守
規則ですから
違法など犯罪があれば
軽蔑はしていない 裁判員制度推進派「気軽に死刑宣告できる奴なんていないから死刑減るだろ…」裁判員「死刑死刑死刑死刑ええぇぇ!!!!」
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