【裁判員制度】 国の目的は?
裁判員制度は『事前調整型』そのものではないか
アメリカは「先行独占カルテル社会」
日本は「事後調整カルテル社会」
技術の進歩とその汎用化速度の高速化で
先行独占の旨味を享受できなくなったどころか
彼等のカルテル外の先行や独占が台頭してきたために
旨味が薄くなってしまったから、「アメリカの先行独占」を
今後も維持し続けたい、他の参入は許さないこの世の全ては
アメリカの占有物だということ
「アメリカ人は世界中を何の制限も受けず自由気儘に安全に闊歩・行動する
権利を有する」というのが彼等の基本的な考えなのだからな
「裁判員制度」反対派がこれだけの予算と人員を動員すれば今頃制度は
跡形も無く消えているのに・・・
http://www.jbaudit.go.jp/report/all/pdf/0401-01.pdf#search='模擬裁判員募集%20人材派遣会社'
今まで庶民の前にお上風を吹かせていた最高裁が、手の裏を返すように
、あんなに熱心に「兎に角、制度をやらしてください」と一生懸命になる
理由を教えてください。本音は何なのですか。
>裁判員制度は、司法の民主化を希求し、司法に人権擁護を期待する勢力
が考えてきたものとまったく違います。その導入の政治的な狙いは、
「司法に対する国民総動員」です。
有事立法により国民を戦争協力に総動員する。
裁判員制度により国民を人権抑圧に総動員する。
二つはまったく同じ発想の総動員法です。同時に浮上しているのが
「共謀罪」です。いろいろなところで警察権限が強化され、生活安全条例
など警察の取り締まりの網の目も強まっています。
それらの状況を背景に、国民を形式的に裁判に参加させて国民の間に
ある体感治安意識などを裁判に利用する攻撃的な道具の一つとして、
裁判員制度が位置づけられています。
国家の論理は突き詰めると軍事の論理になりますが、軍事がもたらす
人権抑圧を公認して国民の合意を会得すること、それが裁判員制度の
端的な意味合いです。
(小田中聰樹教授の言葉、「裁判員制度はいらない」から)
>166
なーる程、つまり国家権力に都合の良い国民を作っていくため裁判を
通じて教育すると云う事ですね。裁判官はその事を承知なのかどうか
判らないが直接の先生になる訳ですね。
「市民の常識を・・・」なんて云ってたけど何のこと無い逆にシッカリ
国家思想を教え込まれるんだ。
例えば戦後、戦いとか血を見る事が少なくなったからドンドン残酷な
ものを見せて慣らしていくと共に国家的な正義感?を養うため厳罰を見せ
つけ世界の保安官のシッポについていく為の教育制度なのかもしれない。
(シッポなら未だ良いが先陣を仰せつかるかもしれない)
・・・・そう考えると、このいい加減な制度をなぜ必死になって推進
しているの辻褄が合ってくる気がする・・・・
(但し、各々思惑が違うのでは、弁護士会とかマスコミとかSなど)
連投スマン!
補足ですが最近、政治でもネットでも勇ましい言葉が飛び交って
いるので余計に上記の思いを強くしました。
つまり、この制度による死体写真とか残虐的な部分を見せることによって、
果ては戦地に行って引き金を引けということですね。 166さん、ありがとうございました。裁判員制度の本当の正体が分か
りました。 >166 追加です。
現代思想10月号より、裁判員制度を考える(3)ー「司法はポピュリズム
の暴風にさらされている」※前後(1)〜(6)まで有りますよ。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-86.html
【裁判員制度の導入の目的−−社会秩序維持に国民の動員】
>・・・・国民はいつから統治客体をやめて統治主体となったので
しょうか?代議制民主主義における国民主権とは、国民に選挙権が
与えられているだけで、統治主体は選挙された議会・政府であり、
国民はあくまでも統治客体であることに変わりはなく、ここに
代議制民主主義のごまかしの秘密があるのです。
国民が統治客体であるからこそ、憲法によって統治主体=政府の専制
を防ぎ、基本的人権によって、統治客体=国民の権利を守らなければ
ならないのです・・・・
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Japanmilitarism/japn080430.htm
これが目的だったら賛成
その目的とは陪審員制度というものを通して
自分の意志を持つことの大切さを知る為、ということなら賛成 >>172
裁判員は陪審員ではありませんよ
陪審員:行政の行動の正否を判定する
裁判員:行政と司法の行動には間違いが無いと盲判を押す お上なんて国民をいじめるにしても
頭が悪いし、能率が低いじゃないか。
裁判員制度にしても、
年金改悪にしても、
後期高齢者医療制度にしても、
母子加算廃止にしても、
これらのまねをチマチマ繰り返すなら、
「全国民は日本から出ていってください」
って言えばいいのに。意外にも言う通りに
するかもよ。 自分たちも国民だということを忘れているのか
都合よく処理できるから逃れられるのか
それとも、ただの
馬鹿なのか この制度、選挙の立会人みたいにすればいいのに。
どうせ公判前手続きでシナリオは出来てるんだろうし、
「一応国民の皆さんにも納得してもらいました」っていうためのお飾りにしかならん気がする。
選挙みたいに立会人を10人くらい、応募制でもいいし、役所や会社や自治会なんかから出してもらってもいい、
もちろん手当ては十分に出すようにしてさ
そんで、これは見逃せない不当判決だって時に、たとえば半数が認めれば裁判をチャラにしてやり直させるとかさ。
これで「偏った人が集まるかも」って心配するんなら、選挙の立会いも信用できんってことになるわな。 【司法制度改革審議会】
>「このような諸改革は、国民の統治客体意識から統治主体意識への
転換を基底的前提とするとともに、そうした転換を促そうとするもの
である。統治者(お上)としての政府観から脱して、国民自らが統治に
重い責任を負い、そうした国民に応える政府への転換である」
◆司法制度改革における強制力と罰則満載の裁判員制度が統治客体意識
から統治主体意識への象徴ならば
国防における統治主体意識は・・・やがて治安維持法・・・
そして憲法改正(9条)・・・・・学習無く又もと来た道へ・・・
(ゴメン!もうすでに入り口に入っていたようです)◆
この裁判員制度は国民の統治客体意識から統治主体意識への変換を
促しながら思い切り国民を無視し「客体」に見立て「主体」側だけの
勝手で作った思い上がりの象徴のような制度。
(あの元首相が作らせた制度だから・・・判るでしょう?)
