日本テレビ版 ドラえもん 11
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
昭和48年4月2日〜9月30日放送
日本テレビ系 毎週日曜日 午後7時〜7時30分
1回2話 全26回 52話 カラー
制作 日本テレビ動画 日本テレビ
01 ttp://comic.2ch.net/ranime/kako/1010/10108/1010847855.html
02 ttp://comic2.2ch.net/test/read.cgi/ranime/1031831619/
03 ttp://comic2.2ch.net/test/read.cgi/ranime/1052481196/
04 ttp://comic5.2ch.net/test/read.cgi/ranime/1071563397/
05 ttp://anime.2ch.net/test/read.cgi/ranime/1108338623/
06 ttp://anime2.2ch.net/test/read.cgi/ranime/1139846927/
07 ttp://changi.2ch.net/test/read.cgi/ranime/1185204455/
08 ttp://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/ranime/1229185171/
09 ttp://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/ranime/1302472900/
10 ttp://mao.5ch.net/test/read.cgi/ranime/1419076277/ >>751
「冒険少年シャダー」も海外で放送された痕跡があるね。
権利関係とかどうなってるんだ… 冒険少年シャダーとか戦えオスパーとか、どことなく キャラとか、第一動画(妖怪人間ベム、黄金バット)に
似てるんだよな、スタッフが被ってたりしたのかな? >>759
第一動画は韓国との合弁会社で、日本で企画して
韓国の現地スタッフが製作するという事実上の逆輸入アニメ
日放映時代はどうか知らないけど
新倉雅美も韓国の安い人件費でアニメを作ったりしていたらしい 野沢雅子キャラの人気投票で、またポロニスト()がしょうもないことやってて草 ゴールデン末期のテレ朝版ドラえもんの視聴率って
水準としては日テレ版の頃と大差なくなってたんだな
少子化とか時代の変化とかあるんだろうけどテレビ媒体だともう限界かな 12月にマンガ ドラえもんの新刊が出るらしい。
学年誌各誌での新連載1話の別バージョン6種を収録
したものとのこと。
こーゆー資料性とゆーか、コアなファン向けの本が
平気で出るんだから、日テレドラだって解放して
欲しいよな。 >>765
小学館「売れる見込みがないから出さない」 別に出さない方針が方針ならそれで別にいいんじゃないの >>765
売れる見込みがなさそうな「爆発五郎」とかもDVDになってるし
ドラえもんのほうが売れるだろう 売れる見込みはあるのに何故出ない?
例:オバQのディスク 『ドラえもん』(第2作1期)以前の藤子不二雄の映像化作品のうち
『ジャン黒』『旧怪物くん』『旧パーマン』『ウメ星デンカ』『実写ハットリ』は2010年代までに解禁された。
おそらく『旧オバQ』『新オバQ』がソフト化されるのは2020年代になるだろう。日テレ版『ドラえもん』は2030〜40年代になるだろうか。 解禁されたのは小ヒット
オバQは大ヒット
ドラえもんは超大ヒットだから? 真佐美ジュン氏インタビュー
──そもそも真佐美さんが『ドラえもん』に関わったのは
どのような経緯があったのでしょうか?
「以前一緒に仕事をした人から、いきなり中野にある高級焼肉店に招待されたんですよ。
その時に今度新しい番組をやるので全員任を持ってやってくれないかと誘われまして。
こんなご馳走されて何か下心あるのかなと思ったら、
それが『ドラえもん』のアニメの話でした。昭和48年の正月頃だったと思います」 ──あの時代はまだ『ドラえもん』は単行本も出ておらず、
今と違って非常にマイナーな作品だったわけですが、
何故アニメ化という英断をされたのでしょうか?
「日本テレビ動画はその前は東京テレビ動画という名前だったのですが、
その会社はずっと任侠路線ばかりやっていたんですよ。
で、次回は誰か漫画家に作品を描かせて少年モノで『清水次郎長三国志』をやりたいと、
日本テレビ動画の社長の渡辺清(旧名・新倉雅美)がそういう企画を考えて、
実際動いていたのですよ。ところが、その動きの中で『ドラえもん』の存在を知ったのです。
これは面白いぞということになりまして、早速『ドラえもん』の企画を立てたら、
それが先に(企画が)売れちゃったんです。『新オバQ』のヒットがあったことも大きな要因でしょうが、
『ドラえもん』に目を付けたということは、彼には先見の明があったと言えますね」 ──『日テレ版ドラ』での一番大きな出来事と言えば、
ドラえもんの声が富田耕生さんから野沢雅子さんに変わったことが挙げられますが、
それはどんな裏事情があったのですか?
