20話は、コンピューター利用の否定が、時代錯誤と
いうかありきたりすぎて、人間賛歌や文明批判の説教
めいたセリフや筋書きが鼻につき、白ける。
1970年代も後半となると、一概に否定的な考えをする
原のような物言いはもはや時代遅れだと思った。
この話の前から、道徳や教育めいた内容だと思ったが、
反文明だと宗教性や政治性すら感じ、これでは数字も
上向かないだろうと実感した。

等々力はスタッフ的に、視聴者が嫌悪感を催す悪役要員
として設定されたようで、徹底的に否定されていて、
試合前に原に呼び出され、不正や反社会的みたいなこと
するなみたいなことまで言われた。
しかし等々力は、キワドイ情報収集あたりまでが批判
されるような行為で、コンピューターを利用した先進の
やり方や、原の行為で重い障害を抱えたことの恨みを
晴らそうとすることなどを否定されれば、それに反発し
怒るのも当然と思った。
こんな同情したくなる動機や論理を抱えた悪役の設定を
したことは、スタッフの失敗、というか、視聴者によって
は違った見方もできる奥深いキャラクターとも言え、
スタッフはそこまで意図していたのだろうか。

また等々力の腕が、バレーの試合で動かなくなる
どころか、血の巡りが悪くなるほどの後遺症を残すと
いうのはどこか荒唐無稽な気がした。