どうやら俺は君達とは正反対な様だ。
先ず、青木哲朗は霧が掛かった様な雰囲気があり、且つ耽美過ぎる嫌いがある。
同時期に横山光輝の三国志がアニメ化された時、キャラの作画が耽美過ぎるとクレームが寄せられたが、
俺にとっては、青木の作画の方が耽美過ぎる。
何ていうかこう、堕ちて往くって感じがするんだよな。
大橋誉志光は、線が細い上に眼等が小さく描かれている。所謂90年代後半のアニメを髣髴とさせる作画だ。
彼の作画には、後の「MAZE 爆熱時空」や「それゆけ宇宙戦艦 ヤマモト・ヨーコ」を連想させる。
あと、彼の作画が一番色気を感じ難い。余りにキャラが細身過ぎて。

上記の2人に対し、阿部恒と佐藤雄三はどうなのか。
実は阿部の作画は、妖子シリーズに限らず今まで見たアニメの作画の中で一番好きな作画なのだ。
2の冒頭で妖子のアップ(例の乳首が写るシーンのある奴)では、妖子の肌の温もりや吐息さえ感じる程のものだった。
阿部の描いた妖子を見ていると、自分のボルテージがどんどん上がっていくのが解る。
佐藤雄三は、強いて言えば阿部が甲なら佐藤は乙だ。
阿部の作画に見られた色気やリアルさは若干失われているが、妖子の少女らしさが出ていて自分的にはグッド。
変身シーンでは、(特に回転して腕を交差させるシーンの)妖子には一種のエクスタシーの様なものを感じ取った。

解りやすく言えば、阿部は大人の色気や美しさを、佐藤は思春期及び青少年の色気と美しさを表している。
そして、それぞれの心情もまた存在している。

※哲学的で難解な意見になってしまって御免。