「昔からテレビ番組が1クールが終わると見直しは当たり前なんですよね。
視聴率の低迷、テコ入れがあって、とりあえず中間報告書を作って出そうと。
またはもしかしたら局側からの要請があったのかもしれないね。
その時に、私達は感じてなかったけど、日テレサイドから、
ドラえもんを友達みたいな感じにした方がいいんじゃないか、
ということで声優を変えようという話があったみたい。
制作サイドとしては、何の異存もなかったし、
そういうことなら仕方ないと返事したと思うんだけど、
演出家の人達に訊いたところ、変えるのは反対だったようです。
その頃の常識としてはそういうことをするのは大変失礼なことで、
やってはいけないことだったんです。制作側は良くなるんだったらいいんじゃないかという考えで、
その後すんなりいったと思ったら、演出家の人達は反対だったときいて後で驚きました。
藤子先生からは何もクレームもなかったですし、
富田さんの反応も『ああ、そうですか』で済みました」 「初期のドラえもんってどう思います?
友速というより召使い、年上って感じしますよね?
続けていくうちに、藤子先生もそうだったと思うんだけど、
これは友達の方がいいんじゃないかと。
そうすると声優さんを変える方向にいきますよね。
それで視聴率が上がったというのはないと思いますけど、
あのままいってても、それはそれなりのドラえもんになったと思うんですよ。
その頃はまだドラえもんの声のイメージはなかったですからね。
今だったら大騒ぎでしょ。テレビ局にハガキが届いてたかもしれないけど、
それがこっちに回ってくる頃にはアニメももう終わっちゃって、
会社もなくなってしまったから、どのような反響があったかはわかりません」 https://twitter.com/video_vhs/status/1161985796208902144
日テレ版の声優変更を悲しむ声。
大山版以降の先入観が無い貴重な意見。
読売新聞(1973年7月15日)より
「ドラえもんはユニークな声の魅力に負うところが大だった。
どういう事情で変わったのか知らないが、声変わりしたドラえもんは魅力がなくなった」
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 「視聴率は2クール目は10%超えたんですよ。
最初からの予定は2クールの契約でした。
8月の頃には継続の話が来てました。
現にご褒美として日本テレビの外房にあった保養所に招待されたのですが、
みんなで麻雀をやったことぐらいしか思い出はないですがね(笑)。
それが8月初旬だったのですが、私お盆の頃に田舎に帰ったのですよ。
ところが東京に帰ってきたら社長の渡辺が逃げちゃったんですよ。
それと前後してテレビ局のプロデューサーから呼び出しがあって
『日本テレビ動画が解散するという噂があって、外注さんに不穏な動きがあるという情報が入っている』と言われまして。
本当はテレビ局から聞く前に会社の方から社員に話がくるのが普通でしょ。
日本テレビ動画は金くれねえぞという噂が出て、外注さんが作品を渡さないという話になったり、
テレビ局からは放送に穴をあけないでくれと言われたり。
もし何かあったら私が責任を取るので、私の顔に免じてなんとか…と外注さんに頭を下げて、
何とか2クール分で最終回ということにしたわけです」 ──社長が逃げたということは、会社の経営状態はかなり危なかったということですか?
