空手バカ一代 9本目
オテナといえばアブドーラ・ザ・ブッチャーの師匠のガマ・オテナ ブッチャーの師匠といえば、ザ・シークでしょ
意外だが、シークは若い頃はテクニシャンタイプのレスラーで、空中戦の名手だったのだ
ジミー・スヌーカばりのリーフブロック(逆、実はスヌーカの方が若い頃のシークに憧れていた)
三沢ばりのエルボーに、数々のサブミッション等・・・
日本に来た頃は、既に過去の栄光など無かったかのように、反則専門のヒールに徹していたが
愛弟子で実の甥でもあるサヴゥが空中戦の名手であったことで裏付けられるな >>378
ガマ・オテナって「プロレススーパースター列伝」(原作:梶原一騎)の中で
アブドーラ・ザ・ブッチャーに地獄突きを教えた、空手の師匠ということだったが
実在の人物なのか? ブッチャーとシークは、ブッチャーの地獄突き誤爆に
怒ったザ・シークの火炎攻撃をブッチャーが受けて仲間割れ 正確に言うと、フォーク突きね
あの時は、まさか火が出るとは思ってなかったんで、本当にビビった
もっと前に、シンが猪木に対して行っているが、残念ながら未見 >>381
ブッチャーに地獄突き教えたのは、添野さんじゃないの? 事実を事実のまま
完全に再現することは
いかに
おもしろおかしい 架空の
物語を生みだすよりも
はるかに困難である ---
(アーネスト・ヘミングウェイ) これは事実談であり・・・ この男は実在する!!
この男の一代記を 読者につたえたい一念やみがたいので
アメリカのノーベル賞作家ヘミングウェイのいう「困難」に
あえて挑戦するしかない・・・
わたしたちは 真剣かつ冷静に この男をみつめ ・・・
そして その 価値を 読者に問いたい ・・・ !! ブッチャーは新日時代、本人の要望で添野さんのところに練習に行っていたよね
それもあってか、全日時代よりも打撃のスピードがすごく上がっていた
たぶんそれ以前は自己流だったのが本当のところなんだろう アリ戦対策として猪木氏にローキックを伝授したのは盧山初雄氏ですか? 前も書いた気がするけど三沢がタイガーマスクになるために士道館で付け焼刃ながら習った
川田を助手として帯同してね
そしたら川田の方がはるかに打撃のセンスがあった、と添野さんが言っていた 空手バカ一代より以前に大山倍達を主役にした漫画
「大山倍達物語 空手旋風児」(真樹日佐夫原作、古城武司画)
月刊別冊少年キング1969年3月号から8月号まで連載 「ジャイアント台風」 原作/高森朝雄 より
本編は、すべて事実そのままである!
G・馬場が、血と汗と涙でつづった事実の物語のすさまじさのまえには、
なまじのつくり話など、無用と信ずるからだ!! 馬場の実況解説を聞いているとグラップリングへの説明が的確だよ
渕も言うようにサブミッションをよく分かっているんだろう
フレッド・アトキンスからいろいろと教わったんだろうな 馬場さんはガチでも強かった
勿論、弟弟子にあたるシンも・・・
なんかマジ怖いなぁ・・・ 馬場なんて俺でも勝てると40年以上前の小学生に言われていた 全盛期は白黒時代だね
カラーになってからはもう衰えていた
逆に猪木は昭和44年から全盛期に入っていった ゴッチがいて高専柔道&木村柔道の大坪がいて
当時の日プロの寝技はすばらしいハイブリット振りだった
まあのちに全日に行った選手たちはそのへんに興味がなかったみたいだけど ゴッチ教室に当時、猪木は参加してたって話は聞くけど
馬場は参加してたの? 馬場は教室には参加していないよ
そもそもスターである猪木が教室に参加したのも予想外だったみたい
ただ馬場はゴッチから助言や簡単な指導は受けている
それは当時の雑誌で記事になっているしネットでも検索すればみつかる 前田日明以前の空手出身レスラーといえばヒロ・マツダさんだよね
剛柔流 >>402
>ただ馬場はゴッチから助言や簡単な指導は受けている
日本プロレスの頃から練習嫌いの馬場の事をゴッチは 馬鹿にしており
その体型を蔑んだ目で見られてから ゴッチとは距離を置いていました。
ゴッチ教室と呼ばれる練習会に参加もせず 関節を取り合うスパーリングを見て