〔中坊公平に聞く〕
○>内閣や、官僚が本当にやる気なら、委員の任期は残っていたのだから、
意見書を具体化する司法改革推進本部に移行する手だてをちゃんと講じる
はずなのにやらなかった。
推進本部での立法作業には余り期待はできんね。
意見書には詰められていない分野が多いので、推進本部は重要だが、
日本全体が怪しげな状況になってきたので、司法改革に力を注ぐには
よほどの構えと覚悟が、日弁連にもいりますわ。
http://www.mmjp.or.jp/machi/50/50-nakabou.htm
○住管機構問題で検察は上手に中坊弁護士を使い捨てにした・・・権力に
踊らされた・・・(中坊弁護士の起訴猶予処分の意味)を検索
★結局、中坊さんも司法改革では立法の段階で自分の思う所と違って
くるだろうと予測していた様な発言をしている。
権力側も始めは違う事を唱えていたらしいが裁判員制度が法案作成の
段階で自分達に有利に出来る目安がついたから制度に賛成したのでは・・
・・と思える。
こちらでも中坊さんは上手く使い捨てにされたのではないか?
(と素人の推測)
確かに権力さんは頭がいい!悪く言うとズル賢い・・・・
裁判員制度は、司法制度改革の副産物?ですが、
中軸の思想は、「統治主体意識論」です。
これは、”自己責任論”に通ずる、
新自由主義経済体制と同方向のモノです。
新自由主義経済とは、
福祉国家の実現や国家による
経済への過度な介入主義を批判、
個人の自由と責任に基つ”く
競争と市場原理を重視する。
そのことは、国営企業の民営化、リストラ、
緊縮財政を伴う結果として、
農民等、一般市民労働者などの
社会的、経済的弱者への打撃が大きくなることです
http://blue.ap.teacup.com/una3310/396.html
社会主義経済は人の平等と性善説を仮定条件とした空論である
ありえない基礎条件に基づいた空論を実行すれば失敗するのは
当然でありそれは既に証明された
新自由主義経済(どこが新なのかまったく分からない)もまた
個人の自由と責任を説き個人と組織の性善説に立脚するが
これもまた非現実的な仮想であって実行すれば失敗は明らかである
そして、社会主義同様失敗であることが証明されてしまった
これからはどんな主義に基づいて行動したら人類は救われるのであろうか
全体主義は既に否定され、証明されたかの様に言われる
しかしながら、人以外の生物を見渡せば個々の種は全体主義的構造・行動を
取らないものは一つとしてない
となれば、人もまた自然に習い全体主義に移行というより回帰すべき時が
やって来たといえるだろう
しかしながら、現在基本としている人の性善説を採用すれば破綻は必定である
性悪説に立脚し、この性悪の部分を徹底的に排除する必要がある
このための手段として三権分立という考え方が存在する
しかし残念ながらこれを確立運用している国家は存在しない
日本などは酷いもので、三権分立どころか全権官僚集権という有様だ
完全な三権分立と三権間の構成員相互移動禁止が必須条件だろう
国民の選挙で個別に選出するべきだろう
行政府の長、必要なら各省庁の長も
最高裁裁判官
国会議員
天皇制と矛盾する?
