【交響詩篇エウレカセブン】について語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
十二話から急に神がかった展開になっていったな
OPも神だったし
馬鹿にしてて悪かったな、謝るぜ 初代エウレカセブン38話。
レントンの父親であるアドロック・サーストンが、
セブンスウェルの事故で姿を消したという設定の詳しいいきさつ。
これ、AOの脚本家だったら、Aパートでエウレカが独白で設定をしゃべって、
Bパートは月光号と軍のバトルで終わらせていたことであろう。
こんなふうに。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------
エウレカ「アドロックは、世界を破滅させるセブンスウェルを食い止めようと、コンパクドライブを引き抜いたの。
全てが終わった時、アドロックの姿はもう消えてたの。」
レントン「そうだったのか。だから父さんは英雄って呼ばれてたんだね。俺、父さんのこと見直した。」
-----------------------------------------------------------------------------------------------------
いやまあ、並のアニメだったら、この程度の脚本で良いと思いますよ。
ところが、エウレカセブンの脚本家は、「お父さん」というキーワードで、
アドロックの人物像を描き出してくるわけです。
「お父さん」がどういうものかしらないエウレカは、月光号の人たちとの交流で、
すごく大事な存在だと知り、好きな人と結ばれ、子供が出来、家族を守るのだと知る。
アドロックは、エウレカ自身も守ってくれた。そしてエウレカは思った。
レントンのお父さんであると同時に、エウレカのお父さんでもあると。
今回は、アドロック・サーストンの話しをするんだな、と思ってたら、
エウレカがレントンに間接プロポーズする話だったわけです。
ほんとに、オチの読めないシナリオですよ。
いったい誰がこのようなオチを予想できたでしょう?
AOみたいに、「悪い奴だと思ったら、良い奴だった」とか、そんな低レベルのレトリックじゃない。
こういう視聴者の期待以上の脚本を仕上げてくるってのは、なんなんでしょうか?
凡人とは別次元の才能とセンスを持ち合わせてるとしか言い様が無いでしょう。 初代エウレカセブン38話で、レントンとエウレカを覗き見してるシーンを、
AOでオマージュしてるのが、AO22話。
比較してみると、ドラマの厚みが全然違うのが笑える。
初代エウレカセブンの脚本を見て、何か勉強しようとか何も思わなかったのかな。
しかも小ざかしいことに、AO22話で説明されてることは、
人体に寄生したスカブは、トラパーが濃いと暴走して人体を食い尽くして殺すというもの。
これって、未来でアオの姉が死んだことの伏線なんですよ。
「予想を裏切る展開」というのを、AOの脚本家は履き違えてますね。
レントンとエウレカの子が死んでた、というのは、視聴者の予想を確かに裏切りますが、
そのシナリオが、視聴者が喜んで納得するものかどうか、考える頭は少しも無いというわけです。 AO1話
全話見た後で見直したら、何か発見があるかと思ったら、何も無かった。
構成がムチャクチャというところが、さらに目についただけ。
まずね、>>47でも書いたことの繰り返しだけど、キーアイテムのブレスレットの見せ方が間違ってる。
ブレスレットを見せる前に、クォーツを見せちゃダメ。
ガゼルはクォーツの説明をしてるところで、クォーツが爆発する。
どう考えても、クォーツのほうが大事と思って、視聴者はそっちに目を奪われる。
本編では、ブレスレットは、
Aパートで、クォーツの爆発で、アオの手元に落ちてきたブレスレットをアオが拾う。
Bパートで、ガゼルの落としたケースには足りないパーツがあると日本軍に指摘されて、アオが拾ったと示す。
そうじゃないだろ?
ガゼルの車にクォーツがついてる説明って、そもそも意味が無い。だから見せる必要が無い。
ガゼルが車の中でケースを開けて、中身を視聴者に見せる。青く輝くブレスレットに注目させて印象付ける。
アオが砂浜でブレスレットを見つけて拾うなんて、いちいち見せる必要無い。
見せたところで、クォーツの爆発の後では印象が薄い。
Bパートで、あのときアオが拾ったとわかれば十分。
なぜ、ガゼルの車にクォーツがついてることを、見せる必要があるのか?
クォーツが関係してスカブが落ちてくることを説明したかっただけだよね?
ガゼルがケースを開けて中身を確かめてるとき、ブレスレットの輝きで、
運転をミスって砂浜に不時着、アオとぶつかりそうになる、で、いいはずだ。
第1話の鉄則。不思議なアイテムを一度に2個も重複させてはいけない。 AO1話
ナルとガゼルが絡まないのはなぜ?
何か意図があって、ナルとガゼルを絡ませないようにしてるのか?理由がわからない。
アオとナルのシークエンスは、以下の通り。
1、アオとナルで、森にノアを探しにいく(ノアの紹介と、アオが孤児なのと、ナルが予知夢をする設定の説明)
2、砂浜に密漁にいくアオを叱るナル
3、スカブバーストで発作を起すナルをアオが介抱する
4、ケータイでナルと電話するアオ(外人として疎外されていることの説明)
5、島がシークレットで攻撃されてる中、ナルを心配するアオ(そこにガゼルがブレスレットを奪いにくる)
ノアがストーリー上、全く機能してないので、1は省略して4に含めて説明できる。
ナルの予知夢の説明も全く無意味。後でシークレットに島を攻撃されたとして、「ナルの夢の通りだ」とは言えない。
もし、2で、ナルがアオと一緒に砂浜に行けば、ガゼルと遭遇して次のようなドラマが生まれる。
ガゼルが、アオに「気をつけろ!外人の子!」と悪態つき、ナルが「いい大人が、子供をいじめるの?」と守る。
でも、ナルは病気持ちなので元気が続かず、アオに介抱される。すると、4のケータイでの会話が不要になる。 おそらく、4で、電話を切られた後で、
”アオは、ナルの機嫌をとるために、拾ったブレスレットをナルにあげたいと思った”と、
このシーンを作りたいためだけで、アオとガゼルの絡みのシーンで、ナルを登場させなかったのだろう。
しかし、結果的にアオは、ナルにブレスレットをあげてないし、
最期まで仲直りもしてないのだから無意味になる。
最低限、ナルにブレスレットを渡してから、
ナルから「これは、アオが持ってるべきよ。」と、思わせぶりに言わせないと何のドラマにもならない。
最悪なのは、島が攻撃されてて、ナルがどこかで大怪我してるかもしれないのに、
ガゼルに「ブレスレットは渡さない!」とか言ってる場合じゃないだろ。
さらに、AO2話では、ナルの無事が確認できてないまま、ガゼルと一緒に日本軍のところへ行ってしまう。
あるいは、ナルがもう死んだと思わせたかったの? それって無理あるよね。
好きになった人が災害にあっても、死体見るまで死んだと思い込む人はいないと思う。
「まだどこかで生きてるはずだから、探そう!」となるのが普通の人の考えだ。
だから「ブレスレットは誰にも渡さない!」と、
次の展開に移るまでに、ナルの無事が確認できて、アオを安心させる必要がある。
ストーリーテリングの鉄則。主人公が次の目的に移る前に、それまでの目的を解決しておくこと。 AO1話のラストで、ブレスレットによるクリフハンガーを最大にするために、
アオとナルのドラマを解決する必要がある。
アオとナルの電話の会話は、アオが外人だと説明してるだけで、二人のドラマがまったく無い。
-----------------------------------------------------------------------------------
島が攻撃を受けてるとき、島で唯一の総合病院に行けばナルがいるはずだと、アオが駆けつける。
アオ「よかった。心配してたんだ。これ、ナルにあげようと思って。」
と、ブレスレットをナルに見せる。ここでナルが、何かを感じ取る。
ナル「これは、アオが持っていなきゃ。覚えてないの? それはアオのお母さんのものよ。」
アオ「なんだって?」
ここでアオの記憶が蘇る。
アオが幼いとき、ナルがアオの面倒をよく見ていた。泣いてるアオを、ナルが母親の元に連れていく。
アオを抱き寄せる母親の腕に、そのブレスレットが輝いていた。
アオは、半信半疑でブレスレットを受けとろうとしたそのとき、背後からブレスレットを奪おうとするガゼル登場。
ナルの寝てる病室で、ガゼルとアオの言い争いがはじまる。
ナルが苦しそうに咳き込みながら、ガゼルを止める。
ナル「アオのお母さんは外人で、どういう人だったのか知らない。
大人はみんな嫌ってるけど、わたしは気にしたことなんてない。
アオのお母さんが居なくなった時、わたし言ったよね? 負けちゃダメだって! アオ!」
ナルの制止もきかず、アオから無理やりブレスレットを奪おうとするガゼル。怒りに燃えるアオ。
その時、ブレスレットに「EUREKA」の文字が浮かぶ。本当に母親のものだと確信するアオ。
アオ「これは絶対誰にも渡さない!」
-----------------------------------------------------------------------------------
アオが、自分ひとりの記憶で、ブレスレットがエウレカのものだと確信して行動するのは、独善的でよくない。
第三者のナルの後押しで、アオが発奮するようにしたほうが、ドラマが盛り上がる。 さらに詳しく解説する。
アオとナルの電話では、アオは「自分が外人だから、直接見舞いに行けない」と言い訳めいたグチを言う。
それにナルがどう答えたか?
「外人だからって、死ぬわけじゃないでしょ? わたしに比べてどんなにマシなのよ!」
と、ナルは自分の病気自慢を始める。
ナルとの不幸自慢で負けたアオは、しょんぼりする。というのがこのシークエンス。
そしてナルの機嫌をとるために、ブレスレットをあげようという思考。
「あんたより、自分のほうが不幸だ」と逆切れしたナルに負けを認めてご機嫌を取る情け無いアオ、
というのを描きたいならそれでもいいが、そういう狙いはたぶん無い。
ここでナルは精一杯アオを励まし、気遣い。それでもアオはグチり続けることに呆れて電話を切るナル。
自分が病気なのに、いつも俺を励ましてくれるナルの思いやりを無下にしたことを反省したアオが、
ナルのご機嫌を取ろうとする、というのが、正しいシナリオのはずだ。
ナルが自分の病気のことを持ち出して逆切れしたのは、ただの設定の説明にすぎない。
逆切れしても、キャラの好感度を下げるだけで、アオの大切な幼友達という説得力を失わせる。
ドラマ作りより、設定の説明に気を取られてるから、こんなしょぼいシナリオになってしまうという例。
自分の状況を語り合ってもドラマは生まれない。
相手を励ましたり傷つけることでドラマが生まれる。 そこで、もう一度、本家エウレカセブンの脚本を見てみよう。
ゲッコースティトのメンバーになったものの、上手く歯車が回らないレントン。
落ち込むレントンだが、必ずラストで、仲間にはげまされる。
これがドラマを惹きつける重要なシークエンスとして機能してる。
誰もレントンを励まさなくても、ストーリー上は何も問題無い。
しかし、誰もレントンを励まさなかったとすれば、どんなにつまらないアニメになっていたか。
1話のレントン。(エウレカのところへ飛んでいく!)
2話のエウレカ。(レントンじゃないとダメなの)
3話のアクセル。(レントンの旅立ちを見送る)
4話のマシュー。(現実に負けるな)
5話のミーシャ。(エウレカにアタックするぞ)
6話のエウレカ一家。(エウレカも子供達もみんな家族)
7話のドギー。(名実ともにゲッコースティトのメンバーになる)
そして8話からストーリーが動き出す。
緻密なストーリー構成もさることながら、各話ごとのテーマもカッチリ決めた上で、
困難があっても、最期にはレントンを励まし、背中を押して終わる。
脚本は、何を描くべきをわかってる上で、最高の脚本を上げてくる。
これがドラマの筋書きなんですよ。 本家エウレカセブンでも、もう一度見たいなと思うシーンは、
戦闘シーンよりも、レントンが傷ついたり励まされたりと、
エウレカへの思いを爆発させたりと、人間の心が大きく動くシーンなんですよ。
そうしたドラマの積み重ねで、エウレカセブンは名作に上り詰めたのだと思う。
だからAOがエウレカセブンを名乗るなら、せいいっぱいドラマを仕込んでくるべきだった。
ドラマで視聴者の気持ちを高揚させるべきだった。
実際にAOの脚本家が上げてきたのは、込み入った設定を説明するだけのものだった。
2転3転するストーリーが、視聴者にウケると勘違いしてたわけだ。
AO1話のAパートラストで、アオとナルが手をつないで戦場の明かりを眺めてるシーンがあるが、
ドラマが無いので全く印象に残らず、こんなシーンあったのかと完璧に忘れていた。
見直しても、何も面白くない。 AO1話のAパートラストで、アオとナルが手をつないで戦場の明かりを眺めてるシーンがあるが、
ドラマが無いので全く印象に残らず、こんなシーンあったのかと完璧に忘れていた。
なぜ、印象に残らなかったか、理由はハッキリしてる。
Aパートラストで、アオとナルがFPに乗ってたのに、
Bパート冒頭では、アオが一人でFPに乗ってじちゃんの家に帰ってきている。
「ナルを家まで送りとどけた」などの説明は一切無し。
だから記憶中枢が記憶すべきエピソードだと認識できなくて消去したのだ。
そんな無意味なシーンばかり作っても、ちっとも印象に残らないつまらないアニメにしかならんよ。 AO1話のAパートラストでやってることは、以下の通り。
-------------------------------------------------------------
アオがFPを運転し、森をつっきり、
「しっかりつかまってて!」と、アオがナルを抱きつかせている。
スカブバーストが起き、シークレットが現れる。
「今のは?」と、アオが気を取られたとき、FPが路肩にぶつかる。
「ナル、しっかり!」アオが車外にナルを連れ出す。
「アオ? ノアは?」ナルはノアの心配をする。ノアが無事なのを確認して「よかった。」とナル。
森の向こうで怪しい光を見る。周りにサイレンが鳴り響く。
「アオ……いったい何が起こったの」
「さあ、わかんないよ。でも、なぜだか、すごく悲しい気分なんだ。」
-------------------------------------------------------------
ウソくせぇええええええ!!!
こんなのドラマじゃねええええええええええ!!!!!
夜、あなたが男子で、隣にフラフラの女子がいて、手をつないでて、
森の向こうで怪しい光を見て、町で鳴り響くサイレンを聞いたら、
「あなたは、すごく悲しい気分。」になりますか?
