一条明日香(続編)

本スレ >>511 >512 >>513 の続編である。
一条と言ったら何と言っても第11話の火事のトラウマに苦しむ回であり、
最高視聴率を叩き出した功労者でもある。繰り返し視聴したところ、
試合中に過去の火災がフラッシュバックとなって襲いかかり、
まるでベトナム戦争の帰還兵が社会復帰に苦しむ姿が浮かんで見えた。
ベトナム戦闘は1955〜1975年の20年に及ぶ泥沼の長期持久戦であり、
あまりの過酷さで終戦後も精神を病んだままの元兵士が多数発生し、
大きな社会問題にもなった。
この件は一条の性格を歪める原因になるのだが、特に他人不信は決定的となった。
「他人は信用できない」「希望は絶望に変わるのよ」
という趣旨の発言はまるでベトナムで味方に救出されず捕虜になって
苦渋を味わったアメリカ兵の心の闇を映し出しているようにも見えた。

この回の見所は現在の試合と過去の火災という二元放送の試み以外にも
いくつかある。先ずは実況と試合とお茶の間の温度差である。
実際の試合は一条の不調でワンサイドの盛り上がらないゲームになってしまい、
嵐が酷い試合を「見てられない」と言うが視聴率は過去最高。
実況は「13−0、凄絶な試合になりました!」 
「15−0で負けましたが、実に内容のある素晴らしい試合でした!」
と熱狂的に大風呂敷を広げてまくし立てている。これには苦笑した方も多いだろう。
特に「凄絶(せいぜつ)」という表現、
壮絶(そうぜつ)ではなく凄絶(せいぜつ)だ。
ほぼ同じ意味だが、日常的にあまり使用される言葉では無いように思う。
なぜあえて、凄絶を使ったのか気になったが、これには壮絶と同じ、
すさまじいという意味に、凄惨、ひどい、目をそむけるような
意味が加味されるようである。一言でいうと
「目を背けたくなるような」凄まじい試合ということで、嵐のセリフと重なって
くるのだ。実況も一条の苦しむ姿を「目を背けたくなる」と暗に言ってるのだが、
視聴率は過去最高という不思議。人間は見てはいけないと言われると
逆に見たくなるような天邪鬼な性分があるのかもしれない。