「かつて東京テレビ動画時代に作った作品で大赤字を出したんですよ。
ところが『ドラえもん』で黒字が出て、そのマイナス分を取り返したら、
アニメはやめたと逃げだしてしまったんですよ。
その後会長が一時引き継いだんですけど、会社経営に興味がなくて、アッという間に解散が決定。
結局社長が逃げたのが8月の中旬で、『ドラえもん』の最終回は9月30日に放映。
その時には事務所を引き渡さなければならなかったので、ビルはカラッポの状態でした。
今調べると日本テレビとかなり問題を起こしてたみたいです。
日本テレビとずっとやってきてたんですけど、『モンシェリCoCo』という作品でTBSに移って、
そしてまた『ドラえもん』で日本テレビでしょ。
しかも『ドラえもん』の放送枠を取る時、周りの反感を買うようなやり方をしたものだから
日本テレビの心ある人は信用してなかったみたい。だから会社がそのようになった時反応が早かったですね」 「『ドラえもん』のフィルムはテレビ局の方に納品したため、
日本テレビ動画には残っていませんでした。
だから荒川河川敷の時にはフィルムは燃やしていません。
全国に再放送用のフィルムとして回って、
また日本テレビに戻ってきているはずなのですが、その後は行方不明です。
既に処分されたのか、仮に残っていてもあれから30年以上も経っているので、
状態はかなり劣化していると思いますけど……」 『日テレ版ドラ』は、これまで残された情報があまりにも少なく、
「失敗作」というレッテルを貼られてきたが、
そのレッテルを一旦剥がして、もう一度新たなる評価を下す必要があるのではないだろうか。
確かにこの作品が作られた時期は、初期ドラえもん特有のドタバタ調の頃であり、
ガチャ子の登場など今の『ドラえもん』のイメージとはだいぶ異なっている。
また、ジャイアンの家庭環境など、原作の設定と違っている部分も多々あるのも事実である。
そのあたりの点は人によって評価が別れるところであろうが、
何にしても作品を評価するには、まずモノを見てみないことには話が始まらない。
そうなると何としてもフィルムの存在が不可欠になるのである。
フィルムの件は、真佐美さんのお話では、
「燃やしていない。テレビ局に戻っているはずだが」とあるので、
どこか倉庫の片隅に残っていることが無いとは言いきれない。
長いこと行方不明であった鉄腕アトムの『ミドロが沼』がアメリカで見つかったという例もあるわけで、
フィルムが出てくる可能性は決してゼロではないはずだ。
もし仮に見つかったとしても、いろいろ諸問題があって、
簡単にDVDなどで復刻とはいかないであろうが、
いつかそういう日が来ることを信じて、希望だけは持ち続けたいと思う。
『日テレ版ドラ』の最終回、
通常なら最後に「終わり」というアイキャッチを出すところを、
敢えて「次回をお楽しみに」と表示した。
それは「もっと続けたかった」という制作サイドの強い思いであり、
いつの日かどこかでドラえもんを復活させたいという願いを込めてそうしたのである。 「大変素晴らしい出来で、とても安心しました。
大山さんの声も、あれなら大成功だなと思いました」
『日テレ版ドラ』終了から5年半後、
シンエイ版の第1話を見た真佐美さんは、そのような感想を持ったという。
日本テレビ動画のスタッフ達の願い=自分達の手で再び作ることは遂には叶わなかったが、
『ドラえもん』に対する熱い思いは、このような形でシンエイ動画へと引き継がれたのである。
だからこそ尚更、今まで歴史の隅に隠されてきたアニメ『ドラえもん』の原点にスポットを当てる必要があるし、
またそうすることによって、これまで思い込みで「失敗作」と決めつけられた日本テレビ動画のスタッフ達の業績に対して、
正しい評価が下されることであろう。
『日テレ版ドラ』については、まだまだ知られていないことが多い。
それが容易に明らかになる日が来ることを願うばかりである。
今回の特集がそのきっかけの第一歩となれば幸いである。(了) 『ドラえもん』制作主任・真佐美ジュン氏インタビュー
手塚治虫先生率いる虫プロダクション・手塚プロダクションで
数々のアニメ製作の実践を重ねた経験から、
日本テレビ動画に『ドラえもん』製作主任として抜擢された真佐美ジュンさん。
現在は、誤解だけが伝承されるNTV版『ドラえもん』の真実の伝道者として、
精力的に活動を行われていらっしゃいます。
『ドラえもん』が生まれるまで
──(おおはた)『ドラえもん』の企画を進めのはどなたでしょうか。
◎(真佐美)正式な回答をするとなると「判りません」としか言えません。
