>>432
「書いてある」のがどのレベルの話なのかを、曖昧に理解しているのが問題だと思うんだよね。
自分なりに改めて考え直してみた。

まず、次のことはみんな認めてくれると思う。
 (a)現実のテンプレは、フィクションのキャラを定義する。
これと同じ発想でいけば、次のことが言える。
 (a')フィクションのテンプレは、『フィクション内のフィクション』のキャラを定義する。
ここで『フィクション内のフィクション』とは、つまり劇中劇みたいなもののことね。

もう一つ重要なこととして、
 (b)現実の人物とフィクションの同一人物とが、同じ能力を持つとは限らない。
例えば、現実の三蔵法師は「西遊記」の三蔵法師みたいな力は持っていない。また同じ発想でいくと、
 (b')フィクションのキャラと『フィクション内のフィクション』の同一キャラとが、同じ能力を持つとは限らない。
と言える。

これに基づくと、「あらゆる全てが書いてある」系のキャラは以下のように考察できる。
・現実のテンプレが定義しているのは、フィクションのキャラ(仮にCと呼ぶ)である。
・「あらゆる全て」が書いてあるのは、フィクションのテンプレである。(現実のテンプレには書いていない)
・(a')より、「あらゆる全て」によって(つまりフィクションのテンプレによって)定義されているのは、『フィクション内のフィクション』のCである。
・ところが(b')より、現実のテンプレが定義するCと、フャBクションのテャ塔vレが定義すb颪が、同じ能力を持つとは限らない。
・現実のテンプレによって妄想スレに参戦するのはあくまでも前者のCなので、後者のCは関係ない。

結論としては、「あらゆる全てが書いてある」と書いてあっても、それは前者のCには影響しないので、
考察の際には無視してしまってもよい。つまりそれ以外の部分で強さを決めればよいということになると思う。