別にそんなことはなかろう
三権の長から、国民の象徴である天皇陛下に向かって宣誓したり
自分達の仕事の結果を報告することは国民に対して行うことであり
憲法が基本とする趣旨に最も適合する手法だ
どこかの国のように恐竜的特定宗教に縛られるという愚をも排除できる
> 改革審の内部では、当初から、陪審制に対する見解が分かれていた。
出身母体で言えば、労働団体、主婦連、弁護士、大学出身の委員が陪審制を
主張し、それに対して、裁判官、検察官、経済界、法律学者など出身委員が
陪審制に消極的な主張を行っていた。
その陪審制の導入の可否をめぐる見解の相違は、第三十二回審議会および
中間報告のとりまとめを受けて二〇〇一年に具体化された、裁判員制度構想
の中身をめぐる議論にも表れていく。
裁判員制度とは、それゆえ、陪審制に関する委員間の対立を避けつつ、他方で
★改革審設置法の趣旨を守る要請などに迫られて、訴訟手続への何らかの国民
参加制度を具体化する必要から、名を捨てて身を取る苦肉の策として生み出さ
れたものと解することができる。その抽象的方向を示した点で第三十二回
審議会は重要だった。この審議方法は、法曹一元の名を捨てて実質議論を
行った裁判官制度改革に通じるものがある。
(19頁)その成立経緯から、他面において、裁判員制度は、実質は陪審制と
参審制の混合物に近いものであるにもかかわらず、新たな制度として審議
されたため、その元となっている陪審制と参審制の機能および適用領域など
がしっかりと踏まえられないまま制度設計が行われたように映る。
法曹三者では、最高裁が、二〇〇〇年九月の時点で評決権なき参審制を
唱えていたが、その意見は改革審では採り入れられず、二〇〇一年に入って
から評決権ありの参審制を提唱するに至った。法務省も、二〇〇一年の時点
で参審制を肯定する見解を示し、最高裁をリードし同調する形になった。
最高裁および法務省の見解の変更は、いわゆる主要紙のスクープの形で
初めて公表されており、それらの新聞は、結果的に、両者のスポークスマン
としての役割を果たしたことになった[6]。
一方、日弁連はほぼ一貫して陪審制導入を中心とする見解を示しており、
参審制のみを肯定する最高裁、法務省と対立する構図になっていた。
http://www.geocities.jp/judicialization/saibaninn001.html
★http://homepage1.nifty.com/yk/newlaw/sihoukaikaku9906.htm
★同法案に対して、吉野正芳氏(自由民主党)は、「これからは、競争原理
を導入して、事後監視型の社会をつくっていかなければならない。競争原理
によって活力を生む、これが日本病を治していく原動力になると私は思って
います。…まさに司法制度改革が、これから大きな、公平な土俵をつくって
いくためのルールづくりになる、司法制度改革こそがこれからの再生日本を
つくっていくことになるんだというところまで学ばせていただいたわけで
あります」と、賛成しています(「衆議院法務委員会」11月8日の会議録から)。
★ 同法案に対して、反対の立場をとったのは福島瑞穂氏(社民党)です。
同氏は「法科大学院連携法案第二条『法曹養成の基本理念』が、基本的人権
の尊重や法の支配ではなく、規制緩和路線の一環として位置付けられている
という点が極めて問題です。そもそも法曹養成の基本理念について大変疑問
のある法案となっております」と、将来についてかなりの危惧感を表明しま
した(「参議院法務委員会」11月28日の会議録から)。
★ 国民は「事後チェック・救済型社会」への転換を望んでいない。内閣は、
ロースクール設置の理由を「規制緩和」に求めました。しかし、「弁護士数
の増加」の要求は、私たちの社会の中から出たわけではありません。
98年の米国政府の日本政府に対する「要望書」からです。
★「司法改革」は、裁判所(裁判官)、法務省(検察官)、日弁連(弁護士)
が「当事者」でしたが、「同改革」は、私たちの慣れた社会、そのものの
仕組を変えました。すべて「自己責任」になりました。胴元の米国が
つくった市場に委ねる事態になっております。中坊氏は、ミッションが完了
すると、かつての仲間であった権力に叩かれて、舞台から去っていきました。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/YU35.HTML
>司法制度改革は、明確なルールと自己責任原則に貫かれた事後チェック
・救済型社会への転換に不可欠な、重要かつ緊急の課題であり、利用者で
ある国民の視点から、司法の基本的制度を抜本的に見直すという大改革です。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/index.html
★国家的に言えば大昔から、個人的に言えば小さい時から「根回し」による
事前調整によって無用なトラブルを避けてきた日本人が国民的了解もなく、
いきなり「明日から事後調整型の社会にするから自己責任でやってくれ」
と言われても感覚的に出来るはずが無いし事後調整はどちらかと言えば
「後は野となれ山となれ」だから日本人には無責任と感じるような気がする。
国土や資源が豊富にある国(過去植民地も含め)の「失敗しても次があるから」
との考えと「失敗したら迷惑かける、次が無い」と思う小国とは根本的に違う。
違うのに良さそうな所だけ見て同じようにしようと云うのを「猿真似」と
いうのではないか?猿真似だけで済むのなら未だ良いが『相手』を利する事に
なる。
【 箸は省資源に反するし国際的にも合わないので日本人は明日から便利で
長持ちするフォークとナイフを使おう、使わない人は罰金だ。】
・・・なんて言われたら・・・
平和・自立・調和の日本をつくるために[69]
【緊急提言】麻生内閣のソマリア沖への海上自衛隊派遣は憲法違反で
ある。憲法違反の海上自衛隊派遣を阻止しなければならない
★「戦争は小銃の偶発から始めることができる。ところが、戦争を終結
させることは、経験豊かな国家指導者でさえ容易なことではない。
流血をとどめるのは、ただ理性だけである」(フルシチョフ)★
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04986.HTML
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-1092.html
国内では最近、「裁判員制度」「テポドンの異常なお祭り騒ぎ」、
国外ではイラク、アフガン、ソマリア沖などの海外派兵、国益という
美名の基に急速に全体主義国家へと変わりつつ有る。
国益とは云うものの結局は海外の日本の大企業を守るためが殆どで
新自由(心中)主義において格差で貧乏人を増産し、その上自分達を