実際に企画を進めていたのは渡辺清社長(新倉雅美)と
プロデューサーの佐々木一雄さんの二人だったのではないか、と思いますが
(ドラの準備中に放映されていた)『モンシェリCoCo』(72)でもポストに就いていたわけですから、
『ドラえもん』の準備にも動いていたかは、私には判りません。 ──真佐美さんはどの時期から参加されたのでしょうか。
◎私にちょっとやってくれないか、みたいに引き合いが来たのは、
前年(72)の11月ですね。第1話のスケジュール表を見て分かるとおり、
12月中には作業に入っていました。私の持っているスタッフでやらせていただくのだったら、と引き受けたところ、
新潟の日本テレビ動画の作画班・仕上げ班も手空きにしないように必ず使ってくれ、
と言うので、二本に一本は新潟のスタジオの方で制作していたと思います。
新潟のスタジオは一つの外注先としてみていましたので、一話単位で丸々作ってもらっていました。
ただ、作画の方を統一しなくてはならないので、作画監督をしっかり立て、
仕上げの方にも監督を立てるようにしました。 ──お話ごとに作画がバラエティに富んでいると思いました。
◎(番組全体の画の監修を担う)総作画監督を置くようになったのは(アニメ界全体を通じて)『ドラえもん』の直後からです。
作画監督さんが各話で違いましたし。当時の考え方としては一話単位でまとまっていれば良い、みたいな…。
ただ、本当は口出ししちゃいけないのですけど、たとえ仕上がっていても、あまりにもひどいのは、こちらでもリテイクを出しました。
私の責任で『ドラえもん』という作品で、ある一定のライン以下の物は出したくなかったので。
だから(リテイク前の)フィルムが残っているわけです。
https://twitter.com/jiji_ntv/status/862103069689032705
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) ──レギュラーキャラの設定はどなたが描かれたのでしょう
◎はっきりとは憶えていません。
'72年の1月頃、チーフディレクターとして上梨満雄さんに来て貰い、
オープニングもすぐ作ってもらったのですが、たとえば、その時にキャラクターを統一しようって事で、
上梨さんが(どなたかに)指示してキャラクターデザインや注意書きとかを作ったのではないでしょうか。
(シンエイ動画版を彷彿とさせる)しずかちゃんの服がピンクなのは、色数の都合。
赤にするとのび太とジャイアンのシャツの色と被っちゃう。
今考えると、よく両方とも赤にしたよね。
ガチャ子など後期のキャラクターは、その都度、新たに起こしていました。 ──原作に比べると、脇キャラクターの個性が、
だいぶん強くなっているような印象を受けました。
◎NUの上映会では二本ともスネ夫のママが出てきましたが、
たまたまあの二本に集中して、強烈なものだったので、失敗だったね。
ジャイアンのお父さんは原作には(あまり)出てこないので、こっちで作ったのかな?
設定を作り込んだ肝心の人たちが特定できないので(企画意図を)はっきりさせられないよね。 ──1話限りのゲストキャラなどは、その回の担当の人がやっていたのでしょうか。
◎それも、はっきり憶えていないです。
上手い人に描かせていたと思うのですが、
スタッフに聞いても、その辺、憶えている人が一人もいなかったですね。 ──それまでに放送されてきた藤子アニメから受けた影響はあるのでしょうか。
◎ないですね。私は新作('71)も旧作('65)も『オバQ』は観ていません。
虫プロの人には、変なプライドがあって、他社より良い物を作ろうとして、作品を見る目が違うのですね。
絵がちゃんとバランスが取れいるか・作画ミスが無いか・ちゃんと編集は出来ているかとか、
ストーリーで観るのではなくて、質で観ているから。
『ふしぎなメルモ』('71)から、それをひきずったまま
『モンシェリ』や『ドラえもん』を始めたものだから、
謙虚さみたいな物はなかったですね。
今考えると失礼な話ですよね、藤子先生に対しては。
今だからこそ、東京ムービーが藤子作品を作ってきた流れを知っていますが
(当時は)外からきた我々が、ポンと『ドラえもん』に入っちゃった、という感じです。
『ドラえもん』は私たちが製作する新たな作品として受け取って、
それをいい作品にする努力はするけど、
ヒットさせるために前の作品を調べると言うところまでは頭が回っていなかったですね。
今だったら、それをやるでしょうね。
