長文失礼。
まず制度論について一言申し上げたいのですが,私自身は決して推進派ではないんですが,
もし国民参加を考えるのであればある程度の義務化はやむをえないと考えます。ただ,刑罰の制裁が
必要なのかという点については疑問があり,それとともに,守秘義務が厳格すぎること,辞退事由が
相当制限されており,かつ,裁判所の判断の余地が大きすぎることなど,問題は少なくないのは
この板に来ている方が数多く発言されているとおりだと思います。

私自身も裁判所の人間ですので,当然ながら当初は内心反対でしたし,なぜ参審程度にとどめられな
かったのか,座長ペーパーなんて拒否することはできなかったのか,と今でも思わないではないです。
が,当然ながら,裁判所は法の制定には基本的に関与できないわけで,そのあたりはご理解いただきたい
ところです。また,審議会では日弁連のほか,主婦連も強く賛成していました。そちらへのご批判はなさら
ないのかという点もちょっとひっかかっています。当然「一般国民からの代表」として来てると見えるわけで
すから。

>>191
多ければいいとかいうことではないんです。一つには単純に裁判官の目線と裁判員の目線は違うところに
あるってことですよ。もちろん裁判官の合議を否定なんてしておらず,「ある意味興味深い」と言ってるだけ
ですので。
>>192
争点の設定責任は当事者にあるわけですが,当事者の想定する主戦場が評議でほとんど考慮されないと
いう事態がたまにあります。これは,基本的には,裁判体の評議の流れを当事者が見通すのは難しいという
ところにあると考えています。
証拠を見ない整理では,裁判員がいない裁判官との間での認識すら共通にできません。当事者が考える
立証構造が裁判官としては不十分,あるいは,不必要だと思ったり,主張の力点にずれがあるなどの事態を
回避できないわけです。
また,このように整理されたものが,今後は裁判員も含めた評議にさらされるわけですが,当事者と裁判員とで
見方が一致するとは限りません。当事者が不要として落とした主張や証拠の中に,これがあればもっと確信を
もって判断できたのにというものが出てくることがあります。
評議をしていると,裁判員の方は間接事実から推認して心証(確信)を得ることや,ある供述を嘘で信用できな
いと断定するといった思い切りがなかなか難しいのがよくわかるんですが,当事者はあまりこのあたりの感覚を
つかめないでいると思います。
整理しなければ円滑に審理ができないことと,整理する当事者が裁判員がどう見るかを正確に把握するのは
困難であることは見過ごしがたいジレンマだと思います。