なぜ「死刑にはできない」という心境になるのか?
これは決して裁判員への皮肉やバッシングではなく、純粋に不思議だから。
被告が無罪を主張してる場合はまた別として、
ゴミクズみたいな死んで当然の殺人犯になぜ死刑を下せないのか?
多くの人間はそんな凶悪犯に死刑を下すことにためらいなどないはず。
おそらく裁判員が裁判員に選ばれず一般人として裁判を見ていれば、
俺たちと同じように裁判員が死刑にしなかったことに憤りを感じているはずだ。
しかし、彼らは裁判の過程で死刑を下せない心境になってしまった。
つまり裁判の場に実際立つと何らかの変化が起こるわけだ。
そのような不可解な変化がどのような理由・過程で起きるのか解明したい。 弁護士の酌量を求める為の詭弁や屁理屈、
被告の反省しているとかいう様子などは自分たちもニュース報道で伝えられるよな。
しかし、そんなもので「死刑にはできない」とはならない。
いやむしろ、わけのわからない弁解に余計に死刑にしてやりたくなる。
実際に裁判で生でそういう弁護士や被告の姿を見るとやはり何か違うのか? それといままでの裁判では
「裁判官の判決は一般市民の感覚からズレている。もっと一般市民の感覚を反映すべき」
てな世論の批判が裁判員制度ができた要因の一つなのだが、
どうも裁判員制度になっても「納得いかない判決」は減りそうにないな。
むしろ増えるかも。 解明も何も、一般人とは「犯人には死んでほしいけど自分で死刑判決出すのは気分的にイヤ」というゴミクズばかりだということ。
自分が穢れるのがイヤなだけ。
こういう奴等の無自覚な悪意が社会にどれだけの害悪を撒き散らしてるか自覚もないんだろうね。
あとなぜか、違う奴選んでるはずなのに、毎回同じコメント出してるよね。
「更生して社会復帰を」「真摯な反省を望む」
何でこんな頭の悪いコメントしか出せないんだ?
裁判員やるのは再犯って言葉を知らない低知能生物ばっか? 「自分が死刑台のボタンを押したと実感したくない刑務官」に似てるよね
裁判員が1000人ぐらいいたらさくっと死刑が出せそうだ >>4
>一般人とは「犯人には死んでほしいけど自分で死刑判決出すのは気分的にイヤ」というゴミクズばかりだということ
>裁判員やるのは再犯って言葉を知らない低知能生物ばっか?
ずい分勢いよく裁判員を批判しているが、お前も十分一般人だろ?
お前が裁判員になったら同じようになってる可能性があるんだぞ?
それとも「俺は違う。俺はそんなチキンじゃねえ。」て言い切れる根拠があるのか?
「凶悪犯を許さない 」「死刑賛成」「どうして極刑にしない」って声は以前から多数なんだから、
選ばれた裁判員達も裁判前はそうした多数だった可能性は高い。
にもかかわらずやはり死刑回避になるのがわからないんだよ。
俺だって「なんで死刑にしない?」と憤りを覚える"一般人"だ。
いまの時点で凶悪犯に死刑を下すことになんのためらいもない。
裁判員達がどういう人間がわからないから詳細は知れないが、
「こんなやつ死刑にしてやる!」と勢い込んでた人間が裁判過程で死刑回避に動いた可能性がある。
それがわからない。 >>6
その心理もわからないんだよな。
罪のない人間ならともかくゴミクズみたいな凶悪犯の死刑ボタンをなぜ押せないのか?
俺を含めて俺の周りには「そんなに嫌なら俺にやらせろ。なんのためらいもないぞ」ってな人間ばかりだ。
それでもやはり実際に目の前にすると何か変わるのか… あと、「逆」もあるんだよな。
今回の裁判員の中には最初「死刑制度反対」って人間もいたらしい。
それが裁判過程でなぜか「死刑も必要なんだ」と思うようになったらしい。
最終的にその人がどう判定したのかはわからないが、
とにかく実際に裁判に臨むとそれまでの考えを変えてしまうらしい。
どうしてそうなるのかがわからない。 >>8
「ゴミだろうが人間は人間」
って考え方が世の中にあるからじゃないの?どこか性善説的な。
どんなに悪い奴でもニンゲン。殺したら自分が悪人。人殺し。
「この人は凶悪犯ですよ、それに今は人を殺す判断を出しても罪に問われませんしあなたは悪くないのですよ」とまでお膳立てされても
デモデモダッテ…罪に問われなくても人殺しって思われちゃう…世間から人殺しって思われちゃう…ワタシワルイコ…みたいな
実際に目の前にして何か変わるんじゃなくて、新しい制度をもってしても結局何も変われなかったんじゃないかと言ってみる。