さらに監督を務める予定だった山本暎一が、他の仕事のため1974年6月末にヤマトから抜ける
ことになったことにより、松本が石黒昇のサポートを受けながら監督も務めた。
松本は、キャラクターやメカのデザインをするとともに、「新選組血風録」を元に若者の集団劇を
構成した。
一説では、「セクサロイド」に感銘した西崎が松本にデザイン監修を持ちかけたところ、「全てを
任せてもらえるのでなければ」といったん断られたが、上記のように山本が離脱したため、
西崎が松本の条件を受け入れることになったとされている。