西崎はテレビ局へ企画を持ち込み、1974年8月に読売テレビに売り込むためのパイロット
フィルムが制作された。こうして「宇宙戦艦ヤマト」の放映枠は日本テレビ系の日曜19時半に
決まった。企画当初は虫プロでのアニメ制作が予定されていたが、虫プロは倒産し本作は
オフィス・アカデミーで企画製作を行うこととした。

なお、「宇宙戦艦ヤマト」の企画は西崎プロデューサーが在籍していた瑞鷹で行われ、
フジテレビ系の裏番組「アルプスの少女ハイジ」が瑞鷹の製作番組だったため、道義上の
問題から、別会社での製作になったのだという瑞鷹の高橋茂人の見解もある。
当初の企画書では全52話だったが、放送決定時には全39話に短縮された。