普通は、女の子の手をつよく握りかえして、
「この子を、茂みに連れてって押し倒す。」か、
「この子を、早く安全なところに連れていかなくては。俺しかこの子を守れないんだから。」
の、2つしか、男子の考える選択肢は無いと思いますが、そこのところどうなんでしょうか? いくらなんでも1話なんだから、もう少し面白いんだろうなと思ってたが、
見返したら、ちっともそんなことなくて、ただ面白くないだけだった。
せめてこれくらいはドラマを作って欲しい。
----------------------------------------------------------
ナル「アオ……いったい何が起こったの」
アオ「さあ、わかんないよ。でも、なぜだか、すごく悲しい気分なんだ。」
ナル「しっかりしてよ! アオ! FPを動かして、ここから逃げなきゃ!」
アオ「そ、そうだね、ナルは俺が守るから。家まで送るから。」
ナル「アオは、下からFPを持ち上げて! 私がFPを運転する!」
アオ「ナルにFPの運転は無理だよ。」
ナル「私にだってFPくらい運転できるわ! 私にだって……!」
緊急車両をジグザグにすり抜けていく、ナルの運転するFP
Aパート終わり AO2話を見直してみたが、やっぱり面白くなかった。
なんなんだよ、この稚拙な脚本はよう。まだ2話目なのによう。
Aパートはダメダメすぎて記憶にすら残ってなかった。
Bパートのダメさは、>>19で書いた。
Aパートの内容はこんな感じ。
ガゼルはアオを連れて日本軍のところへ。
島をめちゃくちゃにされてるので、アオに日本軍のIFOを動かしてもらって、戦ってもらいたいらしい。
アオからブレスレットを横取りして、自分でIFOに乗って戦うつもりは無いが、
シークレットと戦う危険なことはアオにやらせるつもりらしい。
ガゼルの人間性が全く掴めない。
なぜか、日本軍のIFOにシークレットが反応して、日本軍空母にシークレットが接近。
それはいいとして、日本軍空母は、シークレットではなく、ガゼルを威嚇攻撃する。
当然、日本軍空母はシークレットの攻撃を受けて撃沈される。
なんだそれ?なんかのギャグのつもり?
アオは車外に放り出されてIFOに掴まり、仕方なく操縦席へ。
目の前でガゼルが海に落ちてるのに、救助することなく飛び去る。
おいおい。
アオのIFOはシークレットに向かって飛んでいったが、
初めて乗ったIFOで、シークレットの攻撃を受けて、
どんなふうに勝てる根拠があって、正面から戦うつもりになったのかわからない。
そんなキャラ設定じゃなかったろ? 逃げ回るアオは、スカブに到着。
すると、シークレットの攻撃をかわせるようになる。
トラパー濃度が濃いと、シークレットには見えなくなるらしい。
それ以前に、シークレットはスカブと融合爆裂するのが最優先任務じゃないのかよ?
シークレットから見えないというハンデのおかげで、アオは反撃のチャンスを得るが、
なぜかアオは空中に飛び出して、シークレットの視界に自分をさらし、攻撃されて片腕を失う。
トラパー濃度が濃いとシークレットから見えないって設定は、必要だったの?
しかも、ここで説明することだったの?
トラパー濃度が濃いとシークレットから見えないって設定を生かしたアオの反撃でもなんでもないし。
ゲネラシオンブルは、国際レスキューだと台詞で説明するだけで、2話も何も活躍しなくて、
そのかわり、日本軍だの沖縄自衛隊だの、独立派のおじさんだのを出す必要あったの?
トゥルースが出てきたら何も機能しなくなる、ただの舞台装置じゃん。
まんべんなく設定を説明してるだけだから、面白くないんだよね。記憶にも残らないし。 面白く無い理由がわかれば、ドラマを作ることができる。
こんなふうに。
------------------------------------------------------------------------------------
ガゼルは、自分の島を守るため、自分でIFOを動かしてシークレットと戦う決意をする。
ガゼルがアオを連れて日本軍空母と合流しようとしたとき、シークレットが日本軍空母を攻撃。
撃沈された日本軍空母のIFOにガゼルが飛び移り、コクピットに座る。
ガゼル「ちくしょう! こいつ、どうやって動かすんだ? アオ! そのカギをよこせ!」
アオ「いやだ!」
IFOが海に沈みかけ、このままだとガゼルも溺れるというところで、ガゼルはコクピットを脱出。
代わりにアオをコクピットに強引に座らせる。
ガゼル「仕方ねえ。 生き残りたけりゃ、自分でこいつを動かせ!」
アオ「そんな!」
ガゼル「お前が、島を守ってみせろ! 生まれ育った島をよ!」
気が動転するアオだが、コクピットが締まり、IFOは海に沈む。
アオ「ここから出せよ! 俺に何をさせようって言うんだ!」
ピッポ「ガゼル、やりすぎじゃねえか? アオのやつ沈んじまったぜ?」
ガゼル「やつは、アレを動かすさ。 動かすしかねえんだ!」
そして、アオのブレスレットが反応し、海中でIFOを起動することに成功する。 フレアとエレナは、シークレットを攻撃しようとするが、
アオのIFOが識別信号を出して無いので、アオのIFOにもミサイルがロックオンしてしまうので出来ない。
フレア「私たちじゃ、何も出来ない。あのIFO乗りに運命を託すしか。」
エレナ「任せてもいいかも。 マークワンのサードエンジンが起動してるし。 すごいパイロットだ。」
そして、アオがシークレットを倒す。
この後、フレアがアオと出会うが、出会い方が強引過ぎる。
なぜ、フレアが初めて出会ったアオのことが、さっきのIFOのパイロットだとわかるのさ?
アオが海で寝てるのも変だし。
あるいは、近くでパイロットを探すフレアの目にアオが止まり、
アオが浜辺を歩いてるところを、フレアに呼び止められ、探りを入れられる。
フレア「この島の子? さっきすごい爆発があったけど、巻き込まれなかった?」
アオ「え? さあね、昼寝してたから、気が付かなかったけど?」
フレア「そう、あたしフレア。ゲネラシオンブルの。よろしく。君の名前は?」
アオ「フカイ アオ……。」
フレア「単純な名前。」
アオ「なんだと? じゃ、俺はこれで……。」
フレア「君、昼寝してたんじゃ、さっきのIFO見てなかったよね。すごく、かっこよかったんだよ。」
アオ「え? ほんとに?」
フレア「ふふ、ほんとに単純なんだね。」
アオ「う、じゃあな!」 AO3話のつまらなさは、言わずもがなだ。
シーンごとのおかしな点を挙げていったらキリがない。
シリアスとギャグを混在させるテストのつもりだったのかもしれないが、
後半の回は、3話ほど酷くは無いので、それなりに反省したのだろう。
それはともかく、アオが虐待されてるシーンがどうにも面白くない。
元祖エウレカセブンで、レントンが虐待されているシーンは数々あるが、
AOと比べても、逆に見ごたえがある。
やはりこれも、初代のほうがドラマがきっちり作りこまれているからだろう。
アオが虐待されてるシーンは、いかにも作り物くさいのだ。
「はい、ここでアオが縛られますよ」
「はい、この大人は悪い人ですよ」
「はい、ここでイビチャが登場です」
「はい、ここでガゼルが登場です」
と、いちいち段取りして説明してるのだ。
シーンごとの流れが、ブツブツと、ぶったぎられながら話しが進むので、
まったく感情が入っていかない。
ドラマも単純で、いかにも頭の悪い大人が、いいがかりでアオを虐待している。
元祖エウレカセブンでは、けして、そんな単純な構図はとらない。
レントンを虐待するホランドも深い事情があるし、
レントンもホランドに殴られたからって、裏の事情があるため、ホランドを恨み続けることはしない。
AOの場合は、アオに、「大人の事情があるから、(アオを虐待するけど)すまない」と言っている。
おそらくアオは、自分を虐待した大人をずっと恨み続けるだろう。
同じ”事情”があっても、こうもドラマの厚みに差が出るものなの? 主人公を虐待する大人が出てきた場合、
ストーリーの中で相応のけじめをつけてもらう必要があるだろう。
本家エウレカセブン15話のユカタン、
本家エウレカセブン18話の発掘屋、
それぞれ、身勝手な大人がレントンを苦しめるが、ラストで、きちんと罰を受けて終わる。
ストーリーテリングとして、「その悪い大人は、どうなったの?」という
視聴者の問いに、明確な答えを与えている。
AO3話の大人は、アオを縛り上げて虐待したくせに、罰らしい罰も受けずに終わってる。
ガゼルに説教されたからって、アオの受けた苦しみとは釣り合わない。
大人が罰を受けないまま、虐待受けた主人公が、がんばる姿を描いても、釈然としないのは当然だ。
また、本家エウレカセブンでは、調子に乗って周りが見えないレントンの行いで、
他の大人が問題の尻拭いをさせられてしまうという、
主人公側の問題も提示するのでドラマが一層複雑に折り重なる。
主人公であろうと、自分の行動に責任を持たないといけないということだ。
AO3話でも、アオが島の災いの元になったと言われても仕方ない行動を何かしていれば、
アオが責任を取らなければならない状況が生じていたなら、また違ったドラマが生まれていただろう。 シンプルに整理すると。
共感できる大人の事情で、主人公と対立→和解が成立
共感できない大人の事情で、主人公と対立→罰を受ける
こういう約束事をきちんと踏襲しないといけないというわけだ。
ちなみに、ホランドがレントンと対立するのは、
レントンに対する期待の裏返し、嫉妬、苛立ち、
自分ならエウレカを守って死ぬ覚悟も出来てるが、レントンはどうなんだ?という不信感。
レントン自身が成長し、ホランドの信頼を得た時点で、対立軸は解消される。
本家エウレカセブン26話で、レントン、エウレカ、ホランドの三つ巴のドラマが展開する。
重厚すぎて、何度見ても見飽きない。
単純にヒーローがヒロインのピンチを救って結ばれるという話しならここまで盛り上がらない。
そこに、ホランドという人物を絡めて、「エウレカはホランドを選ばなかった」=「エウレカはレントンを選んだ」
という構図を描き出したのが、文学的でアニメの脚本とは思えないほどだ。 ホランドもレントンも、エウレカを守るためには、死をもいとわないというのは同じ気持ちだろう。
なのに、どうしてエウレカはホランドではなくレントンを選んだのか?
その理由が、次のエピソードで語られている。
本家エウレカセブン9話。
選択の門を軍が爆撃しているさなか、エウレカは膝を抱えて座りこむ。
「もう、戦争で人が死ぬところを見たくない、でも自分には使命があるから、今は何もできない。」
レントンは、「おばさん達を見殺しにできない!」とニルバーシュに乗り込む。
エウレカも同じ気持ちだと告げると、「一緒に行こう!」とレントン。
ホランドは、ずっとエウレカを守って戦ってはいたが、エウレカの気持ちと同期して導くということはしなかった。
レントンはエウレカを、より高みへと導いていった。
エウレカ自身、まだ見たこともない地平が広がる。
説明のつかない、わきあがる感情がエウレカを包む。
そしてエウレカはレントンを選択した。
しかし、問題も発生する。エウレカが成長して人間性を有すればするほど、
自分とは別人格のレントンと、そりが合わなくなるという現実に直面する。
それでも互いを必要とし、互いを認め合えるまでのエピソードが、この後続いていく。 AO19話で、ナルがトゥルースを導いていたんだ云々という話があるが、
陳腐すぎて話しにならない。
どこで間違えてるんだろう?
誰が誰を導こうと、ゴールは同じじゃないといけないのではないだろうか?
トゥルースがナルを導いたのは、ナルの神通力を使って世界を滅ぼすため。
ナルがトゥルースを導いたのは、アオに力を持たせて世界を変えるため。
どっちにしても、視聴者が共感できることじゃない。
ナルもトゥルースも、他人を利用しようとする嫌なやつだ。
ナルとトゥルースのラブストーリーが根底にあって、
共通の理想の世界を作ろうとしたけど、ちょっと互いの理想にズレがあって破局した、
というなら、もうちょっとドラマとしてなんとかなったのかも知れない。
しかし、ナルとトゥルースのラブストーリーじゃないということらしいので、
どうしようも無いんだけどね。 おそらく、AOの脚本家の頭には次のようなことが想定されていただろう。
トゥルースは、AOの中の世界が間違っていて、視聴者の現実の世界を求めて戦う
→アニメの中では敵→シークレットが敵で無いと判明した時点で、トゥルースは正義の側
ナルは、エウレカセブンの世界観(スカブが地球を覆う)を実現するために戦う
→アニメの中では正義の側と思わせて、実はスカブを無くそうとするエウレカの敵
しかし、脚本家の頭の中で、きちんとストーリー構成の中で整理されなかったため、
トゥルースもナルも、ずっと気持ちの悪い敵のままで、正義の側に立つことはついに無かった。
では、どうすればよかったか?
トゥルースは最初の登場の時から、破壊願望の基地外ではなく、ゲネラシオンブル基地、スカブプラントなど、
トラパービジネスなど、この世界に存在しないはずのモノだけを、攻撃対象として破壊するなど、スジを通しておけばよかった。
超能力なども使わない、もう少し常識のある謎のスパイのような人物に描けばよかっただろう。
ナルは、スカブを守ろうとするのはいい。しかし狂信者のリーダーに祭り上げるのはダメだ。
ナルは後で、スカブはけして人に幸福をもたらさないと、それでも共生すべきかどうか、
スカブのエウレカと対話し、和解する必要があった。
「エウレカ、邪魔よ!」などと言っていてはダメだったのだ。
ナルもトゥルースも、最初から自分の目的を明確にして、アオと対立しても、時には味方になるなど、
もっと柔軟に転身できるキャラにしておくべきだ。
ナルとトゥルースが逢引したり、互いに操ったりなど、もってのほかだ。
そういうメンタリティを持たせると、もう修正はきかない。 一言で言えば、AOの脚本家の性格が悪趣味だった、ということに尽きる。
人格攻撃などあまりしたくないが、脚本家のセンスがどうしても脚本に投影されてしまうものだ。
トゥルースが暴れまくる7話まで脚本があがった時点で、
こいつはヤバイ、使い物にならないとクビにする必要があったのだ。
基地外トゥルースとナルをくっつけるとか、正気じゃない。どんな理由があってもだ。
アオを精神的に苦しめたいと思いついただけの話しで、
「どうせ間違った世界だから」と後で夢オチのようにチャラにできると甘い見通しを立てていたのだ。
8話でまともな脚本家が起用されたのは、スタッフの危機感が多少働いたからかもしれないな。 共感できる善玉キャラクターというのは、自分を高めようとする。
努力と根性で勝負に勝ったり、
永遠の愛や、友情を大事にしたり、
自分を裏切らず、正直に物事にぶつかっていく。
人を信じ、守ろうとする。
悪玉は、他人を貶めたり、利用しようとする。
超能力を持つ悪役は、超能力のみで相手を倒そうとし、努力などしない。
誰かを憎んだり、恨みを持ったりする。
悪意で物事を捉え、他人の善意も平気で踏みにじる。
金で相手を操ろうとしたり、脅迫めいた取引も、悪人のすることだ。
ドミニクと、アネモネの関係を見てみよう。
ドミニクは、善玉キャラだ。
軍に所属し、レントンと対立することはあっても、根っこには正義感が存在する。
アネモネを守ろうと、陰ながら尽力する。
たとえ、一方通行の愛だとしても。
アネモネは、悪玉キャラとして登場する。
最初はトゥルースのような基地外ぶりを見せるが、
無敵のトゥルースと違い、はかなさを常に感じさせる。
ナルがトゥルースに接近したように、アネモネは大佐に接近する。
しかし、大佐はけしてアネモネに特別な感情など抱いていない。”アレ”と言うだけだ。
そこが、トゥルースに守られるビッチなナルと、孤独なアネモネの大きな差だ。
アネモネの元からドミニクが去ったことで、自分を癒してくれていたのが誰だったかを悟ることになる。
アネモネは共感できる善玉キャラと生まれ変わった。 AO7話。
本家エウレカセブンのアクペリエンス(12話)を真似ようとして失敗した話し。
解析するまでもなく酷いんだけど、一応メモしておく。
根本的にダメな原因は、脚本家自身が、今のシーンがどういう状況で、
この後のシーンがどういう状況で、さらにその後、どういうシーンになるべきかをまるで理解してないこと。
だから、どうしたら話が盛り上がるかがわからず、脚本がいきあたりばったりなのだ。
構成に、なんの計画性もない。
まず、トゥルース登場のしかたに、目を疑いました。とても今時のアニメとは思えません。
指鉄砲で爆発起す、変幻自在の無敵キャラということを見せてますが、
”変幻自在の無敵キャラ”という時点で無理です。
面白くなる要素ゼロなんです。
他のアニメ、映画で、変幻自在の無敵キャラの悪役っていないでしょ?