お客に伝わらない技術は無駄と親しい関係者に語っていたそうです。
(以上 yahoo 知恵袋より)
ジャイアント馬場「コーチとしての腕は認めても良いが、レスラーとしては駄目」と
発言。(以上『ウィキペディア』より) その辺はプロレスマニア特有の党派意識から出た希望的観測もあると思うよ
雑誌記事はけっこう適当に書いちゃうこともあり、逆に馬場が目標とするレスラーの一人に
テーズ等と共にゴッチも挙げたことがある
たぶんテンプレ的な記事、もしくは馬場が空気を読んでそう言った
もちろん馬場がゴッチにマイナスの印象を持っていたのも事実だろう
マレンコ兄弟やUWF勢が全日に来たときの解説にそれが示唆されている
馬場と猪木だってマニアが言うほど険悪だったかどうかは疑問を呈する人もいる
猪木がUFO立ち上げの資金に馬場へ借金を頼んだりね 加えて言うと、馬場が尊敬するバディ・ロジャースをゴッチとミラーが怪我させたのもあるんだろうな
まさに馬場はその現場にいたしね
この事件は梶原も漫画でよく描いていた
いずれにしても人間の感情は単純でなく、綺麗に二分出来ないということだ 馬場のサブミッションというと
ラジャ・ライオンとの異種格闘技戦で
見せた腕ひしぎ十字固め 馬場は16文キック完成のために蹴りのコツを
アメリカで空手指導員をしていたジョージ土門から教わった
ジョージ土門ってのもプロレス界と関わりが深いな 馬場って若い頃はもうちょっとムキムキだった時代もあったの?
俺が記憶にある昭和50年代前半にはもうアバラ浮いてたけど 凱旋のときだな、筋肉が付いていたのは
ゴッチと並ぶ鬼コーチであり名伯楽のアトキンスにしごかれたからね
カラーになってからは大分削げ落ちたかな
あのひと、筋力トレーニング、わけても上半身のトレーニングをしないから へームキムキだった時代もあったんだね
ちょっと見てみたかったw
でもアメリカ武者修行帰りの頃だと昭和30年代か
俺なんてまだ生まれてもなかった 猪木は昭和43年頃までは筋肉の上に脂肪っていうコンタクト・スポーツ的な肉体だったけど
ゴッチ教室に積極的に参加しだしてから脂肪が取れてレスリングの肉体に変化したな 吉村道明、大坪清隆、樋口寛治(ジョー樋口)らはレスリングセンスや
シュート技術の高さを買われて力道山が直々に日プロに引き抜いた
こういうのってとても大事だと思う
今のプロレスがコア層にしか受けないのは学生プロレスの延長でしかないからでしょう いやあ総合格闘技が確立されちゃった今、いくらプロレスでガチンコ演出しても寒いだけでしょ
プロレスはエンターテイメントっていう本質に回帰したってことじゃないの プロレスは団体や時代によって競技性が強かったりするから一貫して定義できないと思うよ
これは極右的プロレス史観に分類されると分かって言ってるけどね
それにね、総合格闘技の客の多数は娯楽を見に来ているノンポリだけど、
意識的に総合格闘技を支持している少数派というのは打撃格闘技好きとニアイコールなんだな
あの人たちは組技系格闘技志向ではない
でもプロレスを意識的に支えてきた層ってやはり組技が好きな人たちなんだよ
その根本的な気質・志向の違いがあるから総合格闘技はプロレスの代替にならない まあガチの勝負じゃ決まるはずもないサブミッションも多いからなあプロレスは MMAもグレイシーなどがいた頃はプロレスファンもモード変換せず見ていたね
でもサクが全盛期を過ぎた時期くらいからオラオラ系の選手ががMMAの主流になった
ああいうのはプロレスファン的には引くし、逆に女子プロみたいな今のプロレスも引く
動画でスネークピットUSAの大会やブラジリアン柔術の大会を観ていたほうがプロレスの延長になる テレビを前提とした娯楽が今の時代に弱体化するのは当然
その流れを完全無視している時代錯誤がNHK 存在自体を含めて 昭和の頃のプロレスはいろいろな考えの人がそれなりにまとまっていた
全日が好きな人が新日を観ないということはなかったし逆も然り
でも現在では昭和プロレスのファンは今のプロレスをほとんど観ないんだよな
