>>228
これもSF考証の小隅黎氏が、

「自分の考証の矛盾や稚拙さを、制作スタッフの作画技術や演出のクオリティで絵的にカバーしてもらった」

旨の発言をしている
この発言には謙遜も多分に含まれているとは思うが、確かに鳥海永行氏が直接脚本や演出を担当した回ではそこまでの矛盾を感じることは少ない

しかしその他の担当者回では物凄く杜撰な回が初期エピソードには特に多く散見される
担当した者のセンスに大きく左右されていたということで、矛盾を見えないようにするのも制作側の手腕なんだと思う

特にガッチャマンはテレビ漫画が純粋な子供向けだった時代から徐々に脱皮していく正に過渡期の作品であり、それまでの子供騙しの作品的に、作品の設定や世界観について適当な捉え方をしていたスタッフもたくさんいたことだろう
(彼らを非難しているのではなく、時代的に仕方なかったということです)

当時のテレビアニメを週一本問屋制家内工業的に量産していく体制において、現場でそこまでの意思統一は難しく、一年の長丁場でそれを徹底したのはアルプスの少女ハイジが端緒だった