大昔に、何作かはそういう悪役が登場した作品はあるでしょう。
でも、話が盛り上がらないために、多くの作品では採用されませんでした。そういうことです。
そういうキャラ設定するほうも変だし、企画会議で通すスタッフもどうかしてます。
”変幻自在の無敵キャラ”には致命的欠陥があります。
超能力を使えば、すぐに目的を果たせるはずなのに、なぜしない?という、無駄な説明が必要になります。
弱点がなければ、ドラマは生まれません。スーパーマンにすら、クリプトナイトという弱点が設定されています。
変装の名人というだけなら、ルパンやX-MENなど存在しますが、他の超能力など使いません。
空も飛ばないし、銃で撃たれたら怪我をします。行動が抑制されるので、ドラマを作ることができます。
”変幻自在の無敵キャラ”を登場させてしまうのは、ドラマを盛り上げるということを知らない作家だけです。 AO7話。
トゥルース襲撃の戦闘シーン。とにかく、各キャラの台詞がだらしない。
侵入者がゲートで爆発起してるのに、警備員がのこのこ出てきて「何者だ」は無いわ。
そこは直ちに非常警報を鳴らし、状況を各部署に伝達、
侵入者に向けて「止まれ! 武器を捨て、地面に伏せろ!」だろ。
イビチャが、アオとエレナに侵入者の連絡をして、待機するように伝える。
すると、アオとエレナは他人事のように、「男子の部屋で?」「勝手に入ってきたくせに!」とか呑気なことを言う。
エレナは、警報が鳴ってるはずなのに歌いながら着替え中。
報告を受けたブランは、特に気にする様子も無く、直ちに部下に指示を出すこともしない。
副社長は、侵入者の対応より、ゲネラシオンブルの秘密を守ることと本部を破棄することしか考えてない。
ミラーをシェルターに誘うバンドメンバーの緊迫感の無さ。
ミラーの前にトゥルースが現れ、警備隊がかけつけも「ミラーさんですよね?ファンなんです」「どおも」とかドルオタの私語。
ガゼルがよっぱらってゲロを吐いてるとトゥルース登場。「あんた何してんだ?」と間抜けな台詞。
ハゲメカニックが、「米軍が取り返しにきたのか?」と、状況を飲み込めてない台詞を言う。
ろくに情報伝達もされてないのか?と、組織の緩さにガッカリする。
トゥルースの目的は不明のまま、社長と副社長が、敵の目的は上だ下だのと対立を始める。
ゲネラシオンブルに侵入者が現れたら、社長以下どういう指示系統で、各部署がどう反応するか、
キビキビした緊張感をかっこよく描くところじゃないの?
「なんか、警報なってるけど、俺には関係ねえや。」的なペーソスを描きたかったの?
で、トゥルースの目的が曖昧だから、トゥルースが目的を果たしたのか諦めたのか変更したのか止めたのかもわからないし、
社長と副社長が喧嘩してても、どっちが一枚上手かすらも描けてない。
登場するキャラの、誰を見ても、カッコイイわけじゃないし、魅力的に描けてないってことなんだよ。
せめて最期にイビチャに「侵入者は、エウレカの子のアオに、どんな関心があったのか?」くらいは言わせて、今回の話を総括してくれよ。 本家エウレカセブン12話の月光号の戦闘場面は、緊迫感ありありなのに、
AO7話のトゥルース襲撃シーンは緊張感が何も無い。
視聴時間は同じのはずなのに、本家のほうが10倍くらい密度が濃い。
ケンゴーがギジェットを叱るシーンの、
「”でも”と、”だって”は、要らん!」という台詞も、コミカルながら、
戦闘中の緊張感をきちんと演出してる。
月光号各メンバーは自分の仕事を的確にこなしてるし、
ホランドは、イズモ艦との対決で頼もしいリーダーぶりを発揮してる。
ゾーンの中に消えるニルバーシュを目で追うヒルダの一瞬の沈黙の横顔とかしびれますよ。
カッコイイですよね。
AO7話に、そういう、キャラを引き立たせるカッコイイシーンってありましたか?
無いですよね。そういうことなんですよ。
さらに言うとね、本家エウレカセブン12話で、
ゾーンの中に消えた2機のニルバーシュ(ジエンド)を、レーダーでモニターするシーンがあるでしょ。
ゾーンの中で何が起きてるのか、ニルバーシュは無事なのか、視聴者は固唾を呑みますよね。
AO7話では、トゥルースとアオの生体反応をモニターして、
格納庫に侵入者が接近していくことを司令室が確認した段階で、
社長の号令でニルバーシュの緊急発進を指示するとか、盛り上げ方ってあると思いますが、
社長は副社長とぐだぐだ話してて、ハゲメカニックはレベッカと無駄な言い争いとか、
トゥルースがアオの目の前に現れたにも関わらず、レベッカがすぐに銃を発砲するでもなくやられるとか、
そんなダラダラした演出おかしいですよね?
社長のスクランブル要請を受けて、ハゲメカニックが直ちにニルバーシュを発進準備、
突然格納庫で爆発が起き、進入者に対してレベッカは躊躇無く発砲するも、
煙でトゥルースの居場所は見えず、気が付けばニルバーシュの目の前に、というノリでしょう。 アオと一緒に、フレアとエレナもスクランブルがかかってるはずなのに、なんで格納庫にいないの?
これも、脚本家の頭には、ここで「アオとトゥルースを出会わせる」ということしかなくて、
格納庫を舞台にしてるなら、そばにイビチャもフレアとエレナも居るはずだ、という状況を忘れてるんですよね。
いきあたりばったりってのは、こういうことなんですよ。
全てが、「今、こういう状況なら、こうなるはずだ」というのを忘れて、
アオとトゥルースの台詞だけしか考えてないから、盛り上がる場面も盛り上がらず、
全てがダラダラと中途半端な思いつきの台詞の羅列だけで終わってる。
アオの近くでフレアとエレナもスクランブル待機させて、ちょっとした台詞を言わせるだけで、場面はより緊迫度を増す。
--------------------------------------------------
アオ「本部でスクランブルなんて、よくあるんですか?」
フレア「今まで一度も……。 アオ、これは訓練じゃない。油断しないで!」
レベッカ「フレア、エレナはどうしたの? 一緒じゃ無かったの?」
エレナ「ごめん、おくれたぁ」
イビチャ「エレナ、遅いぞ! 言い訳は後で聞く! 早く乗れ!」
(トゥルース登場)
アオ「誰だ?」
フレア「格納庫に侵入者現れました! アオが危険です! 発砲許可願います!」
エレナ「アオに当てたらだめよぉ!」
アオ「出ます!……は?」
(飛行するニルバーシュにとりついてるトゥルース)
トゥルース「この機体を探していた。」
アオ「おまえ、ニルバーシュから降りろ!」
トゥルース「ニルバーシュと言うのか……あの女の乗っていた機体。」
アオ「あの女って、母さんを知ってるのか?」
トゥルース「この機体を動かせるおまえこそ、この世界に何をもたらす存在だ?」
(Bパートへ)
--------------------------------------------------
トゥルースの当初の目的がニルバーシュだと明かしてから、搭乗者のアオに興味を向かせること。
なにが、「やっぱりお前か、ずっと会いたかった」だ。無意味な台詞を書くなボケ。 AO7話Bパート
冒頭、ゲネラシオンブルの破壊された箇所は修繕中。チーム・ゴルディロックスが復帰。
クロエが「アオは?」と尋ねる。
ブランが意味ありげに「フカイアオは……」と答えると暗転して舞台は沖縄に。
---------------------------------------------------------------------------
Aパートで戦闘中だったのに、トゥルースとアオはどうなったの?と、
視聴者は気になってるのに、おかまいなく、
この脚本家は、「あれから数日後」みたいな感じで沖縄に場所を移し、
ガゼルやアオは、休暇で沖縄に戻ってきてますよ、というようなミスリードを誘おうとしている。
まず、さっきまで戦闘中だったのに、「あれから数日後」とかってやっても、
視聴者は納得いかないんで、そこからさらにミスリードを誘おうとしても視聴者は乗ってこないと思いますよ?
わけわからん話しが始まった、つまんないアニメ、としか思わないでしょう。
ここでは奇妙な体験を視聴者に味わってもらうことがテーマですが、
視聴者を困惑させることと混同してはいけません。
本家エウレカセブン12話では、レントンはゾーンで奇妙な体験をしますが、
視聴者にはそれが、ゾーンの中に飛び込んだレントンの夢であることは、確実にわかっています。
ニルバーシュがゾーンに飛び込んでから、レントンの夢までずっとシーンは繋がっています。
だから、視聴者も、これはゾーンの中の夢なんだとわかります。
わからせないようにする理由などありません。
ここは単純に、Aパートに続いて、トゥルースを乗せたニルバーシュが森に墜落、
アオの後を追って飛び出したフレアが「アオ? どこに居るの? 応答して!」と、必死に森の上を捜索。
ゲオルグ「アオの生体反応が低下しています。危険な状態にあると思われます。」
フレア「アオー!!」
と、ここまで見せた後、暗転して沖縄のシーンに行くのがベターでしょう。
Q「それじゃあ、視聴者は、沖縄のシーンがすぐ夢の中の出来事だってわかっちゃうじゃないですか?」
A「はい。かまいません。何か問題がありますか?」 沖縄で、トゥルースは、アオに化けてナルを誘います。
もしかしたら、それをやりたくてトゥルースを変幻自在なキャラに設定したかったのかもしれません。
しかし、夢の中という前提なら、どんなキャラでも別のキャラに化けることは問題ありません。
わざわざ現実でもトゥルースを変幻自在なキャラに設定しなければならない必然性などありません。
で。
なんだかんだで、ナルはトゥルースの誘いにのって、アオから離れていきます。
目が覚めたアオは、夢だったと安堵するところですが、
すかさず、沖縄でナルが行方不明になった事件を聞かされショックを受けます。
てゆーか。この話し、なんにも面白くないですよね? チーム名にもなってる「パイドパイパー」ですが、
これは有名な「ハーメルンの笛吹き男」のもじりということです。
史実をもとにした伝承らしく、このような事件があったそうです。
----------------------------------------------------------
ハーメルンの子供たちが、笛吹き男にさらわれました。
おわり。
----------------------------------------------------------
AO7話が、まさにコレなんです。
これは、ストーリーテリングとしては欠陥があって、
「なぜ、笛吹き男は子供たちをさらったのか?」
「その後、どうなったのか?」
が、語られていません。
「ハーメルンの笛吹き男」は、その後、物語性を持って伝承されていきました。
----------------------------------------------------------
ネズミの害に困ってるハーメルンの街に、笛吹き男がやってきました。
報酬と引き換えにネズミを退治すると市長と約束し、笛吹き男はネズミを退治しました。
でも、市長は約束を守らず、笛吹き男を追い出しました。そして数日後。
ハーメルンの子供たちが、笛吹き男にさらわれました。
おわり。
----------------------------------------------------------
トゥルースは、ナルを誘った理由として「面白い」とだけ言いました。
それはそれでいいのですが、まだ、ストーリーとしては終わっていません。
問題は、「その後」です。 現代の作家は、現代のストーリーテリングに則り、
「ハーメルンの笛吹き男」に、なんとかオチをつけようと努力しました。
----------------------------------------------------------
例1
ハーメルンの街の人は、自分達が悪かったと反省しました。
すると、子供たちは開放され、また、街に帰ってきました。
例2
ハーメルンの街の大人達は、悪い人ばかりでした。
街を出た子供たちは、自分達でより良い街を作り、みんなで幸せに暮らしました。
----------------------------------------------------------
おおむね、街の人を戒めるために、笛吹き男は子供をさらった、という構図は昔から変わりません。
街の人が改心して子供たちがそれを了承するか、子供たちが自ら良い大人になるか、の違いです。
ここで、笛吹き男が善人か悪人かは、大きな問題にはなりません。
残された街の人がどう考えるか?街を出た子供たちがどう考えるか?です。
ナルは例2のパターンです。
人間とスカブの共生という、よりよい世界を求めて、トゥルースの誘いに乗りました。
もし、アオがナルに酷いことをしていたなら、アオがナルに謝ることで、ナルが戻ってきたかもしれませんが、
アオは、ナルに謝るようなことを何もしてないので、例1のような結末にはなりえません。
結局、ナルはアオの元を去って、2度と戻りません。 単純に、悪い奴にナルがさらわれたなら、助ければいいだけの話しです。
しかし、ナルが自分からトゥルースについていったため、助けにいけばいいという話しにはなりません。
子供がいなくなったハーメルンの街の人は、自らを反省することは出来ますが、
アオは、自分は何も悪くもないのに、苦渋を舐める立場になってしまいました。
アオの心の傷をどう癒すか?が、AO7話のアオに必要なものです。
アオを癒せるのは、ナルにかわる身近な理解者の存在です。
>>27のように、フレアがその立場として、機能すべきでしたが、何もしませんでした。
さらには、AO23話で、ナルは間違っていたという結論を提示しました。
「笛吹き男についていった子供たちは間違っていた」と、ハーメルンの街の人が結論を下したと同じことです。
そこには何も寓話はありません。
だから、面白くないわけです。 本家エウレカセブン12話の出来の良いところは、一言で語りつくせない。
脚本も演出も何もかもが素晴らしい。
コーラリアン雲の周囲では物理法則が変わるという設定も、
ビームが曲がる描写で的確に説明、それを利用しての攻撃、反撃と、
戦闘の緊迫感に溶け込んでいるので、設定を説明されてる感じが全くしない。
人間ドラマも幾重も重なって、一瞬の隙も無い。
レントンが目を覚ますときでも、エウレカに手を引かれて「一緒に帰ろう」と言われて帰る。
目を覚ますと、コンパクドライブを掴むレントンの手にエウレカの手を添えている。
どこから見ても非の打ち所が全く無い終わり方。
こういうシーンを見ると、視聴者は、また次回も見たいと思うでしょう。
AO7話の、ナルが変な男に連れさられ、アオが悲痛の叫びを上げて終わるだけって、
視聴者にとっては、こんなアニメ早く忘れて、他の面白いアニメ見ようとしか思わないでしょう。 AO7話の脚本家が、ただのド素人だったらまだ救いはあるが、
あえて視聴者を不快にさせようという魂胆があったとしたら、いよいよ救いようが無い。