昭和プロレス、という出版ジャンルがあるように昭和プロレスを探求し続けている
今のプロレスを観ているのは(年齢世代に関わりなく)新規のファンが多い
そしてかつてUWF系や渋いグラウンドレスリングが好きだった硬派なプロレスファンは総合の観戦に移った
でも総合格闘技もグラップラー優位の90年代はよかったけど、00年代にはストライカーが優位になった
その辺に違和感をもって総合の大イベントだけ見るようになった人も増えたようだね
細分化されたと言えばきこえはいいけど、もうグチャグチャだよ 1980年代後半〜90年代:マイク・タイソンら、アメリカ・ボクシング全盛時代
2000年〜2005年頃:K-1魔裟斗ら、PRIDE桜庭らの格闘技ブーム
いずれもブームを牽引するスター選手が居たんだね そこだよね
今の格闘技イベントは誰もが知っているスターがいない
だから選手間の因縁を煽り映像を流し、ニックネームを選手につけて工夫している
でもそれが逆にチープさにつながっている 空バカだけだったら閑古鳥だから、レスが無いよりいいじゃない 空バカの影響力は
@読者である青少年のハートに「最強の格闘技は『空手』である」と、
植え付けさせたこと
A当時の極真空手の入門希望者を増大させたこと
っていうことだったんだろうな 言っちゃ悪いけど、最強の格闘技なんか無いし、最強の格闘家なんかいないよ
それぞれの格闘技には特色があり、利点もあれば欠点もある
最強の格闘家を決める異種格闘技戦とか総合格闘技なんて言っても、ルールごとに優勝者が違うんだから、競技会の数だけ最強がいることになり、永遠に答えは出ない
他流試合よりも、それぞれの競技を極める事の方が大切
格闘技以外のスポーツでも、将棋、囲碁、芸術等でも・・・
な〜んて言っちゃ元も子もないな
でも違う者同士が戦う他流試合は、確かに面白い(見世物としては・・・) >>425
>言っちゃ悪いけど、最強の格闘技なんか無いし、最強の格闘家なんかいないよ
>それぞれの格闘技には特色があり、利点もあれば欠点もある
>最強の格闘家を決める異種格闘技戦とか総合格闘技なんて言っても、
>ルールごとに優勝者が違うんだから、競技会の数だけ最強がいることになり、
>永遠に答えは出ない
そういう発想は、空バカ連載&アニメ放映されていた頃には一般的には無かったんじゃないかな。
その当時はまだUFCのような総合格闘技の大会も表舞台では開催されていなかったわけで。 UFCは当初こそ他流試合のワクワク感があったけど
2000年以降はああいうルールの競技になったよね
あれをユダヤ千年王国の到来とばかりに最終的なものと捉える一部のヲタには同意できない
総合で強くてもストリートファイトでボクサーや空手家やレスラーより強いとは限らない
MMAを指標にすることに一抹の疑問ももたない5chの格ヲタは共産主義者みたいなもの >>427
>UFCは当初こそ他流試合のワクワク感があったけど
>2000年以降はああいうルールの競技になったよね
まさしく同意だわ
あと、フロイド・メイウェザー・ジュニアの異種格闘家との
ボクシングルールマッチも個人的には面白く感じられない 空バカの上手いところは素手で寸止めなしが本来の空手の有り様で
ルール無用であるなら空手こそ最強の格闘技であるという
ある意味証明できない前提をもってきたところだな 異種格闘技戦も猪木の頃がピークだね
前田がニールセンとやった時は、ガチでは無かったんろうけど、お互い初めてだった事もあり、ぎこちなさや手加減の仕方知らないから、ちょっとガチに見えて、それなりの緊張感出てたね
その前田も多少慣れてくると緊張感無くなっちゃったし
大仁田が格闘技の祭典での青柳館長戦からヒントを得たFMWの構想だが、あれは選手の絶対的不足を補うための苦肉の策だったんだなぁ
奇しくも前田もリングスで同じことやることになっちゃったね(まあ、ドールマンたちに感謝だろうな)
だから大仁田も「アイツも苦労しているな。やってることはワシと一緒じゃ」と親近感持ったんだな(それまでは、不信感抱いていた) アニメ版の主人公をなぜ 原作同様 大山倍達にしなかったのだろうか?