守らせるために貧乏人を徴兵(半志願)する時代が直ぐにやって来そう
だ。戦争をやらせようとする人達は「これから何処何処と戦争します」
なんていう事は言わず巧妙になし崩しに序々に巻き込んでいく
(巻き込まれて行く)
http://alternativereport1.seesaa.net/article/93305639.html
全体主義そのものは悪いものではないし理想だな
現在進行中の変化は、専制主義国家への道だな
専制と言えば専制君主を思い浮かべるかも知れないが
今の世の中は世界的に資本専制主義化が急速に進行中だ
資本家専制主義なら資本家という人間が相手だから
交渉の余地もあるのだが、資本という無人格のものが
主人公だから交渉は不可能だ
無人格であってもスカイネットのようなシステムなら
攻撃・破壊することも出来るだろうが資本という概念だけで
その全体を表す実体が存在しないから攻撃も破壊も出来ない
多分資本を集積しようとする人の行動が続く限り
資本専制主義は消滅しないだろう
この資本専制主義を打倒出来るのは人全体による全体主義しかないだろう 『裁判員制度はいらない』
http://no-saiban-in.org/index.html
●いよいよむき出しになった「裁判員制度」のねらい
「江東区バラバラ殺人事件」で、検察側は「被害感情」の立証として、
被害者の生前の姿とバラバラになった遺体をスライドやビデオ映像を執拗に流し、
傍聴席の遺族や被告人がパニック状態に陥る異様な法廷となりました
(検察は死刑を求刑。無期懲役の判決を不服として控訴)。
東京地検は「裁判員制度に向けてこの方法をますます進める」と言い切っています 国も本音は裁判員制度を止めたいんだ
との話も聞いた事があるんですが・・・
本当に進めたいのは何処の何方でしたっけ・・・? 【司法改革と三権分立】
◆それにしても、三権の一つである行政が他の三権の一つである司法につき
その改革の必要性を公言するのみならず、自らがその推進をすることは、
上記のように三権分立に反する違憲行為であると言うべきなのに、当の司法界
(裁判所、弁護士会)はもちろん法学者、マスコミからさしたる批判的、
啓蒙的意見が表明されないのは、一体どうしたことなのだろうか
(憲法違反だとする見解として「世界」2000年5月号85頁)。
司法改革が推進されるなら、その手順については目をつむろうと考えられて
いるのだろうか。もしそうだとすれば、余りに近視眼的であり、改めて権力
分立の由来を想起してみるべきであろう。
目的は手段を正当化するものではないし、われわれは、自らの人権保障の
仕組み擁護のため不断の努力をする義務を負っているはずではないか。
◆ このように、司法制度の改革は、内閣ではなく国会により行われるべき
であるが、現実の問題として、内閣が手を引くことは、今回は困難である
とすれば、国会が審議の場において、上記の原則を明確にしたうえで、
十分の審議を尽し、実践の道筋を示すべきであろう。
司革審の意見は、審議期間が限られたこともあって、拙速の感が否めない
のだから。
(2001年9月13日)
http://www.jlf.or.jp/jlfnews/vol11_2.shtml
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/enkaku.html
★以前から警告してみえる方がみえました。
その国会で素通り・・・・・いいえ、必ず国会の責任においてストップ
させます。・・・・・・・・・・・・
なんて頼もしいニュースが伝わって来ないかなぁー。
今、改憲の動きを無理矢理自民党が起こそうとしていますが、
自民党が提示している憲法案では軍事法廷設置が唱えられており、
しかも自衛軍で構成された『裁判員』導入を昨年から企んでいることが
明らかになりました。
どうして、裁判員には多数の罰則や生涯に渡る守秘義務が設けられているのか・・・
不気味なほど説明がつきます。
裁判員制度は国民のための制度では無く軍事法廷の実験台に過ぎません!
空自が軍事法廷研究 改憲と連動 民間人処罰も視野
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-05-13/2008051301_01_0.html
>同裁判所は裁判員制度の導入を提言。職業裁判官一人に、
>自衛隊内から無作為に抽出した四人の隊員による裁判員で構成するとしています。 成る程、そいで軍事法廷と掛け持ちは出来ないので自衛隊員は
今回の裁判員候補から除外されているってことなんですね。
クーデターでも起こされたら・・・・ ★裁判員制度と徴兵制(上)
http://www.kinyobi.co.jp/blog/?p=1668
★裁判員制度と徴兵制(下)
> 「悪いことをした」人間なら「殺してもいい。死刑もやむなし」という
国民感情が法の下に醸成されれば、そのすぐ向こうに「悪いことをした国
なら攻撃をしてもいい。戦争もやむなし」という社会的・心理的な土壌が
育つ。これは相対的に命の価値を下げる思想である。
戦争行為へのハードルを下げる役目も果たす。
> 裁判員制度と同じような要領で、「平和維持制度」という擬似的な徴兵制
ができると仮定しよう。民主主義への国民参加は促進されるべきである。
そのとき政府はこう言うだろう。
「平和および平和維持軍に対する国民の理解と信頼の向上を図るため」と。
くじ引きでめでたく「国家を守る」幸運に恵まれる。
そして、辞退できないのである。
http://www.kinyobi.co.jp/blog/?p=1670
【裁判員制度】
>日本の刑事裁判の基本理念は、かつて世界に誇れる進歩的なものであった。
その思想は、20世紀を通じて、牧野英一の提唱した「教育刑主義」の理念
が法学者に受け継がれてきたが、1980年代末、中曽根政権あたりから
右傾化が始まり、戦前の強権主義へと向かう潮流が生まれたのである。
天皇制独裁復活・強国覇権主義を夢見る中曽根康弘政権によって反動傾向が
著しくなり、最高裁メンバーの人選も民主主義を軽視し国家統制主義を
重んじる国粋主義者ばかりが選ばれるようになった結果、徐々に民主主義・
教育刑主義の理念が浸食され、報復刑主義に取って代わられる反動的事態に
至っている。
以上の理由によって、裁判員制度の真の目的は、国家が国民から理性を
見失わせ、感情の奴隷となる愚民化を強要することにより、奴隷的飼育
管理に向かおうと意図したもの以外のなにものもないのである。
この30年の自民党政府による右傾化、格差社会化の施策の流れを見る
ならば、国民は自らのアタマで考えることなく、スポーツや芸能などの
遊技を上から与えられ、興じることで、政治に対する無関心を育成し、
経済格差を拡大して、国民に支配階級と被支配階級の決定的な対立を
持ち込んだ。
それらの最終的な仕上げとして、国民から理性を奪い、刑罰の恐怖に