ラストの台詞が非常にひっかかる。
-------------------------------------------------------------------
ナカムラ(日本軍が手に入れたニルバーシュをゲネラシオンブルに奪われたので)「嫌がらせでもしますか?」
連合軍大佐「ゲネラシオンブル本社地下には、まだアレがある模様です。」
-------------------------------------------------------------------
「いやがらせ」という単語がぽんと出てくるということは、脚本家の頭にそれがあるということ。
今回は、視聴者に対して確信犯的にいやがらせをしたかったんじゃないかと勘ぐってしまう。
視聴者にいやがらせをしても、脚本を書いてる自分は楽しいものだから、
こういうアニメを見たら視聴者も楽しいだろうと勘違いしたのかもしれない。
かなり深刻な病気を疑う。
連合軍大佐の台詞は、ストレートに言えば「アオやニルバーシュには興味無い」という意味。
本来なら、ゲネラシオンブルに潜入したスパイは、
エウレカの子であるアオの潜在能力の秘密とか、
ニルバーシュの戦闘能力、サードエンジンの性能について調べて報告するべきなのだ。
それがあれば、アオもすこしは主人公として救われるだろう。
それをしないということは、視聴者に対して「アオやニルバーシュには興味持たなくていいよ」=「本作品の否定」ということ。
本作品を、面白いアニメとして盛り上げるつもりは、ハナからありませんと、そう脚本家は漏らしてるわけです。 面白いアニメを作ろうとしたら、視聴者の関心をどこに向けさせるか考えるべき。
視聴者の関心を得たいと思えば、それは簡単にできる。
なにかにつけて主人公を話題にして、主人公を中心にドラマを作り、
主人公を明るく、力強く振舞わせ、輝かせる。
脇役には敵味方関係なく、「あいつはスゴイ」などと、主人公の存在を噂すればいい。
すると、視聴者の頭に自然に刷り込まれるから、
「このアニメの主人公はすごい」=「このアニメは面白いかもしれない」と感じるようになる。
逆に、主人公の悪口ばっかり言わせたり、無視したり、主人公がつまんなさそうな顔ばっかりしてると、
視聴者も「この主人公、つまんないな」=「このアニメ面白くないな」と感じるようになる。
初代エウレカセブンでも、初めの頃のレントンは、あまりカッコよくは描かれていない。
非常に危ない橋を渡っていたと思うが、
レントンのモノローグの多用で、レントンの存在感を印象付けアピールしてる。
本家エウレカセブン7話のラストでは、
エウレカに「レントンはすごいね」と言わせて、
レントンをカッコ悪く描いたことの埋め合わせをしている。
これが計算された上手い脚本なのだ。
アオの場合は、モノローグで自分を鼓舞しようとしないし、
クロエに「ド新人」と呼ばれるなど、他のキャラから舐められてばかりで、褒められることはほとんどない。
アオを、普通の少年として描くことには成功してるが、
フレアやエレナのピンチをアオが救うといった王子様的な魅力は無い。
レントンには、それがあった。 AO7話のラストでは、アオをダウンさせて、
さらに、日本軍や連合軍のシーンを追加している。
このようなことをすると、視聴者の関心は、アオからどんどん離れていく。
本家エウレカセブンでも、ラストで、レントン側の視点ではなく、
デューイが陰謀をめぐらすなどのシーンで終わる回がある。
その本編の中身を見てみよう。
4話−レントンがゲッコースティトを理解していく−デューイ初登場
10話−無重力バンザイ〜物思うレントンとエウレカの笑顔−アネモネ初登場
14話−レントンとドミニクが、エウレカとアネモネを救うために奔走−ドミニクがレントンに関心を持つ
22話−レントンがチャールズ夫妻を出会い、気持ちが安らぐ話し−ドミニクの偵察
23話−レントンの試練−エウレカ「レントンに会いたい」エンド
24話−レントンの決断−エウレカ「レントンに会いに行きたい」エンド
26話−レントンとエウレカのモーニング・グローリー−チャールズの逆襲の予感
16話〜21話の鬱展開中は、ラストで敵の動向を見せることは無い。
こうして見ると、本編とエピローグのバランスが絶妙に計算されていることがわかる。
ラストでレントンを出さない場合、なるべく本編では明るい話しで締め様としている。
鬱展開中は、ラストでレントンとエウレカ以外に注目させないようにしている。
レントンが月光号を離れているときは、エウレカを使ってレントンの名を呼ぶ。
AO7話で、アオをダウンさせたあと、日本軍や連合軍を出して視聴者の視点を分散させたことが、
いかに愚かしい行為か、まともな人なら理解できることでしょう。 AO11話は、AO7話に続いて酷い。
詳しく解析するために、視聴しなおすのも苦痛なんだけど、
ちゃんとダメなところを指摘しないと、ただ感情的にいちゃもんつけてるだけみたいに思われてもアレだから、
ちゃんとダメ出しするよ。
まず、ミラーの件。
ミラーはエレナに殺されてるのに、ミラー本人のドラマが何も無い。
ここで、どういうミラーのドラマが必要だったかは>>62-64で指摘した。
ミラー個人の人格を無視してはいけない。
で、7話のミラーは、時系列で言えば、エレナの変装だったんだろうけど、
すると本物のミラーがスパイ活動していたという実態が本編で何も描写されてないことになる。
台詞だけで、ミラーがスパイだったと説明してるだけ。
最低限、ミラーがスパイ活動をしていたのを、かエレナが知るというエピソードは必要。
ここで必要なのは、客観性ね。
ミラーを殺したエレナだが、その重大性を指摘する第三者が誰もいない。
エレナ本人が、18話で「私がミラーを殺した」と白状してるが、
殺人についても、スパイ活動を継続したことについても、それに釣り合う罰をエレナは受けてもいない。
「エレナは、そういう不思議キャラ」という記号として殺人を軽く扱ってる。
「命」を軽くみている。 ここで問われるのは、脚本家の倫理感である。
アオやフレアは、敵であっても生身の人間を平気で殺すようなキャラではない。
エレナだけが、人だって殺しちゃう頭のおかしいキャラなのだ。
で、唯一の罰が、フレアにビンタをくらったことですか?
命の重さと釣り合わないですよね?
脚本家に、まともな倫理感が無いと、殺人者としてのエレナの苦悩も描けないし、
協調性が無いと、殺されたミラーの立場を思い測ることもできないし、
社会通念が無ければ、エレナが相応の罰を受けなければならないということも、見落としてしまう。
その他、一切の人間ドラマを描くことは不可能。
だから、この脚本家は頭がおかしいと>>30で指摘しました。何か文句ある? 初代エウレカセブンというのは、
エウレカとレントンのラブストーリーとしても十分見ごたえがあるのだけど、
登場するキャラの人間性がとても豊かなことも見逃せない魅力になっている。
ギャグで笑いを誘うことはあっても、人間性を疑うようなキャラは一人もいません。
デューイであっても、そういう人物ということで存在感があります。
「こういう状況におかれたら、このキャラは、このように発言し、行動する」ということが、
少しのブレも無く描かれている。
だから、そこに生まれる人間ドラマが自然なのだ。
設定の説明をしていても、ドラマの中に溶け込んでいるので設定の説明を聞いてる感じがしないのだ。
AO3話でレベッカが「カラオケを歌って帰る」とか、
何が面白いと思ってそのシーンを作ろうと思ったのかまるで理解できない。
前後の状況と全くつながらないし。
他にも、AO3話は、人間性を疑うキャラのオンパレード。
脚本を作るのがヘタクソで、上手くストーリーが作れないのなら、まだいい。勉強していただければいいのだ。
キャラの人間性もキチンと描けないようでは問題だ。脚本家の人間性が疑わしいからだ。 脚本家の頭に、「このキャラの人格を大切にしよう」という発想が無いから、
キャラの性格を壊すことも、罪悪感を感じることなく軽く出来てしまう。
一時的にキャラを狂わせてドラマを作るという手法はある。
知ってる人は知ってると思うが「謎の円盤UFO 謎の発狂石」もキャラが狂う話しだ。
おそらく、脚本家もそれをモトネタにして、AO11話を作ったことだろう。
キャラが壊れるシーンを作るのは面白い。しかし最期におとしまえをつけなければいけない。
自分を見失って暴れていたキャラが、正気に戻り、自分のしたことの責任という現実を見つめつつ、
任務に復帰するまでが、一連のドラマとなる。
AO11話は、ただ、キャラを壊して遊ぼうとしてるだけ。
誰も責任を感じず、任務に復帰するという描写も無い。
「狂ったのは微粒子のせいだから、自分は関係ないよ。自分も被害者だから、責任取る必要もないよ。」
という結論を、AO11話で出している。
脚本家に少しの人間性、責任感があれば、このようなシナリオにはならない。
エレナはしれっと、他人のフリをしてるし、
アオは、自分の身に何がおきてたかということも、認識していない。主人公だろがおまえ? AO11話のような話しの場合、テーマとなるのは、
「自分の失態と、責任の痛感、罪の意識を乗り越えての成長」
本家エウレカセブンの、
レントンが戦闘で殺人を意識し、人格が壊れた20話から26話がそれにあたる。
もっとも、本家エウレカセブンの脚本は神の領域なので、真似しろというのは酷だ。
少なくともAO11話の中で、狂ったキャラがそれぞれ自省するようなシーンを作るべきだった。
難しいことは何もない。
クロエ達は、ブルーノの写真をただ無言で見つめているだけでいいし、
フレアは、ベッドに横たわり、お腹をさするだけでいい。
エレナは、あの場面でもいいが、そでの下にリストカットの傷跡でも見せれば、
それが罪の意識の象徴となり、ドラマとして成立する。
アオの幻覚が一番酷い。
エレナに微粒子うつされてエレナに誘われてついていき、ぐだぐだのまま車外に放り出されただけ。
アオは、様子がおかしいエレナを呼び止めようとして、微粒子をうつされたほうが、まだマシだ。
あとはエウレカの幻覚を見て、「違う、母さんじゃない!」と正気に戻り、それを受けて、
エレナも正気(というかミラーを敵のスパイと認識する)に戻るという流れだろう。 幻覚を見るネタというのは、シナリオの作法においては、
キャラの自責の念の投影ということになる。
何か考え事をして、落ち込み、ストレスを感じてる時が、幻覚を見るトリガーになる。
だから、楽しい時に、楽しすぎて幻覚を見ることはない。怒っている時も見ない。
なので、ブルーノの死に直面したチーム・ゴルディロックスや、
母親を亡くしたフレア、ミラーを殺したエレナが幻覚を見るのは正しい。
しかし、アオは、この段階で自責の念などなく、ナルをさらったトゥルースを憎んでるだけ。
だから、幻覚を見るような条件が整っていない。
アオの幻覚には説得力が無い。
AO11話までに、何かアオに自責の念を抱かせるようなエピソードが必要だった。
アオにはそれが無いので、ぐだぐだな幻覚になってしまっている。
アオがナルに心無い言葉をぶつけて、すれ違いの喧嘩をして仲直りできないまま、
ナルはトゥルースになびいていった、というシナリオなら、まだなんとかなっただろう。
そして幻覚を見たアオが自分の問題を直視し、成長するまでが、
一連のシークエンスとして、11話で完結していなくてはいけない。 ガゼルが、エレナとミラーが同一人物じゃないかと調べているが、
これが、大いにピントがずれてて変なのだ。
エレナとミラーが同一人物かどうかなんてのは、
ガゼルが社長に資金を仰いでまで調べなければいけないことではない。
ゲネラシオンブル内に居るのだから、二人をすぐ呼び出すだけで結果がわかる話だ。
社長が「ミラーとエレナが同一人物とは信じられない。」なんて台詞をごちゃごちゃ言っているが、
それは当然だ。視聴者だってそう思うだろう。それ以前にどうでもいい話題だ。
社長がガゼルの調査を拒む場合、
”エレナがミラーのふりしてスパイ活動をしていることを、社長は承知して泳がせている。”
というシナリオの伏線となりうるが、現状のストーリー上、何の意味も無い。
また、現状だと、ミラーが本当にスパイだったかどうかは、
客観的にゲネラシオンブルの人間は誰も知らないということになる。
ガゼルは、「ミラーは敵のスパイではないか?」と疑って調査を開始するのがスジではないか?
そして、ミラーが連合国軍と接触していた事実をガゼルが掴み、社長に報告するも、
「すでにミラーは灰になった」と伝えられ、調査は打ち切りになる。
ガゼルは調査結果を握りつぶし、
「ミラーはスパイなんかじゃなかった。俺達の歌姫さ。それでいいじゃないか。」と、つぶやく。
こうすれば多少ガゼルにもドラマが生まれる。 ミラーはゲネラシオンブルに招かれて大人気だったという設定なのに、
ミラーが死んでも誰も悲しんでないって、おかしいんだよ。
ミラーは、エレナの不思議ちゃん属性の、単なる記号でしかない。
人間の感情を無視して、話が進んでいくから、
何が起こってるのかさっぱりわからない、変なアニメになってしまってる。
エレナが「敵のスパイが潜入しました」ってミラー(微粒子)の乗った車を撃ってるけど、
ここ、どういう感情で見たらいいの?
劇中のミラーは、殺されるほどの悪いこと何もしてないよね?
ミラーはエレナと話してただけなのに、
エレナのほうが急にミラーに掴みかかって、「わたしは誰?」って言われても、ミラーは困ってるだけじゃん。
で、いきなり、「敵です!」で殺すのは無いわー。
もっとちゃんとミラーのドラマを作れよ。 ナルの位置づけについて。
全体を通して見てから、改めてナルがこのストーリーでどう機能していたか検証してみる。
-------------------------------------------------------------------
ナルは、アオの幼馴染。
10年前のスカブバーストで、ウミキョンチュに助けられた。(と、思ってる)
同時に呼吸器疾患に陥った。(スカブのせいとは思ってない?)
ナルは、アオがゲネラシオンブルに就職したのを見て、自分も飛びたいと思う。
トゥルースと出会って、騙されるフリをして、トゥルースを導いて世界を変えたいと思う。
スカブとの対話で、スカブとの共生を目指す決意をする。
医者から、ナルはスカブに寄生されて、トラパーが濃いと死ぬと教えられるが信じない。
スカブを守るため、トゥルースの力を与えようとスカブに与えるが、トゥルースに拒否されて攻撃される。
トゥルースのいない別時空では、スカブを守ろうとしてアオに攻撃される。
ナルは、アオが新しい彼女ばかりつくるので嫉妬してる。
そんなナルだが、アオからは、「大切な人」と思われている。
アオはナルを助けるため、アオの親子喧嘩の原因になる。
-------------------------------------------------------------------
これが、ナルのストーリーなんですよね?
