専制君主の善政というものは、人間の政治意識にとってもっとも甘美な麻薬ではないだろうか。
参加もせず、発言もせず、思考することすらなく、政治が正しく運営され、
人々が平和と繁栄を楽しめるとすれば、誰がめんどうな政治に参加するだろう。
しかし、なぜ人々はそこで想像力をはたらかせないのか。
人々が政治をめんどうくさがるとすれば、専制君主もそうなのだ。
彼が政治にあき、無制限の権力を、エゴイズムを満足させるために濫用しはじめたらどうなるか。
権力は制限され、批判され、監視されるべきである。
ゆえに専制政治より民主政治のほうが本質的に正しいのだ。