よって馴致する制度を確立するために裁判員制度が設けられたと断言
してよいだろう。
http://www.tokaiama.com/yoti/diary/diary.cgi?no=249
1.司法制度改悪の動きと現状
自民党司法制度特別調査会で基本的方向性を決められた司法制度改悪は、
「迅速化、効率化」の名のもとに、日本の司法制度を国家権力とブルジョアジー
(資本家階級)に奉仕するものへと転換する攻撃である。
政府は、出口の見えない大不況の中で拡大する労働者や市民の怒りを抑えつけ、
他の帝国主義国に対抗して新たな侵略戦争へと労働者・市民を動員していく
テコとして、司法制度を「国家の基本的インフラ」(特別調査会報告)、
「政治部門と並ぶ『公共性の空間』を支える柱」「行革、財政改革など
『この国のかたち』の再構築に関わる一連の諸改革の『最後のかなめ』」
(司法制度改革審議会意見書)と位置づけ、「その成功なくして21世紀社会
の展望を開くことは困難」(同)と危機感をむき出しにして攻撃を強めている。
それは、「自己責任の原則に貫かれた事後監視・救済型の社会への転換」と
称して、
◆◆建て前ではあれ市民の権利擁護機関としてあった司法の役割を全面否定し、
司法を、名実ともに歯止めなき支配と搾取を支える機関、労働者・市民に
対する抑圧機関、動員機関へと転換していくのである。◆◆
(つづく)
司法制度改革推進の背景には、日本の刑事司法に対する国際的批判の
高まりと特許権などをめぐる国際的紛争、企業間紛争の増大の中で
日本の国益を守る司法、使いやすい司法を求めるブルジョアジーの
意向があるが、現実の司法改悪では、後者のみが追求されている。
とりわけ、
◆◆刑事手続の改悪の中で特徴的なことは、国際的に問題とされた
被疑者、被告人、受刑者の人権の問題がまったく無視され、逆に
否定されていることである。そもそも、一連の報告の中に被疑者・
被告人の権利という概念は、言葉としてもあげられていない。
無実であろうと否とを問わず、被疑者・被告人に、迅速かつ効率的に
刑を宣告し、執行することのみが目指されているのである。◆◆
http://www.jca.apc.org/kokubai/natugassyuku03.htm
2、3日前の読売新聞で読んだんだが、裁判員制度を導入したのは自民党なんだな。
自民党の法務官僚上がりか裁判官上がりの議員が法案を出して強行採決したんだろう。
国民に裁判に文句を言うならお前らがやったらどうなるかわからせてやるという
発想で実現した制度で、国民のための制度でないのは明らか。 裁判員制度が広まれば、犯罪は低下すると思う
国民全員が悪を裁く立場にあるという自覚が生まれるからだ
《戦前の強権主義へ》
> 日本の刑事裁判の基本理念は、かつて世界に誇れる進歩的なものであった。
その思想は、20世紀を通じて、牧野英一の提唱した「教育刑主義」の理念が
法学者に受け継がれてきたが、1980年代末、中曽根政権あたりから右傾化
が始まり、戦前の強権主義へと向かう潮流が生まれたのである(既出)
http://www.tokaiama.com/yoti/diary/diary.cgi?no=249
★何か難しく書いてあるが要するに戦前の帝国主義の復活を夢見て覇権を
握ろうとする政治家、大企業の人々が居るということではないか。
これらの為政者がその思想のもとに作ってきた色々な強権的な要素を持つ
法律を見直し間違いがあれば改めるか廃止する必要があると思う。
そしてこの「裁判員制度」も含めこれからネット規制、共謀罪の復活、
憲法改悪等々が待ち構えている。
完成させ権力者、大企業の思い通りに成るかどうかは私たち国民の健全な
政治意識の中に有るように思う。
http://kihachin.net/klog/archives/2008/06/netkisei.html
そもそもこの裁判員法は公明党創価学会が提唱したもの。
民衆が裁判に参加すれば死刑が減ると勘違いしている模様。
事実、裁判員広報の中には創価学会員が入り込んでいる。
裁判員広報ビデオの漫才コンビ「ナイツ」の出身校や経歴を調べてみろ。
バリバリの創価学会の広告塔だぞ。
ナイツが語る「これが裁判員制度なのだ!」
http://www.youtube.com/watch?v=dOG9eSRPyoQ
↓彼らの正体
ナイツによる公明党創価学会広報ビデオ
http://www.youtube.com/watch?v=NMUUwpowhv4 >>205
要するに真面目で「カイカク」等、ワンフレーズの言葉に酔いやすい
国民性を利用し「市民のため」「市民に開かれた」との言葉で裁判所
へ動員し将来の最終目標のため地ならしする、と云うことですね。
カイカク! → 市民に開かれた、市民のため → 国民のため
→→(知らぬ間に)→→→ 【国家のため!!!】
アメリカで裁判員になった人間のトラウマが、常態化してきている。
残虐な殺害遺体写真と、当時の再現、証言。しかも、外部には一切話せない。特に若い女性は鬱を発症する。
これはわかっていて意図的になされている。この裏には、製薬会社と政府のズブズブの関係がある。
年々増加する精神障害と、製薬会社の利益は一致する。常に薬がなければ、精神が保てないという誘導を、精神科医が誘導する。
一度精神科医にかかると、死ぬまで薬漬けだ。自分で騙されていると気がつくまでは 刑事訴訟法321条1項2号―特信情況
? 検察官面前調書(同条1項2号)
検察官の面前における供述を録取した書面は、次の各場合に証拠能力が認められる。
「2号書面」、「検察官調書」、「検面調書」とも呼ばれる。特に、後段の規定により、
証人が公判で捜査段階と異なる供述をした場合に、
検察官が捜査段階の検察官調書を提出することができることは、実務上重要な意味を持つ。
1. 供述者の死亡・心身故障・所在不明・国外滞在により、公判期日・公判準備期日に供述できないとき(同号前段)。列挙されている事由は例示列挙であると解され、
一般的に供述不能の場合を含むと考えられている。例えば、被告人の近親者が供述拒否権(147条)を行使した場合は法律上の供述不能にあたる。
2. 供述者が公判期日・公判準備期日に、前の供述と相反するか、若しくは実質的に異なった供述をしたが(実質的相反供述)、前の供述を”信用すべき特別の情況”
(特信情況)のある場合(同号後段)。
実質的相反供述とは、異なった事実認定を導くおそれのある供述をいう。「前の供述を信用すべき特別の情況」とは、検察官の面前における供述に信用性の
情況的保障があるというということでもよいし、逆に公判廷での供述に信用性を疑わせる情況があるということでもよい。実務上問題になることが多いのは後者である。
>>>
つまり、検事面前調書は、裁判官の有罪の自動販売機と言うことだ。
Q1 全司法大運動って何?