『オバケのQ太郎』って、かなりヒットしてましたよね。
うちの子も観ていましたよ。でも、こっちとしては観ていなかったので。 ──それまでの藤子アニメの主演声優は、みな女性ですが、
『ドラ』では富田耕生さんが担当しています。
◎最初は藤子先生の原作でも、ドラえもんって友達じゃなかったと思うのですよ。
何でもやって貰える世話焼き係で、のび太より年上なんです。
富田さんの声しか思い浮かばなかったと思うのです。
でもアニメをやっているうちに、藤子先生の原作では、
どんどんドラえもんはのび太の友達として描かれていきますよね。
それで「ねがい星流れ星の巻」(第10回#20)でも、
しずかちゃんが「のび太さんは、兄弟みたいなドラえもんがいていいわネ」みたいなセリフを出してみたりしました。
その辺からテレビ局も、声を変えた方がいいんじゃない、って言ってきたのだと思います。
最近知ったのですが、ジョーさん(上梨満雄チーフディレクター)は、
やっぱり富田さんの声でそのまま続けた方が良いって言っていたみたいですね。 ──声が変わってから、キャラのイメージも作風もかなり変わっていた感じが特徴的でした。
中間報告書でも書かれていましたが、後半はドタバタ色が強いと感じました。
◎まあ、そのきっかけで多分、ジョーさんはドタバタ路線で行こうとしたんだろうね。
逆に私はやっぱり落ち着いた人情物が好きです。
ジャイアンは、あくまでもいい子だし。笑わせて、ホロッとさせて、また笑わす、みたいな、ね。
伏線の張り方だとか、その辺は手塚先生の教えでしたから。
虫ブロ時代から結構、講習を受けてますからね。 ──真佐美さんが参加された頃には、何話分かの脚本は出来ていたわけですね。
◎('72年)12月の段階かどうかははっきりしませんが、
日本作家協会の四名に個々に頼んで、すぐ書き始めていただいています。
藤本先生は、私には内容について細かいことを言わなかった方だった気がします。
極端に言えば、喫茶店で「どう、順調?」「順調です」って、
軽い世間話しかしていなかった気がします。
先生に(原作の色原稿にならって)のび太の上(シャツ)は赤、下(ズボン)は背にすると、
ドラえもんの配色とも合っていて、外注さんが喜ぶのですよ、とか、
そう言うくだらない話しかしなかったですね。
一方、文芸の徳丸正夫さんが藤子先生の校閲を受けていたはずなので、
こういうストーリーを、と言うご注文を伺っていたと思います。
ライターからシナリオが上がってくると、読んでおいて下さいって
お預けして(ゴーサインを)貰って、初めて絵コンテにするのです。
徳さんとどういう話があったかは、ご本人でないと分からないですね。
徳さんは、まだ現役ですよ。 ──真佐美さんが参加された頃には、何話分かの脚本は出来ていたわけですね。
◎('72年)12月の段階かどうかははっきりしませんが、
日本作家協会の四名に個々に頼んで、すぐ書き始めていただいています。
藤本先生は、私には内容について細かいことを言わなかった方だった気がします。
極端に言えば、喫茶店で「どう、順調?」「順調です」って、
軽い世間話しかしていなかった気がします。
先生に(原作の色原稿にならって)のび太の上(シャツ)は赤、下(ズボン)は背にすると、
ドラえもんの配色とも合っていて、外注さんが喜ぶのですよ、とか、
そう言うくだらない話しかしなかったですね。
一方、文芸の徳丸正夫さんが藤子先生の校閲を受けていたはずなので、
こういうストーリーを、と言うご注文を伺っていたと思います。
ライターからシナリオが上がってくると、読んでおいて下さいって
お預けして(ゴーサインを)貰って、初めて絵コンテにするのです。
徳さんとどういう話があったかは、ご本人でないと分からないですね。
徳さんは、まだ現役ですよ。 ──演出の腰繁男さんのお名前は、
現在放映中の『リニューアル版・ドラえもん』でもお見かけします。
◎そうですね。でも、旧作の『ドラえもん』でどこが苦労したかって訊いても、
麻雀やパチンコなどの遊び以外は、泊まり多かったよね、ってくらいしか憶えていませんでした。
確かに泊まりは多かったけれど、他のアニメと比べて、
ある程度スケジュール通りに行ったし、すごく楽だったですよ。
統括の現場に居たのは演出と進行の数名で、あとはほとんど外注さんだったので、
常に予算がかけやすく、スケジュールも取りやすかったです。
外注システムでも、一本・一本に責任ある人間がいないと示しがつかないので、
一話につき、進行さんを一人、
