>>835
長いんで嫌な人は飛ばしてね

アニメージュ1980年4月号の記事
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これが放送されてた1974年はアニメ雑誌なんてものはなく、
子ども向け番組に中高生以上の大人が視聴するなんて
付き添いで保護者も観る以外は考えられていなかった
そうした需要が確認されて音楽や映像関連に市場が出来たのは1977年の宇宙戦艦ヤマトの劇場公開以降
潜在的には女児向けアニメに着目するマニアも存在はした

セラムンに付いた大友みたいな、市場を形成する需要が出来たのは1982年のミンキーモモが最初だったと思う
それまで宇宙戦士バルディオス、戦国魔神ゴーショーグンといったロボアニメで定評を掴んでいた葦プロが
突如女児アニメを手掛けるということでアニメ誌でも特集されたりした
次いで1983年のクリーミィマミ
これもうる星やつらを作っていたスタジオぴえろ製作ということで当初からマニア層にも注目された
これらが相次いだことで女児向けアニメにも副次需要=大友があることが確立されたと思う
蛇足になるが、漫画家吾妻ひでおは女王陛下のプティアンジェ(1977年、潘恵子の主役デビュー作w)に御執心で同人誌も発行、
1981〜82年頃はアニメ雑誌各誌でアニメ美少女を取り上げた、その名もロリコン特集が盛んだった
つまり、そういう需要が発言力を得たのがミンキーモモだった