最期まで主人公の気持ちを一切考えないヒロイン(?)って、見たこと無いんですが。
普通は、主人公の気持ちを理解して、「私のために争わないで」くらいは言うものなんですがね。 では、アオの理解者というのは存在するのか?
アオの気持ちをまっすぐに受け止めて、アオと一緒に行動すると決めたキャラはいるのか?
フレアがそこに一番近い存在のはずだったのだが。フレアの気持ちはこんな感じ。
-------------------------------------------------------------------------
アオは年下で幼馴染を気にしてるので男と見てない。
呼び捨てにされるのを嫌う。
アオが成層圏から墜落しそうなときは、なんとかしてよと、パパに懇願。
エウレカが現れたことが、何故か気に入らない。
アオがエウレカを未来に返そうとするのを、止めようとする。
エウレカが現れてから、アオがおかしくなった、と思う。
アオが、クォーツガンで世界を変えてしまったことを信じない。
アオが連合軍に寝返ったけど、気にしなかったので、エレナに説教される。
エレナがアオの本心を確かめるが、フレアは自分からアオの気持ちを確かめようとはしない。
社長は、娘のフレアが行動を起したと思って、会社をフレアに譲って、トゥルースを殺そうとして死ぬ。で、アオの胸で悲しむフレア。
社長になったフレアは、アオがトゥルースとバトルしても見てるだけ。
アオがエウレカのところに行こうとすると、涙目で止めようとするが、思いは届かない。
-------------------------------------------------------------------------
これが、フレアのストーリーなんですよね?
最期まで主人公と気持ちを通わせないヒロイン(?)って、見たこと無いんですが。
普通は、主人公の気持ちを理解して、「アオと一緒なら、死んでもいい」くらいは言うものなんですがね。 エレナのストーリーはこんな感じ。
---------------------------------------------------------------------------------
エウレカに抱かれて、月にハートマークのある不思議な世界を見る。(記憶はここから)
エウレカに岸辺に捨てられた事を恨んで、月にハートマークのある世界に戻りたいと思う。
身分証をひろって「エレナ・ピープルズ」になる。
孤児院で育つ。(たぶん、アニメばっかり見て過ごす。)
ゲネラシオンブルに保護されて訓練を受ける。
新入りのアオには興味がなさそう。
自分とよく似てるミラーにいいがかりをつけて殺す。
幻覚を見たエレナは、ミラーがスパイだと言って、もう一度殺す。
エウレカが来たと知るが、腹が立つだけ。
クォーツガンが世界を変えると知ったエレナは、アオの理解者を自認して接近。
アオが連合軍に行っても普段通りの生活。
エレナとミラーの墓を作って、フレアと話すきっかけが欲しかったのに無視されて逆切れ。
腹立ちまぎれにアオを連れ戻しに行く。
アオにクォーツガンを撃って欲しいと頼むが断られたので、脱走して連合軍に加わる。
唐突にエウレカに真実を告げられ、ショックを受ける。
エウレカ親子にバカにされ、アオを威嚇して、アオにクォーツガンを撃たせようとする。
実はアオが好きだったと自分の気持ちに気が付くも、思いは届かない。
再度エウレカが出現するも、まだ、エウレカを恨んでて困らせる。
フレアがアオの後を追いかけるが、もうどうでもいい。
---------------------------------------------------------------------------------
基地外キャラなりに、わかりやすいキャラとは言えるが、ラストで成長が見られない。
AO23話でエウレカと再会した時など、まだ憎まれ口をたたくのはおかしい。
エレナはエウレカに感謝すべきだった。「この世界に連れてきてありがとう。アオと出会えたから。」
ストーリーを通して、キャラがどう成長したか、「思い」を描かないと、視聴者の心には届かない。 アオのストーリーはこんな感じ。
---------------------------------------------------------------------------------
母さんと会いたい。父さんと会ったら、殴ってやる。
(なんだかんだで、宣言通りに父さんとバトル。)
レントン「おまえのためだから」
アオ「ありがた迷惑だから」
(アオは両親を未来に帰して、世界をリセット)
---------------------------------------------------------------------------------
アオは、最期まで父親の意向を汲まずに、我を通して対決しただけなんですよ。
で、「子供がそこまで言うなら」と、親のほうが折れただけ。
親子喧嘩のドラマとしても、面白くない。
基本的に、親が子供の心配をするのは、「孫の顔が見たいから」と思っていただいて間違いありません。
だから、ラストでは息子に彼女が出てきて、それを見た親が安心して帰る、
というのが、基本的な親子のドラマのあり方です。
すると、理想的なラストはこうなります。
アオが光の柱に飛び込んだら、フレアも続いて飛び込む。
アオを心配する両親の前で、アオはフレアのことが好きだと告白し、フレアも同じ気持ちだと答える。
レントンはフレアを見て「ちゃんと子供産めるのか?」と聞き、
気の早い話に慌てるアオをよそに、思わずフレアは「産めますから!」と、答える。
これで、フレアの体の問題も解決する。 一応、話題にしておくか。
AO7話のラストとか、AO20話のBパートで、
ゲネラシオンブル本社地下にあったの、ジエンドですよね?レプリカかも知れんが。
最初はその設定をしてて、初代ファンを釣ろうとして、
「最終話近くで、ジエンド登場か?」と期待させて裏切るいつもの作戦だったのかな?
実際に地下から現れたのは、コードネーム・カノン。
これで製作者は、「ジエンドが出てくると思ったでしょう? そんな単純な展開にはしませんよ。」と、
嘯いてるわけだ。
でも、視聴者は誰も気にしてなかっただろうな。
7話がクソつまんないから、ラストに何か出てきても、こっちはウンザリしてるだけだよ。
こっちは気にもとめてないのに、製作者は、勝手にネタを小出しにして、違うネタを持ってきて、
「どうだ、騙されだろう!」と得意げな顔をすると。
そんなんばっかりですよ。 「デウス・エクス・マキナ 」
物書きなら絶対知っておかなくてはいけない作劇手法である。
こんがらがった話を、ラストで神様が降りてきて解決するという手法。
ようは、「夢オチ」。
古代ギリシャの演劇で生まれ、すぐさま批判され、現代では完全に否定されている。
主人公がどんなに困難な状況におかれても、「夢でした」ならば、全て解決できてしまう。
それまでのストーリーを無にすることでもある。
同じように、奇抜な伏線を張っても「勘違いでした」とやれば、その伏線は失われる。
推理小説なら、「主人公が犯人」とか「主人公以外全員犯人」とか、1回しか通用しない手法も使いどころが危険。
魔法を使って、一気に都合の良い世界にするというのも、童話の世界でのみ許される。
AOの場合、この禁じ手のオンパレードなのが失笑です。
クォーツガンなんてのは、SFのふりをしてますが、ただの万能の魔法です。
クォーツガンを一度撃った時点で、歴史がどう変わるかなんて、SFならコントロールできるわけがありません。
ナルが存在しないこともありうる。
が、劇中のクォーツガンは、主人公にとってぎりぎり都合の良い世界になるようにしが世界を変えません。
トゥルースがアーキタイプになるとか、都合がよすぎるわけです。
3回目のクォーツガンで、誰も主人公を知らない世界に行くわけですが、それは、「夢オチ」と、意味は同じです。
今までのストーリーで起きた問題が、何も解決されてないわけですからね。
「目が覚めたら世界が変貌した=夢でした」
AOそのものが、悪い夢だったと、忘れるしか無いでしょう。 「真実」というテーマ。
トゥルース曰く「おまえは、真実が見えてない」→自分の正体を忘れてる
エレナ曰く「なんで、知ろうとしないの?」→自分の素性を知りたくなかった
これ、一応、キャラのドラマとして成立してるんだけど、
なぜか、感動しない。
「あ、そうなの。ふーん。」で見過ごしてしまう。
なんでかなー?
と思って、理由を考えてみた。
両方とも、キャラが基地外だから、感情移入できなかった。
ということだな。キャラは大事だな。 「この世界は間違ってる」
よく、世紀末SFとかで、悪の帝国が世界を支配していて、
人民は奴隷のような暮らしをして、人々は苦しんでる様を見せる世界で、
主人公が救世主として悪と戦う、といった場合、
確かに世界は間違ってるのだろうけど、その世界観の作品そのものは不愉快ではなく、面白い。
AOは、現実社会とはちょっと設定が違ってて、確かにAOの世界観は間違った様相をしてる。
で、作品そのものは不愉快ではない、というわけではなく、AOの世界観は、ハッキリいって不愉快だ。
なぜだろう? 沖縄独立という微妙な政治ネタが絡んでるからか?
「ファイサルアラビアは反米国家だ」という設定も、カチンとくる。プロパガンダ臭が酷いというか。
純粋なフィクションとして、見れないというか、フィクションを用いた風刺ならよかったのだろうが。
政治問題を悪意を持って茶化されてるような、サブリミナルで刷り込まれているような不快感だ。
おそらく、リアルな現実社会から来た、(トゥルースみたいな基地外ではなく)まともな人物を一人設定して、
その人に「この世界はどうなってるんだ? 沖縄は独立なんてしてないのに。」と、
視聴者の立場で客観的に言わせておけば、多少マシだったかもしれない。 異世界ファンタジーでは、主人公が現実世界から異世界に飛び込んで、
おかしな世界を体験する、というのが王道だ。
やはり、現実世界を知ってるキャラを立てて、
現実世界との比較対照があって、「この世界は間違ってる」と言わせないと、
その世界の人が「この世界は間違ってる」と言ったとしても、
その世界では、何がどう間違ってるのか、視聴者は理解に苦しむということだろう。
現実に近い、パラレルワールドの異世界ファンタジーを描く場合は、
誰か、現実世界から来た人を登場させ、「この世界は、現実世界とは、こことここが違いますよ。」と、
ハッキリ説明させたほうがいいのだと思う。 エウレカを登場させてるのに、エウレカが設定を説明するだけというのも致命的。
初代エウレカセブンのエウレカとレントンは、
互いの交流で惹かれあい、人間性を深めて成長する。
AOのエウレカは、登場しても、一通り設定を説明して、終わったらさっさと居なくなってしまう。
その説明すら矛盾する。
AO13話で「シークレットは敵ではない」と言った後、AO14話でシークレットと戦うエウレカ。
AO13話の異次元エウレカが不要なのであるから、AO14話で「シークレットは敵じゃないから、戦ってはだめ」と言えば済むこと。
AO14話は、エウレカを未来に返すドラマなわけだが、
誰が脚本書いても、もっと盛り上がる話しに出来ただろう。
あそこまでつまらなくできるのは、この脚本家は心底エウレカに興味が無いってことなんだろう。
まず、エウレカの返し方にしても、
「あの光の柱に飛び込めば帰れるかもしれない」→根拠なし
「この世界にエウレカがいてもいじめられるだけ」→消極的現実逃避
これっていわゆる「この世界が嫌だから、他の世界に行きたい」という、
トゥルースやエレナと同じ自殺願望と同じですよね。
脚本家に自殺願望があるのか、心がひねくれてるからキャラを輝かせて生かしておけないのか。 AO13話の引きは、アオを守るためにトゥルースと戦うエウレカの決意。
AO14話は、エウレカの活躍と、アオとエウレカのドラマを絡めてエウレカが元の世界に帰る話しになるべきだ。
ところが実際のAO14話は、エウレカのニルバーシュが敵に奪われる話だった。
ニルバーシュの奪われ方も超酷い。
ニルバーシュは自分の身を投げ打ってトゥルースと対峙したのに、そのまま敵の戦力になるとか無いわ。
むしろ、どうやったらそういうストーリーが思いつけるのか知りたい。
AO19話のブランがトゥルースと対峙したのに、トゥルースがパワーアップしただけという、それと同じ構図。
キャラが自分の身を犠牲にしたなら、死に様はかっこよく、相応の結果を出そうや。
無駄死にみたいな展開を面白いと感じるのは、脚本家の心がひねくれてるからだよ。
キャラをかっこよく描こうという意志がそもそも感じられない。
主人公をに不利な状況にどんどん追い込み、無様におろおろさせれば、
それがドラマチックな展開で面白いと勘違いしてるのだろう。 そこで、本家エウレカセブン39話のサッカー回をもう一度検証してみよう。
>>140でも、指摘したことだが。
無様にゲームに負けたゲッコースティト。
ゲーム終了後、ホランドはこう言う。
「もう一度ここへ戻って来よう。もう一度やつらと対戦しよう。誰一人欠けることなく。ゲッコースティト全員で!」
たったこれだけの台詞で、今までのおふざけがウソだったかのように、急に盛り上がるのがすごい。
いかに主人公が無様な目にあっても、最後に主人公は明日への希望を見いだすこと。
これが、盛り上がる面白いドラマ作りの基本なんだよ。
現実社会に生きる視聴者へのメッセージにもなる。
AOみたいに、無様におろおろしてるだけじゃ、視聴者へのメッセージも何も無い。
だから面白くないし、見てても時間の無駄だと思うし、見た後もすぐ忘れられてしまう。
この視聴者への熱いメッセージが作れるかどうかが、一流の脚本家かそうでないかの分かれ目なのだ。
本家エウレカセブンのサッカー回はバカにされることが多いけど、
それでもAOより遥かに面白いということがわかったろう。 AO19話でブランが死んで、AO21話でフレアが社長業をついで仕事をしている。
ここで、レベッカと、ガゼルが言う。
「父の死を無事に受け止めた?」
「ま、そうは見えるかもな。」
笑わせるよまったく。
この脚本家が無能で、フレアの心情を描写できないから、わかったような台詞で誤魔化して見ただけってのは、
こっちはお見通しなのよ。今まで延々そのパターンで手抜きの脚本書いてたでしょ。
本家エウレカセブンの45話で、
ユルゲンスがゲッコースティトと共に戦うと決意し、部下に訓示を述べるシーン。
あのユルゲンスの力強いスピーチと、それを受けてユルゲンスについていくと決めた部下達。
それと同じことがなぜ出来ない?
フレアが父の死を乗り越えたかどうかは、
フレアがゲネラシオンブルに残った社員に対して、スピーチすることで示すことが出来るのである。
「私は父を恨んでいました。だからこんなことを言う資格は無いかもしれない。
でも、父がやろうとしていた事、父がやりのこした事の全てを、
会社を引きついだ私の責任として、ゲネラシオンブルの業務を遂行していく覚悟です。
父は、世界を救い、人の命を守ることを常に考えていました。
父の人命救助への思い、その始まりは、娘の命を生かして未来を与えることでした。」 AO14話は、いきあたりばったり感がすごくて、何も評価すべき点も無いんだけど、
同じBパートの中の話しなのに、
病院で隔離されたり逮捕されたりしたナルやアオが、
なぜか埠頭まで行って、拘束具も手錠もかけられず、ふらふら歩き回るとか、手抜き以前の問題なんだよね。
そこは、誰が考えても、護送車に乗せられたままのアオやナルがいて、
ニルバーシュ(マークワン)が現れて、護送車を破壊。アオとナルは脱出。
ニルバーシュ(マークワン)に乗ってるのは誰かと思ったら、トゥルースだった。
ナルはトゥルースと共にニルバーシュ(マークワン)に乗って去る。
追いかけるアオは、埠頭に止めてあった自分のニルバーシュを奪って追撃するも間に合わず、
燃料切れになり、迎えに来たトリトン号に収容される。
ここまでは、ただの前フリで、描くべき本当のドラマはここから。
燃料を補給して、早くナルを連れ戻したいアオを、イビチャが諌める。
アオ「俺は、ナルを連れ戻すんだ!」
イビチャ「許可しない。ゲネラシオンブルに帰還する。」
アオ「ゲネラシオンブルなんて知るか! あんたは何もかも知っていて、今まで俺を利用してきたんだろ?」
レベッカ「そう思いたいなら、それでもいいわ。話しは終わり。」
フレア「アオ、辛いのはわかるけど、一人じゃ何もできないから。私じゃ、力になれないかな?」
エレナ「アオは一人ボッチじゃない。私も仲間だからね。」
ガゼル「母ちゃんを送り返したこと。俺は、おまえのこと、えらいなと思ってるんだぜ?
少しの間、離れ離れでさみしいと思うけど、また会える日が来る。そう信じるんだ。」
アオが苦境に立たされたなら、アオを支える仲間達を描いて締める。
それが人間ドラマだよ。 AO14話で、アオがエウレカや自分にまつわる秘密に気付き、ナルに逃げられて思い悩むというシークエンスは、
本家エウレカセブン21話の、レントンが人殺しをしていた真実に気付いて落ち込む話しに相当する。
で、レントンはエウレカにも拒絶されたと、思い悩んだ末に家出する。
本家エウレカセブン21話の、レントンに対してのギジェット、マシューの思いやり、
ミーシャの事務的な対応、みんなの前に現れたレントンへのハップの自然な声かけの気配り、
どのシーンも、どうということのない台詞なのに、なんでこんなにドラマが濃密なのか?
キャラひとりひとりの芝居がしっかりしてるから、何度見ても飽きないし見応えがある。
ここで視聴者は、自分が落ち込んでたら、他人からどう接してほしいか、
誰かがおちこんでたら、どう接してあげたらいいのか、いろいろ考えさせられる場面なんだよ。
その答えが、レイ・チャールズ夫妻のレントンへの接し方に現れてる。
敵であると同時に、レントンの保護者でもあり理解者でもある人物として登場させる。
こういう神がかったストーリーテリングを見せられると、いちいちコメントするのも無粋なわけで、
ただ物語に身を投じたくなる。
AO14話で、アオはそのままゲネラシオンブルを逃げ出して連合軍に合流してもよかった。
でも、軍の大佐がAO18話みたいなチンケな感じでは意味は無い。 本家エウレカセブン21話でレントンが家出したあと、
それをしったゲッコーメンバーは、レントンを探して連れ戻すか話し合う。
家出少年をどうやって連れ戻すか、思案にくれる。
結局、ホランドが連れ戻しに行くわけだが、
ここで、ホランドがそのままレイ・チャールズを見つけて、一緒にいるレントンに、
ホランド「エウレカをほっとくのか? 月光号に帰って来たくないのか?」と、レントンに問いかけ、
レントン「うん、俺はエウレカに会いたい。一緒に帰るよ、ホランド!」と、そもまま帰ったら、
何か、面白いですか?
面白くないですよね。
でも、それをやっちゃったのが、AO18話。
なぜかアオのドラマではなく、フレアとエレナの意地の張り合いがメインで、アオはダシに使われただけ。
で、ガゼルはフレアに向かって「けしかけたのは俺だ」とか、アオを蚊帳の外に置く。
この、外しっぷりは、逆に見事ですよ。 つまり、家出少年が主人公である場合は、連れ戻すのではなく、自分の意志で帰ってくるべき、というのが、
本家エウレカセブンの主張でありドラマの核。
AOでは、仲間が迎えに来たから嬉しくなって一緒に帰ったと。
AOのほうが軽いノリでドラマは明らかに薄い。
なぜかというと、主人公はアオではなく、連れ戻しに来たフレア・エレナになってしまったから。
そういう、主人公が誰だかわからないようなシナリオになった理由は、
「ゲネラシオンブルが米国空母に奇襲をかけた」として、「世界の敵になった」という展開にしたいため。
最初から決められたストーリー展開の都合で、ドラマが犠牲になったわけです。
AO14話は、その酷さが全開で現れています。
ストーリーの都合で、キャラを右往左往させるのではなく、
主人公中心のドラマ主体で、ストーリーを牽引していくようでなければならない。
それが、シナリオライターが求められるテクニックです。 本家エウレカセブン26話と、AO18話を比較すると、どこがダメなのかよくわかります。
どちらも家出した主人公が戻ってきますが、本家のほうは、最期まで主人公にスポットを当て、
レントンとエウレカの会話に、ゲッコーメンバーが聞き耳を立てているという構図。
この脚本がよく出来ている理由は、本家エウレカセブンを見てるだけでは、なかなか気がつきません。
AO18話と比較することで、ああ、なるほど、本家26話は、よく出来てるな、とわかるわけです。
AO18話は、アオが戻ってきたのに、アオには焦点を当てず、フレアに焦点を当ててしまってます。
そして、さっきまでハッピーだったのに、深刻な展開を起して終わります。
すると視聴者は、「あれ? これ、なんの話しだっけ?」と、
ストーリーを追う前に、アニメの内容が頭に残らず、簡単に記憶から忘れられてしまいます。
視聴者が気にするのは、家出したアオが戻ってきたその後のゲネラシオンブルでの立場です。
フレア「どういうこと? お咎めなしだなんて」という台詞だけで終わらせてはいけません。
アオの居場所が、ゲネラシオンブルの中にちゃんとあることを示す必要があります。
もし、AO18話のラストで、ガゼルや社長など余計なキャラを登場させず、
最低限、アオ、フレア、エレナの3人で明るくパーティでもしていれば、
もっと心地よく見られるアニメになっていたでしょう。 本家エウレカセブンのレントンの家出のプロット。
1、レントンは、居場所を無くし傷心で家出。
2、外の世界で、自分より大きな人物と出会い、傷を癒し、成長し、自分で、元の場所に戻る決意をする。
3、レントンは、エウレカを助け、自分の戦い方を示して、けじめをつける。。
4、レントンは、皆に認められ迎えられる。
AOのアオの家出のプロット。
1、アオは連合軍に包囲されたので家出。
2、フレアに対し、エレナが「アオを心配しろ」と煽って喧嘩し、勢いでエレナがアオを迎えに行く。
3、アオのいる空母に、フレアとエレナが迎えに来たので、アオは一緒に帰ろうと決めた。
4、フレアの行動が、ストーリーを動かしたことにアオはショックを受ける。
レントンは、自分の行動を自分で決めているが、
アオは自分の行動を、自分では何も決められていない。
ゲネラシオンブルに戻っても、社長はフレアを褒めるだけ。
ガゼルは、自分がストーリーを動かしたと、自分に酔ってるだけ。
主人公を立てないで、他のキャラが、「俺が俺が」とか言ってたら、やっぱダメなんだよなあ。 AO20話。
社長が死んで、ゲネラシオンブルが連合軍に包囲され、盛り上がりそうな気配なのに、何故か盛り上がらない。
ここでも、主人公は何も決断していない。
たまたま自分のスマホにゲオルグがあったので、それをコピーさせ、
地下のクォーツガンを取りに行ったまでは良いものの、
クォーツガンを連合軍に向けて撃つかどうかの決断は、アオにはできなかった。
で、無能な脚本家はどうしたかというと、空から現れたハーレクインによって、その場を収拾した。
えーとですね、これが、>>192で説明した「デウス・エクス・マキナ」の、わかりやすい例ですね。
ここで、ハーレクインは神の立場で、事態を収束させてしまった。
しかも「連合軍に寝返ったというのは、ウソでした」という、掟破りを重ねてくる。
こんなことばっかりやってるから、面白くならないんですよ。
主人公に何か決断させて、ストーリーを動かしてごらんよ。
Bパートでもアオは何もしてない。
泣き崩れるフレアに、一言も声をかけることもしないんですよ。
ありえなくない? クォーツガンを手にする前のアオは、それなりに決断してストーリーに関与していた。
しかし、クォーツガンを手にしてからは、クォーツガンを撃つ決断が出来ないまま、状況に流されていくだけ。
ドラマに有効に機能しないような武器を主人公に渡したのが間違いの元だったんだ。
クォーツガンが、「デウス・エクス・マキナ」そのものだからな。
そりゃあ、簡単には使えないだろう。
ラストで親父にクォーツガンが奪われたら、「撃つな」って言えばいいだけだから楽だよね。
べつに、主人公がクォーツガンを持ってたからって、
他のドラマで主人公を決断させるような問題を起せば盛り上がっただろう。
その、「他のドラマ」が無いのが問題なんだよ。
初代エウレカセブンで、レントン一家が単独で真の約束の地に行ったように、
アオが単独行動に走るとか、アオが何かストーリーを動かすような行動をしないと。
クォーツガンを撃ったら、世界が変わって、ストーリーが動いた、というのは、
それまでのストーリーや伏線やらをシャッフルするわけで、問題があっても無視できるから楽だよ。 主人公が決断することで、ストーリーが動く。
本家エウレカセブンのレントンは、どんな時でも決断してたな。
一番の決断は、本家エウレカセブン42話。
レントン一家が、真の約束の地へ向うさなか、
ホランドがジエンドと戦い、撃墜され、
レントンは、真の約束の地へ向かうか、ゲッコーメンバーを助けに戻るかで迷う。
皆の命か、自分達の使命か?
そして、使命を果たすことで皆の命を救うのだと、真の約束の地へ向かう決断をする。
操縦桿を握るレントンの手が、レントンの迷いを表現し、力強く握り締めたことで決断を表現するのが良い。
アオの、クォーツガンを撃つか撃たないかの決断なんて小さいよね。撃たなくても問題無いんだから。 一瞬ボットと思ってしまうが何気に楽しく読んでるぞ、頑張れ そういや、マギーというキャラが、改変前のゴルディロックスのメンバーで、
改変後の連合軍パイロットなのをさっき知った。
なんで、連合軍パイロットがゴルディロックスの幻覚見るんだよと、
文句言おうと思ったけどごめんね。
もうちょっと、わかりやすくキャラ立ててね。 初代エウレカセブンは名作であることに変わりないですが、
50話もある中で、ちょっと雑な回もあったりすることはあります。
個人的に、「アレ? 今回は錬りこみ不足だな。 スケジュールが押してたのかな?」と、
思った回としては、35話。
ホランドがデューイと対話し、デューイが勝ち誇ってるところにニルバーシュが現れるシーン。
「でも、ちょっと残念だぜ。 あんたが全然俺に追いついていないことがな。」
と、ホランドが言った直後にニルバーシュ登場。
いや、これ、演出雑ですよ。脚本は問題ないんですけどね。
これじゃ、ホランドが負け惜しみ言ったときに、偶然ニルバーシュが現れただけに見える。
ホランドは、デューイに侮辱され、(ニルバーシュはまだ来ないのか?)と焦りながら耐える。
しかしニルバーシュが必ず来ることだけは信じてる。
レントンのやつ、少し、寄り道して遅れているだけなのだと。
ここで、ニルバーシュが現れるわけですが、急に現れてはいけません。
何か「前触れ」があり、それにホランドが気付き、
「でも、ちょっと残念だぜ。 あんたが全然俺に追いついていないことがな。」
と、言わせるべきでした。
ニルバーシュが現れる「前触れ」というのは、何でもいいのです。
トラパーの風を頬に感じたとか、スカイフィッシュが1匹通りすぎたとか、そういう静かな予兆ですね。
「来た」という確信を込めて、ホランドにキメ台詞を言わせないと、ただの強がりになってしまいます。
全編通してみて、そこだけ勢いでコンテ切ったように見えてしまいました。
細かい指摘ですが、逆に、それくらいしか非の打ち所が見当たらないという。 本家エウレカセブンで、脚本、演出が飛びぬけてる回は多いですが、
26話のハッピーな回との対比で、なんともいえない絶望感をかもし出してるのが43話。
43話ラストの、エウレカとレントンの冷ややかな会話からのエウレカの体の異変。
ホランドは命がけで戦ってて、タルホに「レントン達もがんばってるはず」と言わせてからのこの展開。
酷すぎる。(褒め言葉)
ほかにも、アネモネやドミニクの失恋、デューイの過去やホランドを産んだときに母親が死んだことなど、
沈鬱なエビソードを並べていきます。
宇宙での戦闘シーンでは、逆に華やかな舞踏会の音楽をかぶせてきます。
演出がノリノリですね。
きっと、この回を担当したスタッフ全員、完璧な仕事が出来たと満足していたはずだ。
放送時には、徹夜明けの眠い目を擦りながら、
自分達の仕事ぶりに手応えを感じつつ、次の仕事に打ち込んでいたことだろう。
うん。
同じ絶望感を演出するにしてもAO14話との差はなんなんだという。
ただ酷いだけ。 本家エウレカセブン43話は、
脚本だけ見ると、デューイが延々設定を説明してるだけ。
AOの設定を説明するだけの脚本と大差無い。
AOとの差は、そこに幾重も映像でドラマをかぶせている。
AO14話は、ナルの視点で見てきたようにスカブやエウレカの説明をしてるが、
アオがナルの説明を聞いてショックを受け、ナカムラがちょっと絡んでくるだけ。
内容はぺらぺら。
エウレカセブン本家43話は、欺瞞に満ちた舞踏会、デューイの独白、宇宙のバトル、アネモネの失恋、
これら全てが、「作り物」というモチーフによってドラマチックに描かれている。
舞踏会は、音楽も出席者も寄せ集めの作り物。
デューイは、王の家系の作り物の儀式を信じて父を殺した。
アネモネは、コーラリアンに似せて作られた偽者。だから本物志向の気位の高いデューイから愛は得られない。
ホランドは、「スカブは人類の敵だ」という、作り物のスローガンを掲げる軍部・デューイと戦う。
いや、朝のアニメに、こんなに濃い内容詰め込む必要ないだろと。
半分くらいに薄まってても、十分作品の質的に文句は無いと思いますよ?
これで全部じゃなくて、他にもレントンとエウレカのドラマだってあるんですからね。
さらにドミニクが辞令をデューイから受け取り、そこに書かれてる内容から、
間接的にデューイがアネモネを見限ったことがわかる仕掛けです。
アネモネに振られたばかりのドミニクにとっては、アネモネを救うチャンスが訪れたという意味でもある。
なにこの2重3重のドラマ?
辞令を受け取った、という、たったひとつのシークエンスで、ここまでドラマを作れるものなのか。
解析するほうの身も考えて欲しいものです。 本家エウレカセブン46話でエウレカに羽根が生えます。
これに呼応するのが、AOのナルの頭の角。
両者は似ているようで非なるものです。では、比較してみましょう。
およそ、人の体から何か違うもの(羽根、角、しっぽ)が生えてるキャラというのは、
「人間ではありません」というキャラ設定を明示しています。
人間では無いゆえに、人間とどう関わるかでドラマが生まれます。
エウレカは、心は人間性を有していますが、体はスカブのまま。
羽根が生えたことで、けして人間にはなれないという過酷な現実をエウレカにつきつけました。
エウレカ本人は当然深く傷つきます。
では、羽根の生えたエウレカを、レントンはどう見るのか? どういうドラマが成立するのか?
子供たちは多少驚くかもしれませんが、レントンはあの性格ですから、もちろん何も動じることなく、
「エウレカがどんな姿になっても、君は君だ。俺はエウレカが大好きだ。」と、言うでしょう。
エウレカも、心のどこかでそれを期待してるはずです。
なので、簡単に羽根の生えたエウレカの姿をレントンに見せるようなシナリオは、いまさら書けません。
羽根の生えたエウレカを見て、レントンがどう対応するか?
ドラマチックに演出するために、逆算して、一度レントンとエウレカに溝を掘ろうとしたのが、43話ラストからの流れ。
この構成は見事としか言いようが無いです。
何がすごいかなんて、とても三行では書けません。それくらいすごいです。
レントンの「綺麗だ」の一言に、シリーズ通してどの場面よりもズッシリと重みを持たせたことに成功しています。
本家2話からレントンはエウレカを大好きだと言ってますが、重さが1千万倍以上も違います。
一方、ナルはというと、自分の頭から角が生えてても気にもとめません。
AO22話で、アオから「なんかついてるし」と指摘されると、
ナルは自分で頭から角を取り外して、ただのアクセサリーであることを示しました。
ナルは、スカブ側ではなく、さらりと、人間の側に戻ってしまったのです。
アオはリアクションすることもままならず、話をそらしたりお茶を濁したりするだけです。軽いです。 ナルが頭からひょいと角を取り外した行為。
ドラマ作りを完全に放棄したという宣言に等しい。
文法的には、「ナンセンスギャグ」の作りですね。
そこに何か深い意味があるのでは?と、視聴者に緊張感を抱かせておいて何も無いことを見せて緊張をほぐす。
視聴者、ニガ笑い。
そうか、AOはギャグだったのか。
全ては笑いをとるための前フリで、しかしギャグとしても面白く無く、ただすべってただけか。と、わかります。
これをエウレカセブンへのアンチテーゼととるなら、この監督はそうとう本家エウレカセブンが嫌いなんだな、とわかるのですが、
たぶん、何も考えて無いだけだと思いますが。
会議でも何も思いつかないときは、くだらないギャグで逃げますものね。 羽根の生えたエウレカを見て、レントンがどう対応するか?
ここで、レントンにナチュラルに「綺麗だ」と言わしめた脚本家が考えたのが以下の2点であると思われる。
”エウレカを慰めてはいけない”
”心の底から、エウレカを受け入れる”
本家29話で、「エウレカはコーラリアンだ」と、告げられたときはまだレントンに戸惑いがあった。
だが、これからは、レントンに戸惑いなど感じさせず、
エウレカといつまでも一緒にいたいと、強い愛の絆で結ばせなければいけない。
43話。レントンとエウレカの間がぎくしゃくする。
どんなに仲が良くとも、一緒に旅などするとちょっとした不満から相手に嫌味を言ってしまうことがある。
これは自然な流れだが、さらにエウレカの体に変化が現れたことを見せて追い討ちをかける。
44話。いよいよ、エウレカの体の変化が隠しきれなくなる。レントンや子供たちから驚きと困惑の目を向けられる。
体のどこかを火傷して水ぶくれを作った人なら、エウレカの気持ちがわかるだろう。
水ぶくれなんて、自分でもキモチワルイし、人には絶対見せられない。人目につく場所なら買い物にも行けなくなる。
さあ、キモチワルイ姿となったエウレカを見て、レントンはどうするか?
45話。エウレカの傷を癒そうと気遣うレントン。レントンの今までの性格なら、この行動は当たり前だ。
しかし、今のレントンは「エウレカはコーラリアンだ」ということまだ受け入れられず、エウレカを慰めようとする。
その、やりきれない悔しさから、「これで一緒だね」と、自分の腕を傷つけてしまう。
エウレカは、レントンの優しさは理解できても、このままのシナリオではまずい。子供たちとの関係はどうするか?
そこに銃を持ったモーリス登場。ついに、今まで溜め込んでいた言ってはならない暴言をエウレカに言ってしまう。
エウレカは、レントンの盾となって、自分を撃てばモーリスもエウレカが背負った同じ悲しみを負うと語る。
そして家族はひとつになる。 シナリオとしては、45話ラストで、エウレカに羽根を生やして終えても問題は無いと思う。
が、このままでは、まだツメが甘いと思ったのか、レントンを病気にさせる。なんというストイックな脚本家だ。
そう、45話は、家族が一つになったとしても、エウレカが人間ではないという問題はまだ残されたままなのだ。
”あなたの好きな人が、人間で無くてもいいのか?”
その問いの答えが、46話だ。
高熱でうなされるレントン。レントンを助けたいと思う気持ちと裏腹(?)にエウレカの体の変化が頂点に達し、
エウレカの背中から羽根が生える。呆然と見守る子供たち。
エウレカは、やっぱり自分が皆と違うことを、子供たちに詫びる。子供たちはどう答えたらいいかわからない。
嵐が強くなり、テントが飛びそうになる。エウレカが必死にテントを押さえる。
すると子供たちも一緒になってテントを押さえる。
「皆と何も変わらない」ということを、シンプルに描いている。
嵐の夜を共に生き抜くこと、高熱で生死の境をさまようこと、そしてさわやかな朝を迎えること。
これら全ての演出は、いままでのドラマで起きた軋轢の何もかもが浄化されたというサインだ。
浜辺で戯れる子供たちとエウレカの姿を、体調を戻して目覚めたレントンが見つける。
ここまでドラマを押したら「エウレカ、なんで羽根が生えてるの? やっぱりコーラリアンだから?」とか、
ごちゃごちゃした台詞は全く必要無くなる。
エウレカが人間じゃないからうんぬんかんぬんのドラマは、もう意味を消失している。
苦難を乗り越えて、同じ星に生きてる者同士だから。
羽根を生やしたエウレカをレントンに会わせた時、何の違和感も無く「綺麗」だと言わせるため、
ここまでドラマを仕込んで来た。見事というかなんというか。理論とかじゃない。神業としか表現できない。
これでもう、レントンとエウレカは離れることなく、ラストまで行くのだろうなと思ったら49話ラストだから、
本当にあなどれない脚本だ。 AO22話のアオとナルの食卓の会話が全然解析できない。この脚本家は、何が言いたくてこのシーンを作ったのか?
通常、女子が男子にご飯をあげるのは、好意の印。お弁当をつくってあげるのも同じ。ナルはアオとの関係を修復したいらしい。
それに対してアオは、ナルのよそったご飯に口をつけようとしない。外では、ナルがおかしくなったと大人達が会話。
アオはナルに「変わったよな」という。アオはもう、ナルのことが信じられず、ナルの好意を素直には受け止められない。
そんなアオの態度に、ナルは逆切れする。アオはここで自己防衛に走る。
「もう、ナルのことは興味ないから、ここで愛の告白とか止めてよね。」と、「ナルは姉さんみたいだ」と話をそらす。
ますます苛立つナル。そこにハンナママが現れ、トゥルースとの戦いにアオを招く。
それを止めるナル「まって、アオ。あなたはスカブコーラルと人から生まれたんだよ。トゥルースだって同じでしょ?」
トゥルースと一緒にされてキョトンとするアオ。
ハンナママはナルに、スカブが人に寄生して危険だと諭す。ナルは、スカブで力が与えられたと信じている。アオと対等になれると。
しかし、スカブと人は違うと線引きされ、考え込むナルを、アオは励まそうとするが、ナルは不機嫌だ。
アオはナルに言う。「おまえ、ずっと変わってないんだな」と、ナルの真意に気づいたように語りだす。
「ナルは俺を差別から守ってくれた。世界がスカブコーラルでいっぱいになれば、もう俺は差別されない。」
「だったら、わかってるよな? 俺も変わってないって。」
つまり、アオは「島の人を守るために、トゥルースと戦うよ」と言っている。アオがそういうキャラだったかはともかく。
ナルは「あんたは、トゥルースには勝てない。アーキタイプが無いから。」と、拗ねる。
アオ「ソーキじゃなくて?」と、ボケる。
家の外で覗き見する子は「チューまだかな?」と、無邪気な発言。
このシーンの意図は、ヒロインとしてアオと対等になれる見込みを失ったナルの焦燥感と世間の無理解からの絶望?
この、けだるさ感は、エウレカセブン本家47話に相当すると言えば、そうかもしれない。
もし、ダイアンがレントンの敵として戦う展開になってたとしたらと思うと恐ろしい。 ナルはアオにご飯をご馳走した。
ここで、アオと接近すれば、失われかけているヒロインの座を少しでも取り戻せるかも知れないという賭けだ。
しかし、アオの態度はそっけないものだった。ここで、アオが、
「ナルのご飯、すごくおいしいよ。じっちゃんのは酒のつまみだもんな。島に居た頃を思い出すよ。」
と、二人の思い出を語ったなら、ナルは、もっとアオに心を開けたはずだ。
ナルの角を見て、アオは、ナルがトゥルースの彼女になったと思ってる。ここで、アオが、
「ナルの決めたことなんだから、俺は反対するつもりは無いよ。」と、言えば、
ナルも、素直に、全てはアオのためだという理由を告白できただろう。
トゥルースと戦いに行くアオを止めようと、ナルがアオに言う。
「まって、アオ。あなたはスカブコーラルと人から生まれたんだよ。トゥルースだって同じでしょ?」 ここで、アオが、
「トゥルースは大勢の人を殺してきた。俺はこれ以上の犠牲は出したくないんだ。」と言えば、
ナルももう少し聞き耳持ったのではないか?
「スカブは、私にアオと対等になれる翼をくれたの」ここで、アオが、
「俺を外人扱いするやつらから守ってくれたのはナルじゃないか。」と、ナルを持ち上げれば、
ナルも、惨めな空気のままで、ただの変な子だと好奇の目にさらされ続けることもなかっただろう。
「アオのニルバーシュには、アーキタイプが無いから」
ここでナルは、アオにストーリー上の重大なヒントを投げたつもりだった。ここで、アオが、
「ナルのニルバーシュにはそれがあるなら、俺と一緒にトゥルースと戦おう! 思い出のつまった島を守るために!」
と言えば、ナルは心動かされて、「トゥルースを止められるのは、私だけ。」と、
ストーリーが動いたかもしれないが、肩透かしだった。
スタッフから、ナルはもう人気無いし、役目終わったから、もう出番無いからと言われてるようなもの。
ヒロインのはずだったのに、こんなに粗末に扱われることになるとは、なんという不憫なナルたん。 ナルがヒロインから降格した原因は、主人公のアオが、周囲を巻き込んで行動するような、
アグレッシブさが足りないために、ヒロインも輝けるチャンスを失ったということだね。
ナルを島に置き去りにして、自分だけゲネラシオンブルに入ったのが、
そもそもシナリオとして悪手だった。
アオが周囲を説得するなり、密航するなりしてでも、ナルがゲネラシオンブルに入り、
テストパイロットとしてIFOを操縦できるようになるまで成長したなら、
(それが普通の展開だが)ずっと面白みが増したことだろう。
あるいは、連合軍パイロットにスカウトされるでもいい。
敵キャラとしてもちっとも面白く無いトゥルースとペアになったのがさらに敗因。
スカブの巫女にするとか意味わからん。
ギャグの世界ならともかく、リアル路線で教祖とか気持ち悪がられるだけなのに。
収拾つかない展開になぜ向かう。 私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組みの官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカメラを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部に送っていました。
別に大したものは写っていません。ゴミだしとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎が老朽化して使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄へ落ちる、
朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなって脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全部自分の出来心から起きたことで、どこに訴えるわけにもいかないのですが、
なんとかあの人たちと縁を切って新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。 AO15話で、
シークレットとの戦いでブルーノを死なせたクロエがアオに言う。
「シークレットは敵だよね?」
答えられないアオ。
AO16話で、
副社長とビッグブルーワールドの会話。
「ゲネラシオンブルは、クォーツのために作られた組織」
立ち聞きするクロエ。
「どういうこと?」
この後クロエは伏線回収することも無く退場。
おそらく構想として、ゲネラシオンブルはクォーツを軌道上から地上に打ち込み、
シークレットを呼び寄せて融合爆裂させるという超兵器を開発していたのだろう。
裏で糸を引いていたのは、ビッグブルーワールドとなるわけだが、
そのあたりの設定はなぜクロエと共に捨てられてしまったのか?
クォーツはクォーツガンという兵器になってしまって、ゲネラシオンブルのものになったから、
世界を操る黒幕がビッグブルーワールドと言ったところで無意味になったのだろう。
クォーツガンが登場するまえに、クロエによってビッグブルーワールドの悪事を暴く寸前まで行くべきだった。
暴く寸前にクォーツガンの兵器としての威力が示されれば、
ビッグブルーワールドよりもゲネラシオンブルが世界の敵として認知され、
ビッグブルーワールドが世界の敵かと思ったら、自分が世界の敵になっていたという展開になり、
AO17話のアオの葛藤はもっと明確になっただろう。
そういうシリアスな展開よりも、パイパイアニメのほうが重要だったのだろうか? 普通、アニメの考察と言ったら、アニメの中の世界観を考察するものだが、
AOの場合は、どうしてこんなにシナリオが適当なのか?という原因の考察になってしまう。
いったい、この差はどこから来るのか?
根本的に興味がもてるような世界観じゃないということかもしれない。
現実とはちょっと違う政治状況の世界で、スカブが突然現れて、スカブバーストが起きて、
シークレットがやってきて大爆発が起きるというので、
大爆発を阻止するための国際レスキューが民間で発足して、シークレットと戦ってたけど、
シークレットは悪くなくて、スカブが侵略者だのなんだの。
そんな説明されるまでもなく、スカブは最初から危険な異世界からの侵略者に見えますよ?