演出はジョーさんを中心に三人付けて、演出助手を二人で回していました。
進行さんに作らせたスケジュール表を、私がチェックして、上手くローテーションしていました。
予想に反してスケジュール通り上手く回ってしまうものだから、
私の立場がなくなって、あまり心配しないで済んだ、と言うわけです。
プロデューサーの佐々木一雄君はテレビ局とかスポンサー関係に忙しかったですし、
私は私で、渡辺社長と次の企画作りもやっていましたし。
内容面はジョーさんに任せないと失礼なので、
(後期の演出・作風には)もう口出ししませんでした。 灰になった『ドラえもん』
──「最後の日」は、非常に衝撃的です。
◎8月20日くらいに、佐々木君から、
渡辺社長が逃げた、いや「消えた」って言ったのかな。
降りた・辞めた…結局、そう言うことですよね。
それで、今後どうするかという話になって、
新潟の稲庭左武郎氏というお方が代行するので、
今後の心配はないと言っているって話だったので、
今後も大丈夫だろう・続くだろうって言うことで、
引き続き製作を続けていました。
しかし、最終回を外注さんに出すまではそんな騒動にはならなかったのですが、
9月初旬にテレビ局のプロデューサーが、日本テレビ動画は解散するって噂があると、
私と佐々木に言うのです。それで、外注さんが非常に騒がしいと言うので、
そんなはずは無いって佐々木が調べたら、経理の人が知っていたみたいで、
どうも本当の話だって。
稲庭氏がアニメづくりに興味のある人だったらずっといたんだろうけど、
地元に貢献しようとして日本テレビ動画を運営したみたいで、
お金を出していただけの方だったみたいですね。
あまりにも(前身の東京テレビ動画時代に作った)赤字がひどかったので、
やっと落ち着いて収入も入ったし、この辺でやめようかみたいな感じだったと思うのです。 ──今考えると、もったいない気もします。
続けたら、もっとヒットしていたかもしれませんし。
◎そうですね。そのシリーズがずっと続けば、
前のカットを使えるように保管しておくわけ。
バンクシステムですね。私たちはライブラリって言っていたけど、
資料をきちんと整理して、前の絵コンテを見てこのカットは使えるから出しておいてくれって。
そこからもう一度彩色しなければならない物は彩色するし、
背景がいる物は背景を出すけど、作画は助かるわけですね。
そうなると保管しておきますけど、もう『ドラえもん』を作る可能性は無い訳で。
外注さんに現金を払わなくてはならないので、
棚から何からの備品、動画机など売れる物は全部売りました。
残った帳簿だとか、絵コンテ、脚本、カット表、カット袋に入っている原画、背景、全部ゴミですね。
26回分、ものすごい量ですよ。ライトバンに入りきらないくらいありましたからね。
私の地元で投棄物が一年中燃やされている場所を知っていたので、そこで燃やしました。
ゴミを出すには、何十万円もかかったので。 ──ドラえもんに限らず、藤子アニメは新作が出来ると
旧作が露出しなくなる傾向があるようですが。
◎これも、多分私に責任があると思うのです。
(シンエイ動画には)歩いても行ける田無市(現・西東京市)のアパートに住んでいたのですが、
私は自分では皆さんは分かってくださっていると思っていたけど、行方不明者になりつつあって、
連絡が頂けなかったんじゃないかな、と善意に解釈しています。
虫プロの進行として同期入社したロクさんや神ちゃん(神田武幸氏=横山裕一朗名義でシンエイ版の演出にも参加。96年没)とか、
知り合いが結構、初期のシンエイ版『ドラえもん』に関係しているのです。
どこへ行くにも一緒で、旅行にも行っていた仲でしたから、
私の所在を知っていれば彼らが連絡をくれた筈なのですよね。
何か参考になることを教えてくれ、とかね。
短いやつ(帯番組時代のドラ)を観たら、作りは結構よかったし、
声優さんもすごい素敵で、ぴったりだと感じちゃったのでね。
こっちとしても文句の付けようがないな、と思って。
当時、自動車の修理の仕事をやっていたのですが、その時に顔を出していれば、
もうちょっと日本テレビ動画の『ドラえもん』の扱われ方も違っていたんじゃないかと思いますね。 ──シンエイ動画の作品にも、何らかの影響があったかも知れないですね。
◎そうですね。神ちゃんあたりと連絡が取れていれば、
キャラクター集やセルも、役に立つんだったら、と見せていたかも知れない。
その当時だったら、まだ日数が経っていないから、持っているフィルムも見せてたかもしれないですね。 誤解の連鎖を断ち斬る出会い