その頃はまだ 肖像権等は煩くなかったろうに
同時期のアニメの侍ジャイアンツには長嶋も王も川上も
実名で出てたよね 大山倍達と牛が戦っている実際の動画をユーチューブで見たことあるけど
とてもアニメのオープニング動画のイメージとは かなりかけ離れている感じ 最強の定義も様々
柔術 敵の無力化が目的 殺すのが理想
逮捕術 犯人の確保が目的 無傷が理想
興行 金儲けが目的 より儲けた者が最強
神事 神への感謝祝福が目的 原作後半の頃には梶原一騎と大山倍達仲悪かったからじゃない プロレスラーがジムとリング上で戦い方が違うことを梶原がすっとぼけて出さないから
レスラーがガオーと単細胞に突進してくる筋肉バカにしかみえないな
極真をしていた友人もそこを指摘して「あれはひどい」と言っていたわ
マスは実際のところは板割と瓦割と型の披露をしていただけでレスラーとは戦っていない
もしそういうことをさせるのであれば、プロモーター的には適当に二流レスラーに3連戦させ、
最後にディック・ハットンなりとセメントで戦わせてマスを秒殺させるだろう いまも顔面なしの素手のフルコン大会だと極真が強いのかね? 猪木のグラップラーとしての技術の高さはようつべ動画や
高坂、中村らの解説で今は知られるようになった
猪木のグラウンド技術の高さを観ているとやはり一流格闘家がやらないと
プロレスは衰退するばかりなんだなと思う
今のレスラーなんてペラペラのゲームのキャラクターみたいだからね
あれじゃネット民からバカにされて当然だ
極真空手も大山道場時代の金的あり、893との路上教習ありの
狂気に満ちた練習があったからこそ青年たちにリアルを感じさせられたんだと思うし ドラマだって70年代くらいまでは映画畑の人が撮っていたから質が高かったろう
その後に最初からテレビしか知らない年代がドラマを作り始めた
そうすると大人には見るに堪えないドラマが増えていった
何でも「〜内〜」になったら質が低下するんだよ >>438
でもバーン・ガニアがレスリングのできる選手にこだわりすぎたからAWAは潰れたんだよ?
完全に開き直ってカミングアウトしたニューヨークの団体は栄華を極めたからな >>440
>完全に開き直ってカミングアウトしたニューヨークの団体は栄華を極めたからな
その団体の王者だったブロック・レスナーは
リアルファイトのUFCでも世界ヘビー級王座を獲得 >>441
まあそうなんだけどレスリングのできる選手だけを集めてはいないだろ?
道化役者もいないとプロレスは盛り上がらない >>440
それはない
ロード・ウォリアーズもベイダーも売り出しはAWAだよ
調べてみればテレビでWWFに負けたとわかる 「反則は5カウント以内」
こういうルールがある時点で もはや競技ではないような気がします NWAも80年代後半でもうWWFにやられちゃったからな
後継のWCWがWWFと差別化をはかるためにストロングスタイル路線になっていた 原作にある 力道山vs木村政彦戦のエピソードはアニメ化されてないんだよな >>446
主人公の戦いでない話を
延々とはできんやろな 大木さんに挑発されたとき大山館長は年齢差5,6歳なんだから戦うべきだった
入院しているばあいじゃないでしょう >>444
mr.高橋「悪質な反則は一瞬でも反則負けにできる」 なんか高橋本で憎悪をたぎらす奴って
戦前の愛国者→戦後共産主義に日和って日本をヘイト→戦後利得者って構図と似てる 最近目に付くのが政治の話のとき、敵同士反目し合ってるように見せて
じつは裏で仲間意識をもっていたり、喧嘩しているように見せていたり、
同じ根っこを持つ者同士で心底いがみ合ってはいないことの喩えとして
プロレス≠連呼する人間がネットに多いことだ
訊いてみると彼らはよくプロレスを知らずに「みんなが使っているから」
という理由でその言葉を用いているんだな
右翼や左翼のことを知らずに気に入らない相手をネトウヨ・パヨクというのに
とてもよく似た現象だ
最初にこういう喩えを広めた元凶ってのは2ちゃんねるのプロレス板なのかな
自分は見つけ次第、命をかけてやっているプロレスラーを政治の薄汚いお手打ちに
見立てるのは使用法として間違っていると指摘をすることにしている
身体を動かして痛みを経験した人間は(全部が全部とは言わないが)お気楽に
そんな使用法はしないものだ
ネット漬けで身体感覚が欠如した人間特有の薄汚い言葉使いだと思う オリンピックに出る空手の選手は
どうして「自分は〇〇流の空手の選手です」と
自分の流派をPRしないんだろう? そもそも大山倍達が最初に学んだのは松涛館流だったんだよね 所詮は講談でしかなかった。史実に基づかない部分が沢山あるし、主人公が美化されすぎだし。 今、梶原先生が生きていたら
大谷翔平主人公の
凄い強烈な劇画を作りそうだな 当時、ノンフィクションという宣伝で売られていたの? 第一話冒頭より
これは事実談であり・・・ この男は実在する!!
この男の一代記を 読者につたえたい一念やみがたいので
アメリカのノーベル賞作家ヘミングウェイのいう「困難」に
あえて挑戦するしかない・・・
わたしたちは 真剣かつ冷静に この男をみつめ ・・・
そして その 価値を 読者に問いたい ・・・ !! 男の星座執筆時期は己の死期を悟ってたんだろうな
まだまだ長生きできそうと思ってたら断筆宣言などしなかったろう しかし50歳で酒による病死とは破天荒な生涯だったわね
しかし昭和のオッサンは迫力があるな
俺気付けば梶原一騎の年を追い越してたけど、とてもあんな貫禄はないw 自分は40代後半だが50歳まであと数年なんでまあそんな年代だ
もちろんリアルタイムでは知らずアニメもMXで初めて見た
漫画は平成初期にカラテ地獄変などと共に読んだ
列伝はリアタイで読んでいた記憶がある これは上の文脈と関係なしにネットのあおりの問題としていうけど
40以上とか50以上とかエイジズムはネットの定番だよね
でも今や中年世代こそネットをいちばん「総合的」に使いこなせるわけだからね
分かる人もいると思うけど若い年代はワードが使えない、パソコンが苦手ってのが少なくない
でも中年はパソコンもスマホも何でも出来る
中年だから時代から取り残されている、という意味のあおりが通用しない時代になっている
ましてシニアですら今やネットを普通に使いこなしている人が増えてるからね 梶原は漫画がヒットする前は痩せてたような気がするんだがな。 >>460
それはないな
カジのビジネスは「大したことない奴を虚構で盛ってスターに仕立て上げること」でしかない
実際に凄い奴はフィクションで盛る必要ないからカジの領域の外にある
実際、カジが書く猪木や馬場、王・長島なんかの描写は淡泊だった >>469
パソコンできる、オレ凄い! と言うまさに無能な中年の典型で草も生えない
そもそもネットなんてスキル不要で誰でも使える物を使いこなすもくそもないだる
ネットを使って何やってるかと思えば40年前の漫画やアニメの考察だったりと
ただの時間のムダでしかなかったり、中年のネットなんてそんなもんだ 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の漫画版「KIMURA」は男の星座の続編的なテイストのアレンジがされている 増田俊也はよく指摘される事実誤認が気になるし、柳澤健は小説なのにノンフィクションっぽく書いているのがどうもね
二人とも5ちゃんの格闘技板とか武道板にはまっていそうなタイプ 「沢村忠に真空を飛ばせた男」もひどかった
なんであんな本が絶讃されるのか