A1 全司法が毎年とりくんでいるもので、“裁判所をもっと当事者や国民に
開かれた、利用しやすいものにしよう”という運動です。そうした「国民の
ための裁判所」 を実現していくためには様々な課題がありますが、まず何よりも
「裁判所の人的 ・物的充実」、つまり繁忙な職場には職員を増員して、当事者にも
ていねいな対応ができるようにすることや、法廷や和解室等の施設も充実させる
ことが不可欠です。
そのために全司法では、国会において、裁判所の人的・物的な充実を求める
請 願の採択を目的とした署名行動をとりくんできており、これが全司法大運動
の大きな柱となっています。全司法大運動は今年度で10年目を迎えますが、
過去9 年連続で衆参両院での全会一致による請願の採択を実現しています
http://www.zenshiho.net/undo/02.html
★もう直ぐ「招かざる客」である裁判員がお邪魔致しますのでお手柔らかに
お願い致します。
無駄といえば今の欠陥裁判員制度そのものが無駄なのではないですか?
その予算分、裁判所の人的・物的な充実に使用し目標どおりに進めば
かなり改善出来国民に望む開かれた司法に一歩近づくものと思われます。
(ただ大事なのは物より心)
皆さん法律的な観点から話されている方ばかりなので、全く別の観点
から書き込みます。
極端だと言われるのは承知ですが、これは国民へ徴兵の義務が課せら
れる、前段階じゃないでしょうか?
国家が何も落度のない国民たちを国家の都合で呼びつけるということ。
全く関係のない分野から、それを徐々に慣らさせようという意図が見
えかくれしていると感じるのは私だけでしょうか。
なにやかやと裁判員として裁判に参加することを拒むことの出来る人
たちも、国家に例外として認められてはいますが、基本的には、裁判
員制度は拒否不可なわけですから。
同じように、例外はあっても基本は強制参加な徴兵制度を作ろうと、
政治家や官僚たちが考えたとき、いきなり国民に対して、お隣韓国の
ように一兵士として出頭して下さい、なんて言っても反発必至です。
(徴兵制度そのものの成立に対しても同じですが)
裁判員としての出頭ですら国民には受け入れがたいものだというのに、
徴兵なんて…となるのは確実です。今回の件では、どの程度そういった
反発が出るのかをじかに確認しようとする政治家たちも、ひそかにい
たりするかもしれません。
穿ちすぎなのでしょうが、私には、そういう考え方をする政治家がいて
もおかしくないと思っています。
因みに私自身は、法律関係者でも左翼関係者でもありません。
ただの民間企業のOLです。ただ、国にいいように利用されるのを拒む
大多数の国民のうちのひとりです。
>>213
西野喜一氏(『裁判員制度の正体』講談社現代新書、2007)が同じことを言っているね。
国の目的は、精神病理者を増やすこと。
組織員を法律から守ること。
この二点
明日制度が施行となれば権力者、大企業、マスゴミ、カルトなどは自信を
倍増するだろう。これからも権力と国民の税金であるカネを使いまくり
国民を苦しめる法律の増産体制にはいるのではないか。
何しろ国民の8割が反対する悪法を翼賛体制で大きな反対運動も無く見事
騙し運用させてしまったのだから・・・もう怖いものは無い。
憲法改正、形を変えた治安維持法、徴兵制等々司法で言えば死刑廃止なんて
同じ方式でやれば簡単、あっと云う間に成立だ。
準大日本帝国の再来もそんなに遠いことではないかもしれない。
お金のある人は何処か平和でまともな国へ移住した方が良さそうだ。
(政権が変われば少しの間は良いかもしれないが権力を持つと色々な
欲望を持った人が手を変え品を変え擦り寄り結局は同じような体質に
なってしまうもの)
裁判員制度に反対する者は竹崎博允を不信任にせよ!
◆この愚劣な制度を廃止させるには、衆院選挙といっしょに実施される
国民審査で竹崎博允を罷免するのが、いちばん手っ取り早いと思う。
国民審査では、竹崎博允に必ず×を!!