──第1話の絵コンテ担当が大貫信夫さんと伝えられていますが。
◎大貫さんが本当にやられたかどうかと言うのもはっきりしない。
その後、私も会っていませんし、ジョーさんも使うわけがないって言う。
大貫さんの名前は『モンシェリCoCo』の方の資料に入っていたから、
ご担当いただいていたとしても、かなり初期の話だと思います。
(旧虫プロの)杉山卓さんが書いた『テレビアニメ全集2』('78年9月・秋元書房・秋元文庫)が誤った情報の出典なのでしょう。
この本を読んで思ったのですが、本当に詳しく書かれている作品もありますが、
調査が出来ていないのだろうなと思われる作品は一部のスタッフしか載っておらず、
中途半端ですね。そう言う意味では、『ドラえもん』に関しては、
私も非常に責任があるのです。
エンディングのフィルムを一本余分に届けていただいて、
私が最終チェックをしていたので毎回分を持っていたのにもかかわらず、
五年くらい前に邪魔になるので、一本を残して全回分処分してしまったのです。
その他、編集の西出栄子さんが、親切で私の方にラッシュプリント持ってきてくれたのです。
本来だったら捨ててしまうラッシュプリントの中に、そのカットが残っていたので、
NUの上映会では第1話のエンディングをご覧いただきました。
この中には、最終回やその他の回の絵も少し残っているので、
私のホームページではそこから流用してご紹介しています。 ──そう言った断片的な資料は、いくらか残っているのですね。
◎そうです。たまたま、おおはたさんのホームページ(以下HP)を見たのがきっかけで、
『ドラえもん』が幻(の作品)になっている、と知りました。
それまでは、一・二本のフィルムとセル画を何枚か持っていたな、位の思い出だったのですが、
実際には、もっと(たくさんのフィルムが)出てきたわけです。
おおはたさんのHPの資料の多さにはびっくりしました、
観たという人の記憶ってのは素晴らしいです。
ほとんど正確ですものね。制作した立場から言わせて貰うと、嬉しいですよね、非常に。
あれだけ正確な事が書かれていると。
今、私のHP閲覧のお申し込みを頂いているのが、ギリギリ「観た」って言う五十歳代の方、
三、四十歳代の方が多いかな。女性の方は非常に少なくほとんど申し込みがないって言っていいですね。
最近では、興味を持った小・中学生でも申し込んでくる人がいます。
今後は、たとえ一人でも観たいって人がいれば、お一人でも結構ですから、
フィルムを見せていこうと思っています。 ──数年前までは間違った情報が信じられていたわけですから、
それが覆されたと言うだけでも大きな進展ですし、
このように色々と資料が出てきたと言うことも、最初はただただ驚きでした。
その後、HPを拝見したり、資料を見せていただいて、間違いないとわかって、
この資料や映像が本物であると確信しました。
◎これだけネットが発達していなければ、このまま幻になっていたんだろうね。
考えてみれば、凄いよね。たった一人がたまたま見て、こうなったのだから。 ──巡り合わせとは、凄いものですね。
私としても旧・ドラえもんの存在を知って、
最初はなんだこりゃと思ってHPを作ったので、
ここまで話が大きくなるとは全く思っていませんでした。
◎おおはたさんが、あのページを作っていなければ、
私も気が付かなかっただろうしね。
──そう言っていただけると、本当に嬉しいです。(2006.10.08)
まさみじゅん●'45年・埼玉県浦和市出身。
'65年・虫プロダクション入社。同社で『W3』の制作進行を手がけたあと社長室配属。
『リボンの騎士』『どろろ』などの製作に携わる。'71年・手塚プロダクション入社。
映画部へ配属。『ふしぎなメルモ』で手塚治虫の演出助手を務める。
'72年・手塚プロ退社後、スタジオTAKEで『モンシェリCoCo』の手伝いを経て
日本テレビ動画に入社。'73年から本名の「下崎闊」名義で
『ドラえもん』の制作主任を担当。同社の解散後、アニメ業界から引退した。
日本テレビ動画解散の顛末は氏が記した「最後の日」に詳しい。 いつの間にかオスパーのフィルムが発掘されてて驚いた
リマスターか何かされないかな この勢いで放送当時のオープニングやエンディング、できれば本編も見つかってほしい。 真佐美さん、だいじょうぶかな。
日記やWebの頁などの過去を知るデータが
永久に失われるのはもったいないな。 体調管理はしてきた人だからこそ初期の癌であってほしい
妻の認知症はヤブ医者のせいで1年間放置されてしまったが Mさんは最近の投稿で妻が大変なことになってるな