シークレットが敵じゃないと言われてびっくりするより、トゥルースの存在がうざったいわけだし。
劇中の重要度が、視聴者の感じてる重要度と齟齬があると思うんですよねえ。 初代エウレカセブンは、「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」と、
主人公が自分で運命を勝ち取る物語であることを強調していた。
世界観が複雑であるほど、主人公は、世界観にふりまわされないように能動的に動く必要がある。
AOが根本的に面白く無い理由は、自分の信念で運命を切り開いたキャラの不在にある。
アオ
運命に翻弄されるまま、父親と対峙し、
父親の敷いたレールにやみくもに反抗して自立した気になっただけで誰も幸せになってない。
ナル
自分や世界を変えたいと願いながら、自分では何も出来ず。
フレア
父親を恨んでいたが、父親の愛を悟るのみ。アオとは何の関係も出来ず。
エレナ
勘違いしていたことを知っただけで、何にもなれず諦めただけ。
トゥルース
勘違いしていたことを知り、クォーツガンで自殺しただけ。
エウレカ&レントン
アオのために戦うも、アオに迷惑がられる。
ガゼル
クォーツガンによる棚ぼたで、沖縄独立に向けた偉い人になる。 運命の歯車をずっと狂わせていき、
ラストの収拾の仕方をどうするかという難題を、
クォーツガンによってチャラにした。
クォーツガンによる世界の変化(主人公に都合よくリセット)を、
錬りこまれたシナリオによる大どんでん返しとでも考えていたのだろう。
カレーを作ろうとあれこれスパイスを投入したが、失敗し、
新しく味噌汁を作ったようなものだ。
ケーキ屋のガラス越しにパティシエがケーキを作ってる様を見た客が店に入ったら、
たいやきが出てきたようなものだ。
味噌汁やたいやきがいくら美味くても、客はそれを望んではいない。 これから信念を持って何かを成し遂げたいと思ってる視聴者は、
AOを見ても何も感じないだろう。
すでに、何かに失敗し、「人生なんてこんなものだ」と諦観した人間だけが、エレナなどに感情移入できるのだと思う。
そういう人には、AOは琴線に引っかかるものがあるのかもしれない。
なんにせよ、ロボットアニメでやるようなネタじゃない。
ロボットアニメを好むような視聴者には、
主人公は希望と未来と情熱を信じ、信頼できる仲間が主人公を支えるような、
熱く力強いドラマを見せるべきだ。 AO22話で、
>>219のような台詞の言い回しがなぜ出来ないのか?
どうしてもシナリオの意図が解析できなかったのだが、
脚本家の頭に、「自分を高めて、自分で難局を乗り越え、運命を切り開こう」という意識が無いから、
キャラの台詞も、覇気が感じられないものになってしまうのではないか?
普段の人間関係でも、口が悪くて、友達無くしたり上司の信頼を得られなかったりしてるんじゃないか?
AO16話のラストに17話予告で、
「少年に差し出された救済は、すべての歯車を狂わせていく」という言葉を聞いたとき、ちょっとびっくりした。
なんで、こんなに、面白く無さそうな予告を作ってるのか?
これまた理解に苦しんでいたのだが、全てが順調に行くことは無いにしても、
「アオの難局を救うのは、かけがえのない仲間たちだった」
という予告を作ったほうが、面白みは感じると思うんだけど、
脚本家の頭に、仲間が助けてくれる、信じられる仲間がいる、とかいう発想が無いってことなんだろうな。 AO20話
アオのスマホからゲオルグを再インストールするように、ガゼルとイビチャがレベッカを説得するシーン。
なんか、キャラがいろいろしゃべってるけど、ドラマの意味がわからなくて頭に入ってこなかったんだけど、
解析すると、こういうことだろう。
ガゼルがレベッカを惚れてて、愛の力でレベッカを説得しようとしたけど、失敗。
次にイビチャがレベッカを説得すると、レベッカがそれにあっさり応じる。
つまり、レベッカはイビチャに惚れてるから、惚れた弱みでイビチャについていくことを決めた。
そして、ガゼルはレベッカに振られたことが決定して、やけくそでノアの飼育係をやることに。
というドラマなんですよね?というかドラマかこれ?
惚れた弱みにつけこまれてレベッカが利用されてるだけじゃん。
イビチャとレベッカが愛し合ってるという結末があるならともかく。そういうの無いみたいだし。
本家エウレカセブンにも似たような3角関係がある。
ホランドを愛するタルホは、ホランドと敵対するデューイの女だったという設定で、
そのドロドロさが、本家エウレカセブン35話で描かれてる。
デューイは、自分の捨てた女を、ホランドが拾ったことを指摘して、ホランドを負け犬として心理的に追い詰めていく。
このあたりの人間関係の描写は上手い。ホランドのやりきれない思いが伝わる。
第三者的にノルブを絡ませたのも上手い。他人に聞かれたくない話だからな。
それに比べてAO20話はドラマとしては酷い。
3角関係ですら無いから、レベッカがただ利用されてるだけにしか見えない。 他人を説得するという行為には2種類ある。
1、「俺を愛してるなら、俺に従え」→二人の愛のに絆に訴える
2、「おまえ自身の気持ちに従え」→相手の人間性に訴える
ガゼルは1で失敗した。レベッカはガゼルをなんとも思っていないから。
イビチャは2で成功した。しかし、レベッカ側としては1のつもりでイビチャの説得に応じた。
このイビチャの考えと、レベッカの思いにズレがあるから、
AO20話のこのシーンは、いまいち気持ちよく見れないし感動もしないのだ。
そういうズレを利用してドラマを作ることはあるが、
このシーンは、もっと感動的に盛り上げないといけない。
イビチャとレベッカの気持ちがすれ違ってるような感じで、レベッカの気持ちが動いてはいけない。
針は大きく振れたほうが、カタルシスは大きい。
レベッカの針は、ふらふらふらついてるだけで、気持ちの動きにメリハリが無い。 レベッカがイビチャに特別な思いを抱いてるかのような前フリをしてるのがよくない。
むしろ、レベッカはイビチャを冷酷に監視するだけにしておくべきだった。
やがて、レベッカは、イビチャの人間性を認めるようになり、
レベッカはイビチャを信用してないのに、イビチャはレベッカを信用したことで、
レベッカ自身の人間性が問われるように追い詰められ、
自分の負けを認めてイビチャの指示に従うことを決めたほうがすっきり見れるのではないか?
重大な決定に愛憎を含ませると、焦点がブレてしまう。
レベッカは、愛に翻弄されたのか、自分の人間性を確立したのか、わからなくなる。
愛に翻弄されてる場合は、また敵になる展開も考えられるわけだし。
そういう余計な心配事を視聴者に与えてはいけない。 AOを通して見てると、結構な頻度で「え?」とかいう台詞が聞こえてきて、
そのたびにイラっとくる。
キャラA、Bが会話をしてて、キャラAが話しの流れをぶったぎるような台詞を言って、
キャラBが「え?」とかいう。
AO22話の、
ナル「おなかすいてない?」
アオ「え?」
が、その最たるもの。
「え?」とか言う台詞が出てくるということは、その脚本がどこかおかしいんじゃないか?
その場にいるキャラA、Bが同じ世界観、考えを共有してないってことだよね。
ギャグの文法なら別だが。
何かに立ち向かってるとき、キャラA、Bが同じ状況におかれていたなら、
キャラAが何か提案したとき、キャラBが「え?」なんてとぼけた聞き返しをしちゃいけないと思う。
肯定するなら、「ああ、わかってる。」「まったくだ。」
否定するなら、「バカを言え。」「どうかしてる。」
まったく予想できない台詞を相手が突然言ってきた場合に限り「え?」となるだろう。
それはストーリーの流れをぶったぎってることを意味するのではないだろうか? AO23話、トゥルースとアオが戦ってるとき、ハーレクインが降りてくる。
チーム・ハーレクインがトゥルースを抑え込んで「撃ってアオ!大砲を!」という。
で、アオがここでも「え?」とか言う。
うん、やっぱり変だ。
アオは、ずっとクォーツガンを構えてトゥルースと戦おうとしてるのに、
クォーツガンを撃てないから、全然バトルをしていない。
アオはクォーツガンを構えながら、ずっと他のキャラと会話してるだけなのだ。
ナルは、アーキタイプが無いからアオはトゥルースに勝てないとか言うが、
クォーツガンを撃てば勝てるのだから、ナルの台詞もおかしい。
クォーツガンを撃てばトゥルースを倒せることを見越しての、
チーム・ハーレクインの「撃ってアオ!大砲を!」という台詞であり、
それを受けてのアオの「え?」だ。
ただ、アオは世界を変えたくないから、クォーツガンを撃たないだけ。
の、はずなのに、アオはここで「君たちをまきこむなんて」と、
チーム・ハーレクインを犠牲にすればトゥルースに勝てるという前提の会話を始める。
で、すぐに、チーム・ハーレクインははじき飛ばされて、アオとトゥルースのバトルになる。
なんだろう、この無意味なシークエンスは。 そしてトゥルースはクォーツガンを自分に向けて撃つ。
世界が変わったあと、トリトン号から連絡が入る。
レベッカ「アラタ・ナルのニルバーシュも行動不能になったそうよ。」
アオ「え?」
ほら、やっぱり変だ。
ナルが敵キャラになってやられるシーンなんてのは、
ストーリー上無意味なお遊びであって、必要の無いものだ。
必要の無いシークエンスを適当に挟むから、脚本の都合上、
キャラに「え?」と、言わせないといけないわけだ。
キャラが「え?」などと言ったら、そのシーンはストーリー上無駄である可能性が高い。 その後、ナルが反撃するも、
アオのニルバーシュが華麗にかわして、ナルを逆に撃墜してしまう。
ここでナルが「え?」という。
これは、完全にギャグの文法。
脚本家がドラマ作るのめんどくさがってるのがよくわかる。
「え?」って、便利な台詞だよね。
突拍子も無い展開が起きても、いちいち理由を説明しなくて済むから。
キャラに「え?」って言わせておけば、
台詞が思いつかなくても、とりあえず最低限の話しは成立するわけですよ。
重要度の低いシーンなら、いちいち台詞の言い回しを考えるまでもなく「え?」で十分ですしね。 AO25話で、アオがポールライトに飛び込んでエウレカに会いに行く。
エウレカは、アオの姿を見て、アオの名前を呼んで飛びつく。
アオは、どうして自分のことを知ってるのか、不思議がる。
エウレカ「アオなのね?」
アオ「どうして俺がアオだって、まだ俺、2歳のはず。」
エウレカ「前に教えてくれたじゃない」
アオ「え?」
初見ではすっかり勢いに流されて騙されて見過ごしてしまったが、おい、脚本家。なんだ?この脚本。
時系列的に、この時点でエウレカとアオは互いに自己紹介が済んでいて名前は知っている。。
ここで、アオが驚くことがあるとしたら、「エウレカがアオを自分の子だとわかってること」だろ。
それは、この後、ボロボロのニルバーシュにエウレカが拾われた回想で明かされる。
ともかく、ここでもアオが「え?」とか言ってるが、案の定、このシーンは変だ。
アオがエウレカに会いに来たのだから、アオから「母さん!」と呼びかけるべきだ。
バリア(?)の外ではシークレットが攻撃仕掛けてるのに、
アオに「え?」とか言わせてたら、緊張感が損なわれるんだよ。 アオは、エウレカとレントンに帰ってもらおうとする。
アオ「父さんと行って!アンマ。」
エウレカ「だめよ!クォーツをこのままにしておいては」
アオ「辛かったよね。アンマ。」
エウレカ「え?」
このあと、アオは親に意見を始める。
子供を救うために、あれこれ戦ってきて、今、目の前のクォーツを処分しないといけないのに、
急に息子から意見されるのだから、親としては困惑するのも当然だ。
だが、エウレカに困惑させて「え?」と言わせるような脚本は、やはりゴミだ。
>>126でも指摘したが、ここでアオは親を困惑させてはいけない。
アオ自身が、速やかに「俺は大丈夫だから、信じて。」と、親を安心させること。
「クォーツは俺に任せて!」と、先にアオに言わせるべきだ。
ここでアオは成長した自分の姿を親に見せることが第一であり、
エウレカに「え?」などと、一瞬でも困惑させるような隙を与えてはいけない。 エウレカの「え?」は、
アオの真意が全く読めないで困惑しているという表現で間違いない。
これが他のキャラ同士の険悪さを表現するドラマで、
相手を困惑させるという意図を持っていた場合の会話としてなら有効だろう。
しかし、アオとエウレカの場合は、親子の絆、信頼関係を深めて確認するという重要なシーンだ。
相手を困惑させる前に、自分の真意を相手に伝える努力が優先されるべきである。
キャラが困惑すると、視聴者も困惑するし気持ちよく流れに乗れない。
この脚本家は、キャラに「え?」と言わせるような状況を意図的に作って、
話をぶったぎって展開させるのが好きなようだが、結局、話がぶつぎりになって
わけがわからないという結果にしかなってない。
初代エウレカセブンでは「え?」なんて台詞はほとんど無かったと思う。
キャラが聞き返したとしても、もっとストーリーの流れに絡み合った台詞として表現されていたはずだ。 基本的にキャラに「え?」と言わせる状況というのは、
○○という状況だったのに、急に××の状況に変わったことを意味し、
視聴者をおいてけぼりにする危険をはらんでいる。
新しい状況に対してキャラが困惑したり、警戒したり、疑ったりすることだ。
キャラが困惑すれば、視聴者も困惑して身構える。
たまに使うならアクセントにもなるが、多用するのはよくない。
キャラが困惑ばかりしている話というのは、
キャラがストーリーを牽引していないということであり、面白いわけが無いのだ。
逆につまらない作品ほど、キャラがストーリーに振り回されるから、
キャラが「え?」と発言する頻度も増えることだろう。
AOがまさにそれだったのだ。 初代エウレカセブンで、「え?」という台詞を探してみた。
2話、セブンスウェルを起したレントンは、ホランドに、「何を信じたんだ?」と聞かれて、答えるシーン。
レントン「俺はあのこを助けたいと思った。信じることで彼女を助けられると思ったんだ。それが、その証明になると思ったから。」
ホランド「本当に証明したければ、一緒に来い」
レントン「え?」
ここで、レントンを取り巻く状況は大きく変化する。
レントンは「え?」と言うしかないだろう。
しかし、不安、困惑、疑念などのマイナス要素はこの「え?」には含まれていない。
なぜなら、ここに至るまで、レントンがストーリーを動かし、
ホランドの心を動かしたことで、ホランドに「一緒に来い」と言わせたという結果なのだから。
もともと、レントンはゲッコースティトに憧れていたので、
ホランドから「一緒に来い」と言われたのは、願ったりかなったりだ。
ここでは、レントンの願いがかなったことによる、希望を感じさせる「え?」となっている。
なので、レントンが「え?」と言っても視聴者は困惑したり不安になったりはしない。
ここが微妙にAOの「え?」と、使い方が異なる。
AO9話Aパート最後で、シークレットが日本軍を攻撃したとき、ナカムラが「え?」などと言う。
状況は大きく変化したが、ナカムラの求めていた結果とは期待ハズレだったという意味の「え?」だ。
AOは、期待はずれを意味する「え?」が多くて耳障りになっている。
視聴者も、この先のストーリーが気になっているのに、期待を裏切るわけだから、
ストーリーが面白くならない要因になっている。