竹崎氏は岡山市出身で、東大卒。最高裁の経理局長や事務総長、
名古屋高裁長官などを歴任し、07年2月から東京高裁長官を
務めていた。事務総長の時、裁判員制度の制度設計に大きく
かかわった。
http://www.47news.jp/CN/200811/CN2008112501000882.html >218
これからも権力と国民の
↓
これからも権力は国民の 日本人には自覚はないけど裁判員(陪審員)制度がある国からすると
無い国は非民主的な後進国に思えるらしい そろそろ武装して公務員どもと戦う時代なのかなぁ
頭を武装放棄から武装蜂起に切替えないと
国家に食いものにされてしまう >>1
さあ!!!裁判員になれたらドンドン死刑連発だぜ!!!裁判員拒否する奴も別件でパクって!社会の大掃除!!! 私の見立てですが。
裁判員制度は要するにアメリカの年次改革要望書の一貫と言えなくはないですよね。
これと派遣労働拡大が両輪だと睨んでいます。
ゆくゆくは弁護士も派遣にして、米並の訴訟社会到来みたいな。
単に弁護士増員だけでは弱いから目眩ましに
刑事に裁判員を導入しましょうよ〜と。
弁護士はもともとフリーランスだから
派遣みたいなものじゃん
企業内弁護士は別だが 確かにアメリカ並みの訴訟社会にして
高コストな負担が日常化することで、国際競争力、ひいては経済力自体を疲弊させる目的はあるだろう
些細な揉め事にまで訴訟が絡めば、社会全体が信頼と寛容で成り立たなくなるからな
そうすれば金と精神的ストレスが異様にかかるようになる
これは相当な目に見えないコストだよ 裁判なんて頭のキレる奴等だけでやればいい。
俺筆頭に頭の悪い高卒以下は除外すべきだ。
裁判員の条件:
@短大卒以上又は頭のキレる高卒
A一般常識の有る方
B声がごもらない方
C独身
※以上4つの条件全てを満たしている方のみ強制的に裁判員候補となる。 単に判事と法務省の責任・批判回避狙いなだけじゃね?
特に死刑とか批判されたら、自分は無期懲役って主張しましたとかいうつもりなだけじゃね?
まあ、アメリカ人どもに言われたからってのはあるかもね。
>225さん
武装放棄から武装蜂起
こりゃまた玄妙な言い回しで。あなたは落語家にでもなってくださいまし 弁護士の力量や事実認定で量刑が異なってくることが判らない奴らが
やれ東京裁判の判決は不当だ、なんだと騒ぐから出来た制度だな。
裁判に参加させりゃ、少しは学習すんだろが狙い。
裁判員制度は、責任の一端を国民におしつけるためにあります
冤罪がおきにくくなるとかではなくて、冤罪がおきたときのための予防策です
今回の足利事件も、裁判員裁判だったら、最初の一、二審の裁判官はここまで叩かれなかったでしょう(それでも池本は叩かれたでしょうが) 裁判官って人の人生を破滅させてる自覚はないの?
判断って何?証拠がなかったら無罪にすべきじゃないの?
現在日本の有罪率 99.7%で世界1位。
証拠もない相手を警察や検察が拷問で自白させて
裁判官は証拠もないのに有罪判決を下しています。
日本の警察や司法には一片の信頼もありません。 広く国民の参加できる裁判。
しかし、判決に関して、事件に関しての情報は今までとは違う。個人が口外しない前提であるため、国民全体にはむしろ隠蔽。
これこそが目的 裁判員制度に賛成の奴らはなぜか外国人参政権には反対なんだよな
裁判に参加する権利は主張するのに参政する権利を拡大することは嫌う
自分には権利をよこせと言うのに他人には権利を与えるなというのは難しいだろ >>235
冤罪が発生したら、その時のメンバーを逮捕してまた裁判 >>238
PTSDによる精神科医繁盛と薬屋ボロ儲けもプラスして 裁判員制度は裁判官を守る制度だ、 [裁判員はガ−ドマン]。 http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/k1/1246593116/
8jYIBabw0.ht1XQ2OC0.Yd0M5ppR0.iYR1P5Vc0.pU8JvtqH0.fHXpd/2r0.aEcFrSks0
aCouHK/L0.ivRgCcSW0.lBc+HHz00.2/8Y8fGrO.+0N4alpX0.498/lXi+0.Z8A9Ebcl0
ij2oDYzO0.DU+bIpSR0.zSlGoiru0.i9Is2jHf0.nrnJmJ/z0
↑これだけのIDを持った2ちゃんに命を懸けてるヘタレブタニートw
まさに驚愕のキチガイヘタレブタニートだねw
http://a.pic.to/wu0lk
http://o.pic.to/12hlyz
http://d.pic.to/x02vu
http://l.pic.to/txyhx 責任逃れはもちろん、官僚の、最終的に裁判員制度を廃止したい目論見もあると思う。
・誰が政治家になろうと、官僚は圧力かけて官僚に都合良い法律を作らせられる。
・民事裁判に関わるような法律は結構民衆の反対が多いのだが、力で押し切っている。
・つまり裁判員制度が民事裁判にまで適用されると困る。
重い刑事事件のプレッシャーで民衆は音を上げるだろうから、
ほらやっぱり裁判員制度はない方がいいんだよ、という世論を作れる。
裁判員制度は刑事裁判でなく民事裁判にすべき。まず筋が通っているし、色々な意味でね。
まあ当面は、法律制定は民衆が選んだ者、その法律による裁きも民衆の決定、
すなわち表向きの国の責任を一切消して、官僚裏支配を強化したい狙いが明確。
■裁判員制度は裁判の死だ
>そもそも現在推進されている「司法改革」なるものは、その登場の経緯が
ものがたっているように、帝国主義列強の弱肉強食の争闘にのぞむ財界の
強力な要請を奇貨とするものでした。戦争と大失業の時代における人民の
抵抗と反乱への恐怖と危機感をつのらせる支配階級、4名の死刑囚の再審
無罪に示される日本の刑事裁判の実態の露呈に危機感を抱く国家権力、
御用学者が結託して「司法改革」の名をもってあたかも司法の現状が
変えられることによって少しでも改善・改革されるかのような幻想を
ふりまきながら、あわよくば「良心派」もとりこんで一気に戦時司法への
転換を成し遂げてしまおうと狙ったのが「司法改革」にほかならないのです。
その証拠に、司法制度改革審議会(司法審)意見書ではえん罪の根絶と
基本的人権の確立・強化にむけた反省も決意もかけらすら目にすることが
できません。眼目は「(国民は)統治客体から統治主体へ意識の転換をせよ」、
つまり「実体として社会の主人公になるのではなく意識だけ統治者と一体に
なれ」ということであり、個の主体性は捨て去り下僕根性・奴隷根性の塊と
なって「お上に仕えろ」とあからさまに要求しています
無実の富山さんの再審無罪をかちとる会から
http://www4.ocn.ne.jp/~tomiyama/news/n2002/n163.htm
http://www4.ocn.ne.jp/~tomiyama/index.htm
ここにも長い期間冤罪で苦しんでる方がみえます。
日本の司法の制度は、もともとはヒドイ物ではないんだけれど、現場が
すべてを腐らせている。
冤罪を奨励する警察、それに加担する検察、そんなバカがデッチ上げたものを
『暖かく』見守り、唯々諾々とマトモにチェックすらしないサイバンカン。
税金で給料をもらっているだけの無能サラリーマンどもが日本の司法を
殺している。 現実社会ではこういう裏犯罪女が世渡り上手な話
682 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい :2009/07/22(水) 06:11:28 ID:
318 :マジレスさん:2007/07/15(日) 12:41:19 ID:
会社の人がもう閉鎖されている掲示板に社内から書き込んだ写しです。
下の方には男の人の名前や住所などの履歴書のような個人情報と画像までありました。
非常に嫌悪感をいだきました。醜い内容です。私一人でこの秘密を抱え込むのは
心苦しいのでこの写しをのせることにしました。
写し
職場に何か気に入らない男がいました。
私と不倫相手と仲間で社内いじめを徹底的にしてやりました。
偶然その男に社内での不倫現場を見られてしまいました。
その後不倫相手は退職してしまいました。きっとこの男のせいです。
仲間と相談して、私がこの男からセクハラを受けていると嘘の申告をしました。
私が泣いて演技しただけで皆信じてくれました。
上司も協力してくれて、知り合いの医師に、この男を統合失調症の診断をしてくれるようにしてくれました。
上司と医者がこの男に脅迫までしてくれて、ようやく冤罪をかぶせることに成功することができました。
念のため、この男の中傷を広めました。この男は泣き寝入りで退職してくれました。
自殺させられなかったのが、残念ですが、私たちのしたことは、もう時効ですよね。
ばれなければいいんでしょ。
写し
まだ死んでなかったの?
こっちには仲間がいっぱいいるのよ あんたは一人
警察に逮捕させちゃうよ
あんたの言うことなんか誰も信じないよ〜ぅぅぅぅぅ
また病院送りにしてやるわよ!
統合失調症とお〜ぉぉぉぉっ みんなが 認めちゃってるう〜ぅぅぅぅぅ
死ぬまで続けるからね!死ね死ね死ねぇぇぇぇぇ
現憲法には無い、国民徴用を義務として既成事実化し、次の憲法改正で正式に義務化する気だろ。
そしてその徴用には、徴兵が含まれるとし、徴兵制をなし崩し的に実行する気だろ。 著者 雨宮惜秋 ■恐怖の裁判員制度■ より
>雨宮惜秋は「裁判員制度」が、司法の問題を超えた日本という国家のこれから
を左右しかねない深刻なことがらであることを、私たちに訴えようとして、
この「小説 恐怖の裁判員制度」を書いた。たしかに、最高裁判所のホームページ
や広報などにおいて、「裁判員制度」は日本の裁判制度をより理想的な形にして
ゆくための最善のシステムであることを強調している。
しかし、それらの情報が、果たして本当に「裁判員制度」のすべてを詳細かつ
フェアに報じているのかどうか。残念ながら「否」と言わざるを得ない。
作者・雨宮惜秋はその事実に、憤りを感じ、この「小説恐怖の裁判員制度」
を世に問うことを決意したのだ。「裁判員制度」がどういうものなのか、
私たちは正確に知らされているだろうか。おそらく、きちんとした説明も
受けず、理解、消化もせずに、テレビや雑誌、新聞などの情報によって
「仕方ないけれど、まあ参加するか」という、まるで他人事のような感覚で、
ことの重大さにはほとんど無頓着な様子で受け止めている--というのが現実
であろう。実は、「裁判員制度」が戦前の赤紙と同じように「国家の命令は
絶対的」というファシズムの時代への序章であることを、おそらく多くの人は
知らないであろう。
http://www.turu-syoin.com/books/9784434120695.html
218番さん、ぼくもあんたの意見に同感する。
ぼくからは「国会・内閣・裁判に宗教団体または信者を介入してはいけないと
書いた法律を早急に作れ!」といわざるを得ない・・