本人が大病で大変なのになんてことだ 夫は肺がんで手術予定、妻は重度の認知症となり今度は寝たきり
常に面倒を見られる人は夫しかいないけれどまずい状況に進んでる
ドラえもんスレで観察スレではないけれどなんでまともな人に不幸が続くのかね 元祖天才バカボンでは本官が肝付さんであるが、
後に赤塚作品でもイヤミのイメージが強くなってジャイアン級に意外な役ではなかろうか? いつもたべてるものが、スーパーの揚げ物系の弁当だから、
あれじゃ健康に良いわけ無いな。 50年記念で、映像資料が乏しいんだから
日テレドラ解放してくれないかな、いいかげん。
封印しといて誰も得してないだろ? 最近の日テレドラ関連の動き
・野沢雅子版ドラえもんアーモンドグリコCM
・初代ドラえもん主題歌内藤はるみさんNHK出演
いいよいいよ〜! フィルムがまだある内に4Kでスキャンくらいしておいてほしい 日テレドラのファンに聞きたいけど、もしこの作品のタイトルが「ドラえもん」じゃなくて、「幻の1作目」とか「封印作品」とか言われず
誰からも注目されなかったとしても、この作品が好きって断言できる? >>838
当時毎週ワクワクしてたからなぁ・・・・・大好きだったよ。
今観たらどうだろうという疑問は残るが。 テレ朝ドラのwikiに書いてあった文章で、テレ朝ドラアニメ化前の1978年の出来事らしいが
>テレビ朝日の編成部で19時から23時までのプライムタイム担当者だった高橋浩に「藤本先生が『私の作品はどこが受け入れられなかったのでしょうか?』と言われている。
>『ドラえもん』が日本テレビ放送網で失敗した理由を教えてほしい」という要望で、1973年版全26話分の台本と漫画の単行本数冊を入れた風呂敷包みを贈っている。
日テレ版は「単行本がなくて知名度が全然なかった」、「裏がマジンガーだった」、「原作のストックが足りずオリジナル部分が多くて原作のイメージと違っていた」とか、
失敗の理由なんて「時代が悪かった」としか言えないし分かりきっていることなのに、何故こんな回りくどいことをわざわざしたんだろう
単行本と日テレ版の台本を同時に渡して、「単行本をちゃんと読んで原作を理解して欲しい、日テレ版は失敗例だから反面教師にして欲しい」って遠回しに言っていたのかな 藤本先生の「ドラえもん愛、作品愛」とも言えるし、藤本先生の苦悩や闇の部分とも言えるし
作品存続のためには「のび太は成長してはいけない、成長したらドラえもんの存在意義がなくなる」
って意味で作品は最終回、収束に向かうのは良くないこと。
だからこそ、その後のエピソードは見れないけど
綺麗に収まったドラえもんとして日テレ版が光る存在なんじゃないのかな。
そこに自分は見たこともないのに惹かれてしまうわけなんよ。 >>838
後づけで日テレドラを知った人ならではの疑問だなw
放送当時は、放送されてるテレビマンガのドラえもんこそが、オリジナルの基準だったんだから。
単行本も出てないから初めの頃の話は読んでないし。
安藤本で知ったことだけど、終わった理由も、作品の内容や人気とは別の事情だったみたいだし。 キテレツ大百科なんて原作を読んだ人がどれだけいることやら。
Wikipediaのキテレツ大百科の登場人物なんて、原作ではなくアニメのオリジナル設定を基準に解説されてるわ。 アニメ化前に読んでたけど何か?
自分が世界の中心だと思ってんの? >>848
誰がいないといった?
お前こそ世界の中心だと思っているんじゃないのかよ キテレツは原作しか読んでないな。
アニメになったのだいぶ後だから、チラッとしか見たことない。 ここの住民なら原作知ってる人多いだろうけどキテレツのアニメ見ていたけど原作は知らない視聴者は結構いたんじゃね? 俺は自分が世界の中心だと思っている。
だって地球は丸いんだもん。 藤子作品は、特にテレビアニメの場合は一般的には
視聴者層が子どもに限られるからな。
子どもを卒業しちゃうと
わざわざ見るのもまあ一部だけになっちゃう。
原作のマンガも現役の連載中とかじゃないと、
子ども卒業しちゃうと、単行本ギリ読むかどうか。
キテレツは原作連載とアニメ化が間空いてるからな。
原作かアニメか、どっちかかな。アニメ見てから興味で原作の単行本読むことはあるだろうけど。
アニメ始まる時にタイアップで始まる再連載は
原作って訳じゃないからな。 ビッグコミックに掲載されたのは大人向けに描かれてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています